ショート・エンドレス!

思い出280円

 例えば、そう。

 明日世界が終わるだとか、実は世界は5分前に作られたばっかりだとか。

 機械が自由意志を持って行動したりとか、未来には人型アンドロイドが蔓延っているとか。


 そんなありえない、少し不思議なお話の一つです。




 今日は絶好調だった。いつもなら二度寝してしまうアラームを時間通りに止められたし、いつもなら止まってしまう信号を一つも止まらずに通過できた。

 仕事でも目立ったミスをすることはなく、時間通りにお昼休憩を取ることだってできた。些細な出来事が積み重なるとこんなにも多幸感が湧くのだということを、初めて知った。


 たまには自分へのご褒美でも、とちょっと良い惣菜を買ってしまった。ビニール袋を揺らして、家に想いを馳せる。

 家に帰れば2ヶ月前から冷蔵庫にぶち込んであるビールが出迎えてくれる。それまでちょっとの我慢。


 5月とは言え、19時になれば辺りも暗くなる。

 街灯の頼りない灯りをなぞりつつ、帰路を急いだ。

 急げ、ビールは私の帰りを今か今かと待っているのだから。はやく、はやく。


 「おもいで、いりませんかぁ」


 舌足らずな幼い声が聞こえた気がして、歩くスピードを緩めた。きょろと見渡せば、頼りない街灯の中でも一際頼りない街灯の下で白の塊が見えた。


 「い〜いおもいで、わるぅいおもいで、ぜんぶありまぁす」


 普段なら気にせず通り過ぎるであろう私がその塊の前で立ち止まったのは、今日が絶好調だったからに過ぎない。

 白の塊だと思っていたそれは、どうやら白髪のこどもらしかった。ふくふくとした頬に、ぱっさりとしたまつ毛。幼いながらも将来はモテるであろう要素を兼ね備えている。手にはダンボールで作っただろう看板を持っている。絵か何かなにかなのか、見当はつかない。大人用の白いTシャツだけを身に纏ったこどもは、なぜかこの風景に溶け込んで感じられた。


 「おもいでやさん、おもいでやさん、いかがですかぁ」


 膝を付いてこどもの顔を覗き込めば、黄色の瞳が私を捉える。ぎょ、と思いつつも、私は表情を取り繕った。


 「ねえきみ、迷子かな? お外もう暗いよ」


 こどもはパチクリと瞬きした後、首を傾げる。


 「おもいで、いりますか?」


 んん、もしかしたらこの子は少しコミュニケーションを取るのが難しいのかもしれない。見るからに幼いし、交番まで一緒に行ったほうがいいかな。

 苦笑いを浮かべながら、少し失礼なことを考える。小さなこどもの相手なんてしたことない、何をすれば良いのかもわからなかった。


 「思い出はいらないな、パパとママはどこ?」


 「おもいで、いらないの? こんないっぱい、あるのに?」


 「いっぱいあっても持て余しちゃうだけだから。それよりもお家どこ? 帰れる?」


 「いいおもいで、あるよ? いまならさーびす、だよ? たくさんつける、よ?」


 小さい子なのにそんな言葉までわかるのか。まるで魚屋さんのような言い草に、少し笑ってしまう。

 ちょっと楽しく思ってしまった私は、この子に乗っかった形で返事をする。


 「サービス? どんなサービスしてくれるの?」


 「いいおもいで、いつもひとつ。がまん。きょう、ふたつ。さーびす」


 こどもは看板を置いて身振り手振りで話す。いち、に、と形を変える手のひらはふくふくだ。

 また少し笑いながら、それでも私は首を横に振った。


 「それはお得だね、でもいらないかな」


 「なんで?」


 ぐう。

 こどもが問いかけるのと同じぐらいで、可愛らしい音が正面から聞こえた。

 お互いに見合って、ぱちりと瞬きする。


 「……」


 「……」


 カア、とカラスが一声鳴いた。近くの電線で仲間を呼んでるらしい。

 ふと、家でビールが待っていることを思い出した。


 「ねえ、ちょっとだけ良い思い出ってある?」


 こどもは黄色の目を瞬かせ、確かに頷いた。


 「ある、いりますか?」


 私もこどもを見据えて、確かに頷く。


 「一つだけくださいな」


 こどもは頷くとTシャツのネックに手を入れて、何かを探しているようだった。

 そんなところにあるんだと変に感心しながら見ていれば、こどもは強く握った右手を私に突き出してきた。


 「どぉぞ」


 「ありがとう」


 両手で受け皿を作れば、こどもはそぉっとその上に握り拳を乗せる。そしてゆっくり開いた後、私の両手を風呂敷代わりにするように動かした。


 「あとであけて、ぜったい」


 その言葉に私が頷けば、こどもも頷く。

 そのまま立ち去ろうとするこどもに「ちょっとまって」と声を掛ければ、意外にも素直に立ち止まった。


 「ビニール袋の中から一個だけ持ってっていいよ」


 こどもは私のビニール袋を遠くから一瞥すると、首を横に振った。


 「おもいで、いっこ。だいきんない」


 「お店なら何かと交換しなきゃ。お店じゃないよ」


 「……たしかに」


 こどもの中で何か腑に落ちたのだろう。すぐさま私に近寄るとビニール袋を物色し出す。

 かさこそ、控えめな音が数回響いて、こどもはビニール袋から手を抜いた。


 「だいきんもらった、まいどあり」







 カシュ、と軽快な音が部屋に響く。

 一つ減った惣菜を並べて、両手を合わせた。

 「国産牛肉コロッケ選ぶなんて、お目が高いなあのこども」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ショート・エンドレス! @mrmriyy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る