そうして、始まった
35
短編
そうして、始まった。
雨が静かに、地面を濡らして行きつけの喫茶店の外をにぎやかしている時、その人はやってきた。
カラン。僕の好きな音だ。
ドアが開く時、ついつい見てしまう僕は、あの何とも言えない音色が好きなのだ。いつも通り、音の鳴る方を見ていると急に時間が圧縮されたような、呼吸が止まってしまったような、そんな感覚がした。
「綺麗だ」
言葉として口から出ていたのか、心で響いたのか分からないくらい自然とそう思った。
薄紫のブラウスに、ふわりとしたロングの茶色いスカートで、カツカツと小気味良い音を鳴らすショートブーツが印象的な人だった。
僕から見て、正面より少し左側の入り口から真っすぐ進んだ席に腰を掛けて、左耳に肩までかかる髪を掛けながら、メニューを見る姿に思わず見入ってしまった。その人の顔が左を向いて、こちらを覗いてきた。ドキッとした胸の反応で、ずっと見つめていた事に気づいて、慌てて顔ごと下に下げ、顔の火照りと胸の鼓動を抑えようと、一口お気に入りの紅茶を飲んだ。
「やばい。見てるのバレたかな・・・」
そんな僕の焦りを知ってか知らずか、その人は真っすぐ白い腕を上げて「すいません」と声を掛けて、何かを注文した。
ようやく、外の雨音と店に薄くかかっている音楽が耳に入ってきて、僕の心臓も落ち着いた。落ち着いても、その人への興味が落ち着くはずもなく、また恐る恐る顔を上げて、正面より少し左側を精一杯さり気なく向いてみた。
いつの間にか置かれた透明なグラスに、僕の知らない半透明の水色みたいな色の飲み物が入っていて、その人はまた髪を左手でかき上げながら、本のページをめくっていた。
「良かった。どうやら見てたのはバレてないみたい」
なんて考えていたら、その人が座っている席の奥にある窓がバターみたいな色をしながら光りだして、その光の中にいるその人は、動き出すまで僕の空想の中にいる幻のように
カラン。
今度は、空になった僕のグラスの氷が落ちた。
恋の訪れの音は、いつも僕の好きな音だった。
そうして、始まった 35 @35writer
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