第4話

 満月の下、唐突に泣き顔を見られてしまった。



「……すみません、」

「え、ねえ大丈夫?」



 涼香が顔を隠すように頭を下げると、心配そうな声が降ってくる。小さく頷いてまた目元をゴシゴシと擦る。

 泣きすぎた。そっと顔を覗き込まれ、恐る恐る見上げた先に、猫のように神秘的な瞳。傾いたシャープな顎のラインが、月光に照らされていた。



「……あ、ヴァイオリン弾くの?」

「え」



 言葉を探していた涼香の思考が鈍る。春に見つめられ、ずしりと背中で重量を増した楽器ケース。


 この人には一番、気がつかれたくなかった。



「……これは、」

「弾くんだね、俺も弾くよ。今大学生なんだけど、大学の部活でやってる」

「……」



 穏やかな声で続ける春に、涼香の小さな期待がまた散っていく。

 この様子だと、彼は涼香のことを知らない。当然なのに、涼香は不意に劣等感を覚えた。



 知ってくれてるかも、なんて期待したのが間違ってた。

 私はこの人みたいに有名じゃないし、全然目立たないのに。



 返事ができないまま、また乱暴に目元を拭った涼香。春はその様子を静かに見守る。



「どうして泣いてるの」

「……ちょっと……いろいろとうまくいかなくて」

「そうだったんだ、それで泣きたくなっちゃった?」



 涼香はこくりと頷きながら、また鼻の奥に痛みを感じた。

 自分に向けられる大和田春の声が、こんなに心地いいなんて思ってもみなかった。



「……はい、そんな感じです」

「ん〜そうか。そういう気持ち、なんとなくわかる気がする。でもこんな時間まで、頑張って弾いたね」



 そう言ってほわりと息を吐いた春、その瞳が優しく、包み込むように涼香を見つめている。初めて会話をしたはずなのに、妙な安心感が涼香の心を満たす。温い言葉が、疲れた身体に染み渡る。


 大和田春がいつも人に囲まれている理由が、この短い会話の中でわかったような気がした。



「……名前、教えてくれる?」

「……貫井涼香です」

「涼香ちゃん、俺は大和田春。よろしく」



 期待を込めるように重く瞬きをした春。涼香は戸惑いながらも、その首を小さく縦に振る。

 やっとの思いで見上げれば、暗闇の中で控えめに煌めくその瞳。それはまるで一筋の希望のようだった。



 涼香はこうして月夜の晩、大和田春と巡り会った。

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