第2話 ロシアンルーレット

 こつこつ、とハイヒールの音が響く。

 私はPCに向き合い、ブルーライトの光を浴びながらひたすらにキーボードを打ち続けていた。

 そしたら私の右隣に、膨大な資料が置かれた。


「帆波さん。ごめんね。仕事増やしちゃって」


 目元に涙ぼくろがある、儚げな女性。


「いや、いいんですよ」


 嘆息を吐きそうなのをグッと堪えた。

 どうやらこの女性――高月花梨は今夜合コンに行くらしく、残業の分の仕事を私に押し付けてきたのだ。

 二期上の先輩であるために、どうも強めに出ることが出来ず、許してしまった。

 なんなんだろ、私。

 私だって、合コンとかコンパにだって行きたいのに。

 もう三十歳。新しい出会いとか、見つけたいな。

 頬杖をついて、それからデスクの引き出しを開けた。

 そこにあったのは、桃色のフィルムの飴玉だ。

 彼。独身なのかな。

 そう考えて、首を大きく振る。

 なに考えてんの。彼はレンタル彼氏でしょ。

 っていうか、この年齢になってレンタル彼氏を利用するとかどうなのよ。

 そう、溜め息を吐きそうになる。


 ♡


 午後十時。帰宅して、電灯をつける。

 ベッドにダイブして、枕に顔をつけて叫ぶ。


「ああ、あの女。ほんとっ、ムカつく!!」


 こんなときは、イケメンに癒してもらうしかないわ。ほんと。

 私は砂時計を逆さまにした。そしたら昨日と同じようにインターホンが鳴った。

 外に出ると、彼は微笑んでいた。いつも通りの、甘い微笑みだ。

 抱き締めたくなるほど愛おしいが、そういうつもりで、呼んだわけじゃない。

 今日も、この子をからかってやる。


「どうも、秋月さん。今日はなにしますか?」


 私は彼のように微笑んだ。


「運試し、やらない?」


 そんな口調弾みな言葉に、苦々しい顔を向けてくる彼。



「ろ、ロシアンルーレット?」

「ええ。そうよ」


 机の上には、スーパーで購入した十貫の寿司。


「目隠ししてね」

「えっ、私だけが・・・・・・」


 問答無用でタオルで彼の顔を覆い、それからいたずらをしてやるのが、すごくワクワクした。

 寿司の全てにワサビを塗った。そしてもういいよ、と言った。


「さあ、ひとつ選んで食べてみなさい」

「は、はい」


 萎縮しながらひとつを食べた彼は、むせこんだ。


「アンハッピーね」


 プシュっと缶ビールを開ける。それをぐびぐびと飲みながら苦しんでいる彼を横目に見やる。


「性格が悪い・・・・・・どうせ全部にわさび入っているんでしょ」


「さあどうかしらね」


 彼は麦茶を飲んで、息を吐いた。


「もう、帰ります」


「えっ、早くない? まだ三十分経ってないわよ」


「舌がひりひりして痛いんですよ」


「悪かったわよ、ちょっと歩こ?」



 夜の街灯には蛾が止まっている。


「あなた、年齢はいくつなの?」


「二十五歳です」


「――恋人はいないんでしょ。レンタル彼氏なんかやっているぐらいなんだから」


「今は、いないです」


「今、ってなに?」

 別にいいじゃないですか。そう言った彼の顔は暗かった。

 

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