第5話

 その日から週に一度、春はレッスンから帰る涼香を同じ場所で待つようになる。



「涼香ちゃんこんばんは、レッスンお疲れ様」

「こんばんは、ありがとうございます」



 涼香が遠くから見ていた通り、そしてただの羨望感から苦手意識を抱いていたことが滑稽に思えるほど、春は人当たりのいい爽やかな青年だった。



「今夜は少し冷えるね、こんな時間まで疲れたでしょ」

「春さんこそ」

「俺はいつもただ散歩してるだけだから、ね」



 徐々に言葉を交わすようになってきたふたりだったが、春はまだ涼香が同じ大学の後輩だということには気がついていない。特に興味がないのか、涼香の大学がどこかと聞いてくることもなかった。



「いつも、この時間に散歩してるんですか」

「うん、なんか月が綺麗な夜って探し物が見つかるらしいよ、知ってた?」



 春さんは、不思議な人だ。

 彼はいつも、涼香の世界では知ることのできない感覚を分け与えてくる。ふたりで一緒に歩くようになって、涼香はそんな彼が隣にいる心地良さを知りつつあった。



「見つけたかったものに、出会えるんだって」

「……春さんも何か見つけましたか」

「うん、ちゃんとね。ちゃんと」



 春がじんわりと温度を纏って笑う。

 あの大和田春にそんな顔をさせる探し物は、きっとピカピカで私には想像もできないものだ。

 少しだけ興味が湧きながらも、涼香はその探し物が少し羨ましかった。春のいる世界は、涼香の日常とはきっとかけ離れている。



「……今日も、いっぱい弾いたんだね」

「……」

「涼香ちゃんの指が、たくさん弾きました〜って言ってる」



 涼香の左手に向けられていた熱い視線。弦を押さえ続けて赤く固まったその指先たちを、涼香はそっとコートの袖に滑り込ませた。



「……カッコ悪いです、私」

「全然。そんな風に思う人がどこにいるの」



 彼の言葉はいつも、純粋で直球だった。

 心に直接突き刺さるような、混じり気のない優しさ。コンプレックスだった大和田春はいつの間にか、涼香の拠り所となりつつあった。

 知り合ったばかりだというのに、春は隙間なく涼香の欠けている心を満たす。



「充分だよもう。たくさん練習したの、俺にはわかる」

「……」

「いつか聴かせてくれる?そのヴァイオリンの音」

「……じゃあ、機会があれば」

「……ふふ、うん、楽しみ」



 静かな夜、真っ暗で明日も見えないような夜。春だけが明るく、そしていつまでも涼香の隣を歩き続けた。

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