挫折と妥協
小日向葵
挫折と妥協
「そう
脱ぎっぱなしで投げ捨てられた服を拾い集めながら、僕は慰めの言葉をかける。ロングコートに厚手のタイツ。大ぶりなサングラスに野球帽。ご丁寧に肘まである長手袋まであった。力を失った代償として直射日光も平気だと豪語した割に、ここまで重装備でも七月の日差しは毒だったようだ。
我が家には、吸血鬼が居候している。
「そんなに昼間の遊園地に行きたかったのかい?」
「ジェットコースターに乗りたかった」
「あんなのおっかないだけじゃないか」
「そこがいいんだよ」
リサは憮然とした顔のままで言う。
「安全な恐怖って、たまには必要なんだよ。生きている実感がそこにある」
「そんなのここ百年くらいの話だろ?その前はどうしてたんだ」
「……怪談とか」
怪談を聴いて怖がる吸血鬼。どうにもその様子がうまく想像できなくて僕は首を傾げた。
「そんなことはどうでもいいんだ。あたしは吊り橋効果というやつを試してみたかったんだ」
「吊り橋効果?」
「一緒にどきどきして、あんたをもっと虜にしてやろうと思った」
「しょうもない。逆は考えないのか」
「あっ」
コートをクローゼットに戻す。長手袋は一度部屋干しでもしてから箪笥に入れるべきだろうか。タイツは汗を吸っているようなので、洗濯が必要だろう。サングラスも野球帽も僕の私物だから、これは物入れに戻しておく。
「でもおかしいな。去年はノースリーブのワンピースで出歩いても、ちょっと日焼けするくらいで済んだのに。まさかほんの五分で挫折するとは思わなかったわ」
「吸血鬼性が戻って来てるのかね?」
「うーん、そっちの実感全然ないんだよね。十字架触っても平気なのに、なんでだろ」
リサは赤くなった二の腕をさすりながらぼやく。軽いやけどのように見えたので、僕は冷凍庫からケーキについていた保冷剤を取り出して、彼女に渡した。
「ああこれ冷たくて気持ちいいね」
「すぐ溶けるよ。もしまだ欲しいたら、他のがまだ冷凍庫にあるよ」
「保冷剤取っとくなんて貧乏くさいと思ったけど、案外役に立つのね」
「生活の知恵だ」
キャミソール一枚のだらしない姿でリサは笑う。
彼女には、吸血鬼としての能力のほとんどは受け継がれてはいない。何代にもわたる育児放棄の末に、一族が受け継ぐべき力のほとんどは歴史と時間の闇の中へと消えていた。不老不死、そして吸血。あとは由緒ある一族の末裔と言うプライドだけが、彼女が受け継いだものだ。
人との間に子も成せず、ただ永遠の若さを闇の中で持て余す。そんな暮らしをもう五百年も続けてきたのだ、とリサは言った。
「ちゃんと服を着なさい」
「いいじゃないの、目の保養させたげてるんだから」
わざと気怠い声を出すリサに僕は苦笑する。色っぽく振る舞おうとしても、彼女の見た目はどう頑張っても十六歳がいいところだ。長い金髪を掻き乱しても、仕草で誘おうとしてもやはり少女の雰囲気が抜けることはない。
「最近、定期的にあんたの血を飲んでるからかな」
ソファに座る僕に、ひょいと後ろから抱き着いてリサは囁く。
「もっと血をくれたら、ひょっとしたら吸血鬼の力が蘇るかも知れない」
「駄目だ。週に一度の約束だろ?それに、今以上に昼間が苦手になってもいいのか?」
「それは困る。あたしはジェットコースターに乗りたいんだ」
「最近は夜までやってるところもあるんだよ」
「知ってるけど……夜の遊園地なんて、まるで大人のデートじゃないか。あたしはもっとこう、能天気なデートがしたいんだ」
「能天気なデート」
意外な言葉に、僕は目を丸くする。そんな視線へ抗議をするように、リサは僕の前に回ってぎろりと鋭い視線を向け、両手を腰に当てた。
「……闇の住人のあたしが、そんなことを言うのはおかしい?」
「いや、ちょっと意外だなって」
「あたしだって、ちゃんとした恋くらいしたい。そりゃあ、あんたに抱かれるのは好きだし気持ちもいいけれど、たまには気分を変えてみたかったんだ」
「気分、か」
「手を繋いで歩いてさ、いちごのクレープ食べて。着ぐるみと写真撮って、観覧車に乗って」
「写真に写らないだろお前」
しまった、という顔をするリサ。自分の体質のことをすっかり忘れていたらしい。鏡にも写真にも写らないのが吸血鬼だ。
「……曇りの日なら、行けるんじゃないか?次の休みに曇ったら」
「もういいよ」
言ってリサは寂しそうに笑った。
「しょせんあたしは吸血鬼だ、人並みの幸せを手に入れようだなんて考えが、
言いながら、リサは身に付けていたキャミソールをそっと脱いで、僕に渡す。その下はお気に入りの黒い下着。今日はデートのつもりで気合いを入れていたんだろう。
「挫折と妥協。実りの無い情欲に身を任せるのもまた退廃的で、あたしにはお似合いなのかもね」
首筋を舌先が這う感覚がある。ちゅ、ちゅと音を立てて肌が吸われる。二本の牙が肌を探っている。香しい唾液が首筋を濡らしていくのが判るけれど。
「こら」
「えへ、ばれたか」
どさくさに紛れて血を吸おうとしたのを咎められて、リサは照れ笑いをする。興奮と吸血とが連携しているのなら、ある意味仕方のない気もする。
リサの白く細い指がシャツのボタンをゆっくり外していく。僕は彼女から渡されたキャミソールを床にそっと置いてから立ち上がり、にんまり微笑む彼女を抱き上げた。
「苦しゅうない。運んでたもれ」
「謹んで」
リサは僕の肩に腕を回し、そして熱いキスをする。
ささやかな夢でさえも叶えることが難しい。そんな現実を静かに受け止めるこの吸血鬼と、僕はどこまで共に生きていけるのだろうか。首筋に再び牙の気配を感じて、
僕は大きく息を吐いた。
「ねえ。いい?」
「ちょっとだけだぞ」
……我が家には吸血鬼が居候している。
いつまでいるのかは、判らない。
挫折と妥協 小日向葵 @tsubasa-485
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