黒いあげは蝶

日常が戻ってきたけれど、俺はその日常に入ることができなかった。


退屈過ぎるパーティーにくだらなさ過ぎる自慢話から抜け出して、夜の街を1人で歩いていた。


静かな夜の街は、まるで眠っているようだった。


「――あげは…」


その街の中で、俺は呟いた。


お前はどこにいる?


どこで何をしている?


そして、何故黙って姿を消した?


会いたくて仕方がない。


お前が吸血鬼だろうが何だろうが、もう関係ない。


今すぐ会って、今すぐ抱きしめたい。


もう離さないように、このまま俺の腕の中に閉じ込めたい。


その時、フッと気配を感じた。


振り返って確認すると、

「あげは!?」


その後ろ姿は、俺が呼んだ瞬間逃げ出した。


サラリと、長い黒髪が俺の目の前でなびいた。


「あげは!」


俺はその後ろ姿を追った。


まるで、いつかみたいだ。


逃げるお前を俺はこうして追いかけている。


俺は手を伸ばして、あげはの腕をつかまえた。


「――やっ…」


顔を振り向かせると、赤い目が俺をとらえた。


「――正宗様…」


観念したと言うように、あげはは小さく呟いた。


どうしようもないくらいに会いたくて仕方がなかった。


自分の力ではコントロールできないくらいに、あげはにとにかく会いたかった。


「ーーもうお前を離したくない…」


そう言った声は、情けないくらいに震えていた。


「だから…帰ってきてくれ、今すぐ俺の元に戻ってきてくれ…」


言わなきゃ彼女が逃げてしまう。


せっかく再会したのに、また彼女はどこかへ行ってしまう。


「――そんなのできません…」


震えた声で、あげはが言った。


「だったら、俺がお前の元に行く」


どうしてもお前のそばにいたい。


何をしてでもいいから、お前のそばにいたい。


「家も財産も地位も捨てる。


お前が望むなら、国を捨てても構わない」


大事なものを捨ててもいいから。


何もかもを捨ててでもいいから、俺はお前のそばにいたい。


「ーーお前に殺されたって構わないんだよ…!」


血も躰も魂も、お前に奪われるならそれでいい。


殺されてもいいからお前のそばにいたいーーただそれだけの思いだ。


「――ごめんなさい」


小さな声で、あげはが言った。


俺の額に、あげはの人差し指が触れた。


「ーー初めてでした」


あげはが言った。


「わたしに優しくしてくれたのは、正宗様――あなたが初めてでした」


あげはの頬を涙が流れている。


「でも、わたしがあなたと一緒にいることはできません…。


これ以上あなたの隣にいたら、あなたに迷惑がかかってしまう…」


ーー迷惑なんかじゃない!


そう言いたいけど、唇が動かなかった。


「ーーごめんなさい、正宗様…」


あげはの唇が静かに動いたけれど、俺は唇を動かすことができなかった。


「あなたとは、人間として出会いたかった…!」


止まることを忘れたと言うように流れる涙の雫を、俺は目の前で見つめることしかできない。


あげはが悲しそうに微笑んで、

「ーーさようなら、正宗様」

と、言った。


聞き終えたその瞬間、鉛のように躰が重くなった。


ーーズサッ…


俺の躰は地面に倒れたようだった。


だんだんと重くなっていくまぶたに、意識が少しずつ遠くなり始める…。


「ーーもし、あなたにまた会えることがあるならば必ず伝えます」


あげはが何かを言った…けれど、俺は最後まで聞くことができなかった。



あれから、何年か経った。


章子と結婚して、3人の子供を儲けた。


2年前に章子が静かにこの世を去って、3人の子供たちも無事に独立した。


「ーーいい天気だな」


眩しい太陽の光に目を細めながら、俺は広い庭の中を散歩した。


やることを全て片づけた俺は静かに老後を過ごしている…けれど、ふと思う時がある。


「――彼女は、誰だったんだろうな…?」


揺れるような長い黒髪がキレイだったーー彼女のことを覚えているのはたったそれだけで、後は何も覚えていない。


遠い昔の若い時の懐かしい思い出として、それは俺の記憶の中に残っている。


そっと静かに風が吹いたのと同時に、何かが俺の前に現れた。


「ーーあげは蝶…」


黒くて小さなあげは蝶だった。


ユラリユラリと羽を動かしながら、あげは蝶が俺の前を飛んでいる。


その蝶は休むように、俺の足元で咲いていた花に止まった。


少し休んだ後、また羽を動かした。


俺の横をあげは蝶が通り過ぎた。


俺はもう1度あげは蝶を見ようと思って、振り返った。


けれど、あげは蝶はもういなかった。


☆★END☆★

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Swallowtail Butterfly 名古屋ゆりあ @yuriarhythm0214

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説