第7話 風
○風
弥太郎は浮かれながら研究室のドアを開ける。
「ちわ〜っす」
「あれ?弥太郎くん?今日はやけに元気だね?何か良いことがあった?」
「えっ、いや、べ、別に・・・」
弥太郎はニヤけた顔を”シャンッ”と戻す。
「ひ、広田さん、今日はここ、一人っすか?」
「ああ、教授は出かけているし、相田たちも留守だよ」
「そ、そうなんだ・・・」
弥太郎は”ドサッ”とカバンを机にかける。
「ねえ?弥太郎くん?」
「はい?」
「風の噂で聞いたんだけどさあ・・・?」
「は、はい・・・?」
「君、本家のお坊ちゃんとやり合ってるの?」
「本家のお坊ちゃんって・・・?」
「天野さん家だよ」
「天野さん?」
「天野ヤマトくん、だったかなあ・・・?次期、総代は?」
「ヤ、ヤマト・・・さん?」
「そう、ようやく分かった?」
「ええっと〜、ああ、はい、まあ、なんとなく・・・」
弥太郎は首を傾げる。
「ついでに言うとさ?」
「は、はい・・・?」
「姫野さんにも手を出しちゃってるの?」
「ひ、姫野さん・・・?って、だ、誰でしょうか・・・?」
「”姫”が苗字に付くときはね・・・」
「は、はい・・・」
「大概が天野さんの”チョメチョメ”なんだよ〜」
広田はここの土地あるあるを披露する。
「で・・・?あ、あのう・・・?姫野さんって・・・?」
「え〜と・・・。下の名前は・・・。確か・・・?ミクさんって言ったかなあ〜?」
「ミ、ミクっすかあ〜!?」
弥太郎は広田に詰め寄る。
「おお〜。やっと食いついたね〜?弥太郎くん?」
「えっ?いや、まあ・・・」
(だって、俺・・・誰の苗字か知らないし・・・)
「弥太郎くんも勇気があるなあ〜って、みんなで褒めて居たところさあ〜」
広田は笑う。
「せ、先輩たち・・・、俺で遊んでますよね・・・?」
「そんなことないさ〜、ククク」
広田は楽しそうに笑い込む。
「ねえ?良いことを教えてあげよう〜、弥太郎くん?」
「は、はい・・・」
弥太郎は”ゴクリッ”と唾を飲み込む。
「ここの大学もねえ〜、色々なところから補助金を頂いているワケだあ〜」
「は、はい・・・」
「ここの学科もね、主に、二つの機関から頂いているワケだよ〜」
「ふ、二つ・・・?」
「そう。一つは防衛だよねえ〜?」
「は、はあ・・・」
「もう一つは、天野財団」
「天野財団?」
「そう、ここでは天下の天野財団さ〜」
「そ、それで・・・?」
「うちの学科で華やかな研究室は、ど〜こだあ〜?」
「えっ?ええっと・・・?」
弥太郎は学科のパンフレットを思い出す。
「ええっと・・・、どこでしたでしょう・・・か・・・?」
「弥太郎くんはうちの大学で花形の研究をしてみたくは無かったのかい?」
「えっ?ええ、まあ・・・」
「じゃあ、どうして君は峯岸研に来たのさ?理由は?あるのかい?」
広田は弥太郎に問いただす。
「えっ?えっと・・・。り、理由は・・・あ、あります・・・」
「ふう〜ん。それ、いま言える話?」
「ああ、は、はい・・・。大丈夫です」
「じゃあ、聞かせてくれるかな〜?」
「え、え〜と・・・」
弥太郎は一冊の本をカバンから取り出して見せる。
「俺のキッカケはこれっす・・・」
「ええーっ!?弥太郎くん、学生でありながら峯岸教授のこの超!ド・マイナーな本を読んじゃったの?凄いねえ〜?理解できたの?」
「ああ、これ・・・。俺の本じゃないんっす」
「えっ?じゃあ、誰の本だったの?これ?」
「響太郎・・・」
「きょ、響太郎・・・?誰だい?その方は・・・?」
「俺の兄っす」
「お兄さんは学者さんか何かなの?」
「ただの高卒っす」
「機械科で学んでる?」
「そうっす。高校で機械科を学んで後は独学で・・・」
「独学で峯岸教授の本まで読んじゃったの?」
「兄貴って、そういうマニアックなところがあって・・・」
「へえ〜、そりゃあ凄いよ。大した人だあ〜。そ、それで?お兄さんは?いま、どこに?」
「居なくなってしまったんです」
「えっ?い、居なくなった・・・?」
「そうっす。ここの外れにある岬の先っちょで居なくなったんっす」
「もしかして、奥の宮の岬かい?」
「そうっす・・・。その岬の手前で、兄貴のカバンと幾つかのスケッチブック、そして、愛車だけが残ってて・・・」
「お兄さん本人だけが見つからない・・・?そう言うワケ?」
「そう言うことっす」
「君は、お兄さんを探すためにこの土地に来たのかい?」
「それもあるけど・・・。俺はそっちの方はもう、諦めがついて居て・・・」
「じゃあ、どうして・・・?」
「兄さんが残したスケッチは、設計図とその説明だったから・・・」
「それを形にしたいのかい?」
「はい・・・。兄貴がやり残したこと、俺の手で現実にしてやりたいなって・・・」
「その中の一冊が、峯岸教授の本だったと・・・」
「まあ、そう言うことで・・・」
「へえ〜、驚いたなあ〜」
広田は深く感心を示す。
「そのスケッチって見せて貰える?」
「ああ、いいっすよ・・・」
弥太郎はカバンの中からスケッチブックとレポート用紙を取り出す。
「これっす・・・」
弥太郎は広田のデスクいっぱいに紙を広げる。
「ふ〜ん・・・」
広田は広げられた紙の一枚一枚を丁寧に目を通す。
「これは・・・動力なのかなあ・・・?」
「俺・・・、兄さんが消えた岬に立って思ったんっす・・・」
「何をだい・・・?」
「この風・・・」
「風・・・?」
「そう、あの岬に吹く風っす」
「その風がどうしたの?」
「あの土地特有の風を兄さんは見つけたんじゃないかって?」
「何かを感じたの?」
「はいっ。下から上に地形に沿って昇るように吹き上げる風に兄さんは可能性を感じたんじゃないかって・・・?」
「このスケッチを打ち上げるための動力源・・・?」
「そうっす。兄さんは理想の風を見つけた・・・。それで、身を乗り出して・・・」
「天まで吹き上げられてしまった・・・?」
「はい・・・」
弥太郎は広田の視線から目をそらす。
「俺、何度もあの場所に行って、風を観察してて・・・」
「よく知っているんだね?その風のことを?」
「は、はい・・・」
「それで、気流の観測に詳しい峯岸先生を訪ねた・・・、こう言うワケだ?」
「は、はい・・・、それで、間違いないっす」
弥太郎は頷く。
「そう言うことならちょうど良かった。みな君に協力が出来るよ?」
「そ、そうなんですか・・・?」
「そうそう。だから、気落ちしないで?」
広田は言う。
「えっ?気落ちって何っすか?」
「いや、だから〜。うちは、花形研究室じゃ無いよって話さ〜」
「えっ?えっ?ええ〜っ?」
弥太郎は訳がわからないという顔をする。
「峯岸教授はそう言う世渡り的なことは好きじゃない・・・。おかげでうちは零細企業さながらにお金は無い・・・」
「そ、それって?研究費ってことっすか?」
「そう言うこと〜」
広田はニンマリと笑う。
「他の研究室はねえ〜。各省庁からのご依頼にお応えして研究したり、財団に協力してスポンサーになってもらったりして、潤沢な資金援助を得たりも出来る訳だ〜」
「な、なるほど・・・」
弥太郎は頷く。
「でも、ここは、自由な分、細々としてる訳・・・」
広田は深く椅子に座り直す。
「自由を採るか・・・、不自由を選ぶか・・・?君ならどっち?弥太郎くん?」
「お、俺は、間違いなく自由っす」
「そうだろうねえ〜、そうだろうねえ〜。うんうん」
広田は弥太郎ににじり寄る。
「な、何なんっすか?」
「いやいや、そう言うことを言う君じゃなきゃ、天野さんのお坊ちゃんに対峙したり、姫野さんとこのお嬢さんに手を出したりはしないよねえ〜、グフフ・・・」
(き、気持ち悪いなあ・・・もう・・・)
弥太郎は仰け反るようにして退く。
「青春だね〜、君は?」
「は、はいっ?」
「頑張りたまえ!若造くん!」
「えっ?い、いま、協力するって言ってくれましたよねえ・・・?」
「ああ、うん・・・。はい、これ、貴重な資料をありがとうね・・・」
広田は広げられた紙たちを揃い集める。
「はい、これは大事にしてね?」
「は、はあ・・・」
弥太郎は押し返されるように戻って来たスケッチブックたちを受け取る。
「峯岸教授とお兄さんは会ったことがあるのかな?」
「さ、さあ・・・。そ、そこまでは・・・?俺も知らないっす・・・」
「そうか。じゃあ、今度の新歓で聞いてみると良いよ?」
「えっ?新歓って結局やるんっすか?」
「そりゃあ、やるでしょう?」
「は、はあ・・・」
弥太郎は肩の力が抜けて行く。
「おやおやおや〜?元気が無いぞう〜?若者〜?」
「い、いや、そう言うことじゃ無いっす・・・」
「まあ、期待せずに来なさいって♪」
広田は嬉しそうに話す。
(な、なんかあるよなあ〜・・・これは・・・)
弥太郎は苦笑いする。
「今日は?ここで作業するの?」
「ああ、いや・・・。この後は、図書館に行こうかと・・・」
「そう?好きなだけここ使って良いのに・・・」
「はあ・・・。ありがとうございます・・・」
弥太郎は広田に頭を下げる。
「まあ、いいや。約束でもあるんだろう?」
「ああ、はい、まあ・・・」
「姫野さ〜ん?美人さんだよねえ〜」
広田はニヤニヤと笑う。
「し、失礼します・・・」
弥太郎は椅子を引くと席を立ち上がる。
「気をつけて、若造くん?」
「え?」
「良いから、良いから・・・」
広田は、手の平を前後に振る。
「は、はい・・・。失礼します・・・」
弥太郎は首を傾げつつ研究室を後にする。
「面白い子が来ちゃったねえ〜。クククククク・・・」
広田は窓外の空を見上げて微笑んだ。
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