転生して得た異能力「テレポート」を使ってのんびりスローライフ!

福留渉

第1話 ありがとう

 部屋に響くのは、クーラーのごうごうとした低いうなり声と、ポテチをバリボリと砕く小気味よい音だけだった。

 いつものように3チャンネルを閲覧し、その油でてかった指をなめてきれいにすることもなくつやつやした液晶スクリーンの上を這う。スクリーンが、赤青緑様々にきらめいていた。

 ごつごつして乾燥した指で虫刺されを掻くと、透明な汁が傷口から染み出た。それに気を止めることなく、ただひたすらポテトチップスの袋に腕を突っ込んで、握力で割ってしまわないように繊細さをはらんだその手でゆっくりと引き上げた。途中、何度か油が指にしみていたかった。

「拓郎、お昼ご飯できたわよ」

 ドアノックもなしに、母親の声が部屋にこもった。自分に対して同じ言葉ばかりを繰り返す母は、まるでロボットだった。この出来の悪い自分を、介護するような。

「おう、今行くよ」

 拓郎は短く返事をすると、わずかに血の混じった指先を下でなぞった。血と、濃い塩の味がした。


「拓郎、この後は?」

 拓郎は、母親の話そっちのけでスマホをいじっていた。もちろん、話を聞いていないわけではない。ロボット然とした母は、カレンダー「バイト」と書かれているのを確認して、そのように聞いてくる。基本的に家にいるだけの拓郎にも、わずかながら興味があるのだろう。

 拓郎は今、今日のバイトの時間帯を確認していたのだ。

「今日は、17時から21時だよ」

 スマホを裏返しにおいて、拓郎は持ち直した箸に目をやりそう呟いた。母は、「そう」とだけ返事をすると、そのまま食事を再開した。

「晩御飯は、残しといたほうがいいの?」

「父さんと食べて、残ってたら連絡入れといてよ。なかったら、こっちで済ませとくから」

「わかった」

 拓郎と母は、いつも機械的な連絡しかせず、それ以上の会話があるとすれば、そのどちらかに大事があった時くらいだろう。

「おいしかった、今日もありがとう」

 拓郎はせめてもの会話の糸口に、ご飯のたびに感謝を伝える。

「ご飯を作ってくれてありがとう」

「家に住まわせてくれてありがとう」

「俺を育ててくれてありがとう」

 どれも面と向かって母親に伝えるのが恥ずかしくて、いつも「ありがとう」という。母からしてみれば、ありがとうと言ってくれるのは嬉しいかもしれないが、何に対していっているのだろうというもどかしさがいつまでも胸の内にあることになる。そう思うと、拓郎の胸がキュッと縮まる思いがした。けれど、絶対に口には出してやるまい。頑固とプライドを兼ね備えた拓郎は、どの親不孝よりも勝る厄介さを兼ね備えていた。

 母は、椀に目線を落としたまま、「こちらこそ」といった。


部屋に戻った拓郎は、今日のアルバイトのためにひと眠りすることにした。

わずか4時間のみの勤務も、ひと眠りした満足感のによる後押しがなければ動く気力が生まれないのである。

クーラーの温度をさらに落とし、布団をクーラーの真下まで移動した。通常の睡眠でクーラーにガンガン当たっていると、次の日喉がやられてしまうが、たかが四時間程度の睡眠では、心地よい冷気でよく眠れるのだ。

満腹感が、眠気を誘発する。体温が上がり、それをクーラーが徐々に覚ましてゆく。まさしく、眠るために用意された部屋で、まどろむ視界の中なぜ三十を手前にした自分がこんなことをしているのか、そのことが頭をよぎった。



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