第20話 海
○海
弥太郎たちは夏休みに入って居た。弥太郎は竹田タケシの誘いに乗って、10日間の漁船での船上アルバイトに出て居た。
「タケシ〜、すっげえ〜なあ〜」
弥太郎は初めての沖の景色に歓声を上げる。
「おう、凄いだろう〜?弥太郎〜?俺も初めての時は、マジでビビったぜ〜」
タケシは潮風を浴びながら気持ちの良さそうな顔で言う。
「まだまだ、もっと沖に出るんだろう?」
「まあな〜。もっと先の陸がまったく見えなくなるところまでだな」
弥太郎は船の先を見据える。
「おう、タケシ〜、活きの良い奴を連れて来てくれてサンキューな」
「船長〜」
弥太郎は振り返る。
「俺、お世話になります。船長」
「ハハハ。そう硬くなるなって。気楽に行こうぜ、気楽に」
船長は”バシバシッ”と弥太郎の肩を叩く。
「船の上には女は居ねえが、美味い魚は食わせてやる」
「おお〜、魚っすね?」
「海の上の楽しみと言えば、酒と美味い魚。これに尽きるぜ、なあ、タケシ〜?」
「船長〜」
タケシは笑う。
「確かに、俺も、船で獲れたての魚を捌いて食べさせてもらった時は、度肝を抜かれたぜ〜」
「マ、マジか・・・?」
「おう、マジマジ」
タケシは嬉しそうに言う。
「俺ん家はさあ〜、母親が魚を捌いたりしない家だったからなあ〜。魚って、切り身か冷凍しか食ったこと無かった訳。だから、生きた魚がこんなんで、しかも、捌いた魚がこんなになって、メチャクチャ美味いなんて知らなくってさあ〜」
「タケシの奴、初めて食わせてやった時なんか、一人で何十匹と喰ってたよな?」
「せ、船長〜、何十匹は言い過ぎっすよ〜」
「ガハハハハハ、悪い悪い」
船長は楽しそうに笑う。
「弥太郎も楽しみにしてろよな?」
「おう」
タケシと弥太郎、船長を始めとした船員たちはひと時の間、甲板で海風に吹かれて居た。
「俺さあ、陸に居ても船長たちが楽に仕事が出来ること探してるんだ」
「えっ?何だよそれ?」
「いや〜、講義の最初に習ったじゃん?機械の定義って?」
「機械の定義?」
「おう、弥太郎たちは初めに習わなかったかあ〜?」
「う〜ん・・・あんまり覚えて無いかもだなあ・・・」
「俺は、それが鮮明に記憶に残っててさあ・・・」
「うん、うん」
「それが、”人間を楽にするもの”だって、言うんだぜ?」
「”人間を楽にするもの”?」
「”てこ”の原理を使ったりさあ、人力に代わるものを作ったりするじゃん?そう言うことだって?」
「ああ〜、なるほどなあ・・・。そう言うことかあ〜」
「うん、そう言うことだって俺は、それを聞いた時にさあ・・・」
「うん、うん」
「俺、船長たちの仕事ぶりをすぐに思い出したんだ・・・」
「ああ〜、この船の上の作業のことかあ〜?」
「おう。俺、こんなに美味い魚たちを獲って運んでくれるこの船をさあ、もっと、もっと便利にしてさあ、船長たちを楽に出来たらって・・・」
「へえ〜。いいじゃんか?タケシ?」
「おう。俺、それに気がついたらメチャクチャ講義が面白くなったんだ」
「座学も含めてか?」
「おう、もちろんさ〜。”これ”は、何に役に立つだろう?”これ”は、どう使うだろうかって、聴くたびに考えるんだよ、すげえ面白いぜ?」
「な〜るほど・・・なあ〜。道理でタケシは成績も優秀だった訳だあ〜」
「テストの点数じゃなくて、面白くてのめり込んでるだけだけぜ?俺は?」
「ブハハ。それ良いじゃん?知識がすぐに使える知恵になってるってことだろう?」
「おお?弥太郎も良いこと言うじゃん、さすが、弥太郎だな?」
「おい、おい、煽てるなよ?」
「先に煽てて来たのは、弥太郎だろ〜?」
「ククククク」
「プププププ」
弥太郎とタケシは青い空と海の間で笑い続ける。
「お〜い、二人とも〜、楽しいおしゃべりはそこまでだ〜。そろそろ手伝ってくれよなあ〜?」
「了解っす、船長〜」
「おう、行くか〜?タケシ?」
「おう、頼んだぜ?相棒?」
「ククク。俺、相棒かよ?」
「何となく、良いかなって?」
「クク。いいぜ、相棒?」
「そうこなくっちゃ、行くぜ〜?」
「おう」
”ウィ〜ングイングイングイ〜ン”
網を巻き上げるモーターが”グオングオン”と音を鳴り響かせる。弥太郎たちは大きな声を出し合って、意思の疎通を図る。
船上は活気に溢れて居た。網が巻き上がると次々と魚たちが甲板に振り落とされて行く。
「ガハハ、良好良好〜」
船長は好漁に上機嫌を示す。
弥太郎たちは網に絡まらないようにして振り落とされる魚たちを船の中のタンクに押し込む。
(思ったよりハードだなあ・・・)
弥太郎は初めての作業に驚きを隠さない。
(タケシの奴は、すっかり馴染んでるんだなあ・・・)
弥太郎はタケシの”テキパキ”とした動きに次第に落ちつきを取り戻して行く。
(俺も頑張ろ・・・)
弥太郎は手元の作業に意識を集中した。
*
すっかりと夜になると船では酒盛りが始まって居た。
「ガハハハ、大漁、大漁〜」
船長は上機嫌で酒を盛っている。
「船長・・・、大漁って言うか、まあまあじゃなかったっすか?」
他の船員たちが船長を揶揄って言う。
「ガハハ、大漁〜って、響きが良い訳だな〜、俺は?」
「そう言いたいってだけっすね〜?船長〜?」
「そうだ、景気が良いだろがあ〜、大漁〜ってのはあ〜?ガハハハ」
船長は船員たちと酔っ払いながら他愛も無い話で盛り上がっている。
タケシと弥太郎は少しだけ皆との輪から距離を保ちながら”チビチビ”と楽しんでいた。
「弥太郎?疲れだろう?今日は初めてだったし、なあ〜?」
「いや〜、初めは”ビビっ”たけどなあ〜」
「お前、顔が真っ赤だぞ?」
「そりゃあなあ〜、あんだけ太陽の真下に居続けたらなあ〜」
弥太郎はタケシの顔を眺める。
「タケシも人のこと、言えないぜ?」
「ハハ、俺は元からってのもあるしな〜」
「海の男が日焼けしてる意味が実感できるよ」
「だろう〜?」
「ああ」
弥太郎とタケシは笑う。
「おらあ〜、お前たち〜、飲み足りないぞ〜、こっちに来て、一杯やれ〜?」
「うわあ〜、船長〜。船長もだいぶ顔が赤いっすね〜?」
「ククク、弥太郎くん?船長の場合は、顔が青くなるまで飲み続けるんだよ?」
「ええーっ?マ、マジっすか・・・?」
「マジ。マジ」
船員たちは揃って深く頷いた。
「コ、コエ〜」
弥太郎は声を震わせる。
「おら〜、そこの若者ども〜、ゴチャゴチャ言ってないで〜、こっちに来〜い」
「ハイハイ・・・」
弥太郎は遠慮がちに船長に近づく。
「おう、ヨシヨシ。弥太郎〜、酒は美味いかあ〜?」
「え、え〜と・・・、お、俺・・・酒は・・・マズマズっすね〜、ハハハ・・・」
「おう、弥太郎〜?魚は美味いかあ〜?」
船長は、”プッハ〜”と酒臭い息を弥太郎の顔に向けて吐き出した。
「う、うわっ、せ、船長〜」
弥太郎は、船長から逃げ出して行く。
「さ、魚はマジ、美味いっす」
弥太郎は船長と距離を置いて言う。
「ガハハハ、そうだろう、そうだろう〜?」
船長は上機嫌で近くの船員に絡みつく。
「せ、船長〜」
船員は慣れた手つきで船長に酒を注いで行く。
「弥太郎?大丈夫だったか〜?」
タケシが弥太郎に声をかける。
「船長って、いつもこんな感じ?」
「おう、まあまあだな〜」
「まあまあって・・・」
弥太郎は、冷や汗を”タラリ”と流す。
「船長は上機嫌だし、上々じゃねえ〜?」
「お、おう。そうだな?」
「そう言うことにしとけって〜?相棒〜?」
「プハハ、了解、相棒〜」
タケシは弥太郎と”グー”タッチを交わす。
「海もだけど、空の迫力も凄えよなあ〜?」
弥太郎は夜空を見上げて言う。
「おう、陸では見れない絶景だからなあ〜」
「マジで、そうだな〜」
「眠くなったら、サッサと寝ちまえよ?弥太郎?」
「ああ、うん、タケシは?まだ良いのか?」
「俺は、まだ良いからさ」
「そうか・・・、じゃあ、俺は、先に寝るわ。船長によろしくな?」
「おう、そういう気遣いはここでは要らねえから安心しろよな?」
「サンキュー、タケシ」
「明日も頼むな?」
「おう、おやすみ」
「おやすみ〜」
タケシは弥太郎を見送ると船員たちの輪の中に入って行った。
*
弥太郎たちは、船のタンクを満タンにして予定よりも1日だけ早く港へと戻った。
「ガハハハ、大漁、大漁〜」
「船長、まだ言ってますね〜?」
「ガハハ、弥太郎〜、お前が船に乗るとなかなか良いぞ〜」
「そ、そりゃあ、どうも・・・。ありがとうございます」
弥太郎は船長の”ハグ”を避ける。
「ガハハ、船を降りたらボーナスに期待しておけよな?弥太郎にタケシも?」
「ええ〜、マ、マジっすかあ〜?」
弥太郎は顔を輝かせる。
「良かったじゃん?弥太郎?」
「おう、俺、超、ラッキーじゃん?」
「ガハハ、弥太郎はバイト代は何に使う予定なんだ?」
船長は上機嫌で言う。
「俺は・・・、材料費・・・っすかねえ・・・?」
「ハアッ?なんだ〜、そりゃあ〜?」
船長は、仰け反る。
「弥太郎は、研究費を稼ぎに来たんだろう?」
「うん、まあ、そう言うことだな・・・」
弥太郎は頷く。
「へえ〜、大したものだなあ〜、弥太郎もタケシも〜。学生さんってのはあ〜、そ〜んなに勉学に熱心なものかねえ〜?」
「お、俺は・・・ちょ、ちょっと、訳ありって言うかあ・・・」
弥太郎は兄の響太郎が残したスケッチの話を船長に聞かせた。
「ほお〜、そりゃあ〜、楽しみだぜ〜?弥太郎〜?タケシ〜?」
「せ、船長・・・?」
船長は”ニマニマ”して言う。
「お前さん、あそこの岬がどういう所か知ってるのか?」
「ど、どういう・・・ところって・・・?」
「落ちたら最後、遺体は陸に上がらない・・・。そう言うポジションなんだぜ〜?あそこは〜」
「ハ、ハア・・・」
弥太郎はタケシと目を合わせる。
「潮の流れですか・・・?」
タケシは船長に問う。
「まあ、端的に言えばそうだがな・・・」
船長は弥太郎に視線を移す。
「なあ、弥太郎?」
「は、はいっ?」
「その日には、俺たちにも知らせるんだぜ?」
「えっ?」
「良いから、そうしとけよ、なあ〜?」
「は、はあ・・・」
弥太郎は、”アングリ”としながらも頷く。
「よしよし、男の約束だ。いいな?」
「う、うぃーっす」
弥太郎は訳もわからないままに船長と約束を済ませた。
「ガハハ、学生さんたち、頑張れよ〜」
船長は二人の背中を”バシバシ”と叩き上げた。
「イテテテテテ・・・」
「トホホ・・・」
弥太郎とタケシは背中に手を当てながら笑い合う。
「良いバイトをありがとうな〜、タケシ〜」
「俺こそ、誘いに乗って貰って助かったぜ〜?」
「じゃあ、俺たち、一度、ここで解散な?」
「おう、相棒〜、またな〜?」
「おう」
弥太郎とタケシは”ガッチリ”と腕を絡めて力強く握手を交わした。
*
「トライく〜ん?」
「おう、ミク〜」
弥太郎はミクに向かって手を振る。
「おかえり〜、トライくん〜」
ミクはヤマトの車で港まで迎えに来てくれたようだった。
「ヤ、ヤマトさん・・・」
「ハハ、小僧。良い顔してるなあ〜?」
ヤマトは弥太郎の顔を頼もしげに眺める。
「海の生活はどうだった?トライくん?」
ミクは弥太郎の両手を掴む。
「う、海・・・の生活は・・・」
「寂しかった?」
ミクは首を傾げながら言う。
「う、うんうんうんうん。寂しかった、さ、もちろん」
弥太郎はミクに合わせるように言う。
「お前?本当なのか?」
ヤマトは疑わしいものを見るように弥太郎に口を挟む。
「えっ?・・・え〜と・・・」
(ヤ、ヤッベ〜・・・忙しすぎて陸の生活のこと忘れてた〜、なんて言えねえ〜)
弥太郎は”ギコチ”なく話し出す。
「う、うん・・・う、海の生活は・・・」
「トライくん?」
「は、はい・・・?」
「忘れてたんでしょう〜?わたしのこ・と・も?」
ミクは、ちょっと拗ねたようにして弥太郎を見つめる。
「えーっ・・・あー、そ、その〜・・・」
「いいわ、トライくん」
ミクは弥太郎に背を向ける。
(えっ?えっ?・・・ミ、ミク・・・?)
「浮気してないなら、良いよ?」
ミクは振り向いて言う。
「う、うわきーっ?す、する訳ないじゃん・・・、お、男ばっかりなんだぜえ〜?海の上は〜?」
「小僧、BLを知らんのか?」
「し、知る訳ないっしょ〜。って、言うかあ〜、な、なぜ、それがヤマトさんの口から・・・?」
(お、俺・・・そっちの方が、マ、マジ・・・怖いっす・・・)
弥太郎は肩を抱いて体を震わせる。
(シ、シェエ〜・・・ブルブル・・・)
「ウフフ。弥太郎くん?」
ミクは弥太郎の眼前に立ち尽くす。
「ミ、ミク・・・ち、近いな・・・」
「トライくんがこうして無事で居てくれて・・・わたし・・・嬉しいな」
「ミ、ミク・・・」
「だから、いっぱい海の話を聞かせて?良いでしょう?」
「う、うん。も、もちろん」
弥太郎はミクを抱きしめる。
「良かった〜」
ミクは弥太郎の背中に両腕を回して弥太郎の体を”ギュッ”とする。
(トライくんの温もり・・・あたたかい・・・良かったあ・・・)
ミクは9日ぶりの弥太郎の体温を確かめる。
「ミク・・・」
弥太郎はミクの髪の毛を優しく撫で下ろす。
「帰るぞ、小僧」
ヤマトは急かせるようにして言う。
「オッサン、ヤキモチかよ?」
「違う」
「え〜、じゃ、じゃあ、何だよ〜?」
弥太郎はミクを放したく無いと言わんばかりに口を尖らせて言う。
「キリが無い」
「ま、まあ・・・そうっすけど・・・」
ミクは弥太郎の唇にキスをする。
”チュウッ”
「お、おい・・・ミク〜」
「フンッ」
ヤマトは”ツマラナイ”ものを見たような表情を見せると車へと踵を返す。
「帰ろう?トライくん?」
「あ、う、うん・・・」
「さっさと、来い?小僧」
ヤマトは運転席のドアを開けながら言う。
「ああ〜、もう〜、ハイハイ・・・」
弥太郎は両肩に荷物を背負って歩き出す。
「エリさんもご馳走を作って待ってくれてるから」
「ネエさんが?」
「うん」
「船長にたらふく魚を貰ったんだ・・・また、後で港に取りに行くからさ」
「うん、お魚も楽しみにしてるね?」
「おう、美味い魚を食わせてやるぞ〜?」
「ウフフ。トライくん、すっかり漁師さんね?」
ミクは楽しそうに笑う。
「俺が漁師だったら、ミクはどうする〜?」
「トライくんが漁師さんだったら・・・?」
「うん、ミクはどうする・・・?」
「う〜ん・・・」
ミクは空を見上げて、考える素振りを見せる。
「良いよ、漁師さん」
「マ、マジでえ〜?」
「うん」
ミクは頷く。
「俺、なかなか陸に帰れなくなるぜ?それでも良いのか?」
「うん」
「へえ〜・・・」
弥太郎はミクの意外な言葉に歩みを止める。
「トライくん・・・?」
ミクは弥太郎を振り返る。
「それだけ、ミクは俺のことを信用してくれてるってことで良いんだよなあ?」
ミクは弥太郎を見つめ返す。
「俺のこと信じてるんだろう?」
「うん」
ミクは頷く。
「俺、いままでで、一番、嬉しい・・・」
「えっ?トライくん・・・?」
「ミクに信じて貰えてる俺って・・・俺史上、一番嬉しいぜ?俺?」
「ウフフ。そうなんだ?トライくん?」
「うん、マジ、マジ」
弥太郎は両肩に荷物を担ぎ直して再び歩き出す。
「手・・・つなぎたいなあ・・・トライくん?」
「手・・・?」
弥太郎は荷物から手を離そうとする。
「う、うわあっ、おっと、っと・・・」
弥太郎は荷物を落としそうになる。
「ご、ごめんね・・・」
「いや、べ、別に・・・」
「そんなに寂しかったのか・・・?ミク?」
「う、うん・・・」
「か、可愛い・・・」
「えっ?」
「な、なんでもない・・・」
弥太郎はミクの可愛さに頬を赤く染める。
「トライくん・・・」
ミクは弥太郎の唇に唇を重ねる。
「いまは・・・これだけ・・・ね?」
「お、おう・・・」
弥太郎はヤマトの車に乗り込んだ。
「まったく・・・いつまで、待たせるんだ・・・お前たちは?」
「す、すみませ〜ん・・・」
「ミク、お前もだ?」
「ご、ごめんなさい・・・」
ミクは助手席でヤマトに頭を下げる。
「フンッ。仲が良いことだけは認めてやろう」
ヤマトはそう言うと静かに車を走らせた。
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