第5話 おかしなファミレス

「十四時から、ファミレスの面接に行きますよ」と、言われたのは正午、そうめんをすすっていた時だった。ついに日本食らしい食事をした、と感動していると、スマホをのぞき込む悪魔がそう告げたのだ。


「面接?」

「バイトとか、働くときは大抵たいてい面接をするんです。店長さんがその時間なら少し余裕がある、と」


 天使がちゅるちゅると慣れたように啜り上げて口いっぱいに咀嚼そしゃくする。


「ついに働くんだな」

「ついに働きますよ」

「ところで悪魔はどこで何の仕事してるわけ? 悪魔って地獄にいるんじゃねえの?」


 天使って天界にいるんじゃないのか、と言われることはなかった。

 悪魔は口の中のものを飲み込んでから口を開く。


「私は主に死神の監視です。不正なたましいのやりとりはないか、秩序を乱す死神はいないか、そういうものを取り締まっています。いわば死神専用警察官みたいなものですね」

「悪魔の仕事ってみんなそうなのか?」

「いえ。もちろん、地獄じごくで働く悪魔もいますよ。ちなみに地獄に悪魔しかいないわけでもありません」


 もったいぶったようにはしの中のそうめんを悪魔は啜る。あまりに一般に馴染なじみすぎている。

 これ以上しゃべる気もなさそうな悪魔は放っておいて、天使は腹ごしらえに専念することにした。




 赤い屋根の二階建て、という表現が正しいのかは知らないが、一階が駐車場、外付けの階段を上って入店する作りになっている。


「これがファミレス……」

「入りますよ」


 客の入り口と同じところから店に入れば、店員が悪魔にけ寄って来た。


「いらっしゃいませ。おひとりさまですか?」

「店長をお呼びいただけますか? 約束があるので」


 もちろん、これは正しい反応だ。店員は天使に目もくれず業務的な反応をする。店長を呼べ、という言葉にはさすがに戸惑いを見せたが、少しすれば奥へと案内された。


「裏方って感じだな」


 悪魔は天使のつぶやきにすぐには答えなかったが、案内された個室でやっと返事を聞いた。


「もちろん、裏方には変わりありませんから。……店長」

「いやはや、久しぶりですね」


 別の扉からやって来た老齢の男性は、目じりにしわを刻んで頭を下げた。


「お久しぶりです。ご無沙汰ぶさたしております」

「は、はじめまして」


 悪魔のかげかくれて挨拶する天使にも、男性は目を向けた。どうやらこの辺りには、やけに見える人間が多い。ただ、年を重ねた人間に天使や死神が見えるようになる人というものは聞いたことがある。この人もそうなのかもしれない。


「どうしたんだい、その子は」

「昨日拾った天使です。良ければ、ここで皿洗いさせてやってくれませんか」

「小さいねえ」

「自称三百歳なので、悪いことはしないと思います。あと、天使なので一般の人間には見えません」


 自称じゃない、と天使は口を挟みたくなったが、ここで茶々を入れれば話は混乱するだろう。ぐっとだまる。

 悪魔は言い返してこなかった天使のことを見下ろすると、店長の男性に再び持ち掛けた。


「もちろん、他人に見えない以外は普通に扱ってもらって結構です」

「なるほどねぇ。きみ、お名前は」


 男性は悪魔の演説に頷くと、天使の方に顔を向けた。天使は軽く目を反らしながら服のすそを掴む。


「名前はない。二九三番って呼ばれてたし……こいつは天使って呼んでくるし」

「じゃあ天使さん。今日からよろしくね」


 男性は口角に皺を刻んで微笑むと、天使の両腕に何かを乗せた。これは店員のコスチュームだった。

 天使は腕に乗せられた一式を見ると、顔を上げる。


「早速今からちょっと練習、やってくれるかな」


 天使は奥のロッカールームに詰め込まれた。




 エプロンだけを苦戦した。ブラウスのボタンも多くて大変だったが、背中のリボンを蝶々ちょうちょう結びできないのは困った話だった。着替えを終えると、小さい身なりのせいで少しぶかぶかだったが、裏で皿を洗う分には問題ないだろうとスルーされた。

 悪魔に言われたようにその場でくるりと回ってみる。


「どうですか、着心地は」

「ん、んん。なんかそわそわする。布の当たってる面積が大きくてさ」

「次第に慣れますよ」


 男性は天使を厨房ちゅうぼうの方へ案内すると、皿洗いをする一人のスタッフを別の業務に回した。代わりに店長がそこに立って手本を見せる。


 そして練習を始め、三十分もすれば危なげはなくなっていた。

 天使は、自分がやればできる天使なのだと感心していた。今まで本当に怠惰たいだに過ごしていたのだ。少し反省する。


「うん、いい調子だね。何か困ったことがあったら言いなさい」


 店長は天使に声をかけると、悪魔と奥の部屋に入って行った。何の話をしているかは天使には関係ない話だ。


 代わりに入れ違うようにシフトに入って来たのは、ピンク色の髪をツインテールにした派手な見た目の女の子だった。おおよそ、十八歳くらいだろうか。とにかく黙ってスポンジを持つ手を動かし続けることにする。


「あっれえ、新しい子いるじゃん。いくつ?」


 店長以外のどの店員も天使に気づくことがなかったので、これはおどろいた。作業の手を止めて振り返る。


 彼女は何事も思っていなさそうに目をしばたかせてきょとんとした。


「どうしたの?」


は天使ですよ」


 部屋から出てきた悪魔が一言、彼女に告げると、彼女の表情はみるみる明るさをひそめた。


「なんですって?」

「そこの皿洗いは天使です」


 彼女はしばらく何を考えたのか、表情の明るさを取り戻して天使に微笑ほほえみかけることにしたようだった。


「はじめまして。あたし、みくって名前でアイドルやってるの。仲良くしようね」


 天使がこくこくとうなずくと、みくは嬉しそうに頷きを同期する。


「それで、天使が地上に何の御用ごよう? 職場体験かなぁ?」

「……怠慢で、天界から降ろされたんだよ」

「へーえ。なんだ、地上を荒らしに来たわけじゃないのか。安心安心」


 空気が冷たくなったり、温かくなったり忙しい人だ。


 それはいつものことなのか、悪魔は平然としてみくのことを指さした。


「そしてこの人は地獄の執行官しっこうかんです」


 執行官、とは何だろう。少なくとも人間でないのは分かる。


「悪魔とは別?」

「はい。ひとことでいうと悪魔を統率する、悪魔の上位互換的存在です」

「えらいんだな」


「すごくえらいわよ」

「特にえらくないです」


 天使の一言に悪魔とみくが顔を見合わせると、同じタイミングでにこやかに答える。

 どうやら二人は仲が悪いらしい。


 みくはコスチュームのポケットをまさぐると二枚、紙きれのようなものを取り出した。


「これ、あげるわ」

「なにこれ」

「あたしのライブのチケット。もちろん来るわよね?」


 日時と場所が書き込まれていて、切り取り線で簡単に切れるつくりになっている。天使はれた手をタオルでくと受け取った。


「『くりてぃかるぷりん』?」

「相変わらずふざけた名前ですね」

「かわいいのよ」


 みくが悪魔を一睨ひとにらみするので、天使は控えめに頷く。


「それじゃ、あたしはホールの仕事をこなしてくるわ」


 天使が受け取ったチケットの行き場を失っていると、悪魔が横から引き抜いた。天使は声には上げないがうばわれたことに反応する。


「行きたいんですか?」

「い、行っちゃダメか? アイドルって、ステージの上できらきらおどってるやつだろ?」

「アイドル願望でもあったんですね」

「ちがう! で、でも一回くらい」


 悪魔は天使のお願いに眉を曲げた。


「仕事がんばるから!」


 悪魔は天使の必死さに根負こんまけけしたか──いや──しぶしぶ頷いた。チケットは丁寧に悪魔の着るスーツの内ポケットにしまわれる。


「ご褒美ほうびに、ですよ」


 天使が顔に花を咲かせると、悪魔はため息をついた。どうしてそこまで行かせたくないのか。よっぽど悪魔とみくとは仲が悪いのだと、天使は思った。



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天使さんと悪魔さん! 正徳タコ @seit0kutak0

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