第3話 あんた、何者?

「やったー、今日はいよいよハナキンだ!」


 花の金曜日、なんて古臭い言葉を使っているのは、三十代以上のはずだ。

 それでも、この言葉の厚みだけは、どんな言葉にも適わない充足感がある。

 ブラの上からシャツを着て、スーツを羽織った。

 冷蔵庫にアルコール飲料を数本入れて、これで満足だ。帰ってきたら豪遊だ。

 そんな時間を、彼と過ごそうかな。一瞬だけだけど脳裏によぎった思想。


 このときからだろうか。彼を気になる存在、なんて思うようになったのは。


 ♡


 給湯室でカフェラテを飲んでいる私と同僚の阪島さかじまのぼる

 どっちかと言えば美形なほうの彼は、大のアニメ好きで少しだけど社内の女性からは敬遠されている。

 阪島、良い奴なんだけどな。と思う。誰よりも他人を気遣えるし、誰よりも優しくて繊細だ。

 だからこそ、なんだろう。私が彼を恋愛対象としては見ていないのは。気心の知れた弟のような存在だ。年齢も私のほうが上だし。

 私は、繊細な奴よりも鈍感で、気づいたら誰かの助けになっていたというほうが好印象だ。なんか、繊細な奴ってなよなよしていて、姉御肌の私からすれば鞭を振るいたくなってくる。まあ、苛めたくなってくる、というわけ。

 そういえば彼は、どっちなんだろう。

 

 こんなときも、レンタル彼氏のことを考えてしまっている自分がいる。それが厭らしく思う。


「あの、秋月さん」


「なに?」


「明日、一緒に映画観に行ってくれませんか?」


「いや、それは・・・・・・」


 そうすると彼の真剣な眼差しを見て、息を呑んだ。

 この子、もしかして。

 

 私は、下唇を噛んで目元を緩めた。


「ごめんだけど、他当たってくれる?」


 私はずるい女だ。

 こうして二人っきりでいるのに。突き放すような態度を取ってしまう。

 ほんと、ずるい。


 彼の悲しげな顔を見るほどに、胸が痛々しくて張り裂けそうだった。

 なんだ。繊細な人間って自分のことじゃないか。



 私は居酒屋の個室にいた。

 彼――黒田と一緒に。

 ビールを五本目、一気に呷っていると彼は心配したような口調で訊いてきた。


「会社でなにかあったんですか」


「ねえ、好きって感情ってなんだと思う?」


 すると意表を突かれたように、目を見開く彼。そして顔を真っ赤にさせた。


「秋月さんにだけは、言われたくなかったな」


「えっ、なんて?」


 ボソッと何かを呟いたように思えた。しかし彼は頭を振って、いつもの笑みを浮かべた。


「映画では、ホラー映画よりもアクション映画のほうが楽しめますよ」

 映画? この人いま映画って言ったの?


「たぶん秋月さんの好みを知らないので、無理して女の子が好きそうなキャラメルのポップコーンを選ぶと思いますけど、普通の塩味とブラックペッパーでいいんだと貫いてください」


「あなた・・・・・・もしかして」


 カタン。砂時計は三十分を経ったことを伝える。もう上の砂は全て下に落ちきっている。

 もう黒田はいなかった。



 某映画館前。ベンチに座っている彼――、阪島がいた。

 彼は気合いの入った服装。ポロシャツにライトブルーのジャケット。チェックのズボンを身に付けていた。


「さあ、行きましょうか」


 緊張をしているのが声音ですぐに感じ取れた。でもそんな彼が、どこか可愛く思えた。


「ホラー映画の、『あなたをいつまでも見ている』という映画なんですけど、ホラー大丈夫でした?」


 その映画タイトル、まるで青春映画みたいなキャッチね。

 まあ、そんなことより。


「いや、ごめんね。実は恐いの苦手で」


「ああ。すみません」


「いや。いいのよ。私が悪いんだし、今回は奢りでアクション映画を一緒に見ましょ」


「はい」


 受け付けに行くと、どうやらいま上映中の映画は4DXという最新鋭の臨場感を体感できるものらしい。

 少々、値を張ったがそれでも楽しめるなら安いものだ。

 ポップコーン売場では、彼はあの人の予言通り、キャラメル味を選ぼうとした。

 私、甘いの苦手なんだよな。

 塩味とブラックペッパーのハーフアンドハーフを選ばせた。

 それを持って座席に座った。


「あの、どうして今日、誘ってくれたんですか」


「ちょっと気になったからよ」


「え?」


「あなた、私のこと好きでしょ」


「――ッ!!」

 私は苦笑いを湛えた。


「厭な女でしょ。こうやって人を試そうとする。でも、だったら私にその感情を教えてほしいって思って」


「とても変な告白ですね」


 よく言われるわ。変人だってね。そう言って笑う。



「楽しかったですね」


「そうかしら」


「ええっ」


 彼は少々、苦い顔を浮かべた。


「冗談よ。安心して。奢った分もしっかり楽しんだわ」


「抜かりないっすね」


 夕焼けの空を背にした。


「ねえ、あんた。レンタル彼氏ってやってるの?」


「はい? やってませんけど」

 私はしばらく彼の顔を見つめた。嘘を吐いているようには見えない。


「分かった。私の家、こっちだから」


「はい。また会社で」



 部屋の窓から見える空は、水彩絵具でベタ塗りしたような濃くて厚みがあった。

 私は砂時計を逆さまにした。

 すると、インターホンが鳴って、ガチャンと扉が開かれた。

 どうしてか顔が暗い黒田だった。それを追求しようとすると、彼は私に預けた砂時計をひったくった。


「もう、最後にしませんか。全てを話すので」

 そして彼は俯いた。




 

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