第4話 過労死寸前大家さん

 ありがたいことにこの悪魔の図体ずうたいの大きさが役に立っていた。百九十が満足に収まるベッドは横幅も広いらしく、天使は不便なく眠ることができていた。しかし天使は夜が明ける、というものを始めて目の当たりにし、それによって夜明けで目が覚める体験をした。

 ぐるり、と体勢を変えてみると目の前に悪魔の顔がせまる。天使は悪魔の顔を見て、「こう見ると、どこにでもいそうな普通の悪魔だな」と思った。


 え切った目のまま寝ころんでいるのも苦痛だったので、ひとまずベッドから降りてみることにする。

 悪魔は夢見ゆめみでも悪くなったのか、先ほどと違って眉間みけんしわが寄っていた。天使がそっと眉間を撫でさすると、悪魔の表情も穏やかに戻る。


 そのとき、悪魔の眠りなど構わずチャイムが鳴り響いた。

 天使はおどろいてしのび足で部屋から出る。

 玄関扉の小さなのぞき穴から訪問者を確認すると、それはただ普通の女性だった。手に何か紙を持っていて首をかしげている。そのすぐ後ろには黒いローブをまとったこれまた大きな男性。


「し、死神……!」


 天使が思わず声に出すと、ドアの向こうの女性が去ろうとする足を止めた。


「あれ、居留守ですか? 大家ですー!」

「すいません、寝てました」


 天使が思わない後ろからの声に驚いて振り返ると、まばたきをり返している死神が立っていた。チャイムで起こされたのか、目覚めた直後で目が開ききっていない上に髪もぼさぼさだ。

 天使に下がるように言うと悪魔は扉を開ける。


「寝てたんですね、すいません。これ、上の階の工事の連絡です。しばらくうるさいかもしれないので」


 茶髪巻き髪の女性は持っている紙を悪魔に手渡すとにこやかに説明を始めた。


「わざわざ通達つうたつありがとうございます」

「いえいえ。ご迷惑おかけします」


 会話も終えて去るかと思ったが、女性は天使の方をのぞき込んで微笑ほほえんだ。


親戚しんせきの子ですか?」

「悪魔に親戚はいません」

「またまたご冗談を」


 天使は何が何だか訳が分からなかった。

 目の前の女性は人間で、人間から天使は見えないはず。悪魔という言葉を軽く受け流していて、そのうえ後ろに死神が張り付いている……!


 天使は悪魔の背中をつつくと小声でたずねた。


「あくま、悪魔。後ろの死神、教えてやらねえの?」


 しかし返答したのは悪魔ではなく女性の方。


「こんにちは。私、大家光おおやひかるといいます。後ろのこの死神はイトウ110さんといいます」

「ひかちゃんが勝手にそう呼んでるだけで俺は死神番号一一〇イチイチマル番だ」

「そしてこの死神は私のストーカーです」

「ただのストーカーじゃない。公認ストーカーだ、間違うな」


 天使はよく分からない茶番劇ちゃばんげきに付き合わされていると気づき、悪魔に助けを求めた。


「なにこれ?」

「大家さんは数年前、過労で死のふちを見ています。それで魂を狩りにやって来たのがこの死神一一〇番。この死神は大家さんに一目惚れして、それ以来ずっと付きまとっているストーカーなんです」

「今公認とか言ってたけど?」

「大家さんは今仕事がすごく楽しいらしいので、命を死神のストックから借りてるんです」


 それだけです、と何事もなさそうに悪魔が言うので、天使は頭を抱えた。

 逆に大家は天使のことを悪魔に尋ね返す。


「この子は親戚の子じゃないなら誰なんですか? もしかして誘拐ゆうかい?」

「保護です。……昨日シャッター街で拾った天使です」

「今どき、捨て天使なんてのがいるんですね!」


 大家は手を合わせて感動している。天然なのか、それは普通の反応としていかがだろう。捨てられていない方がいいに決まっているのだが。


「じゃあ、天使ちゃんなのね」

「『ちゃん』って言うな!」

「あら、女の子じゃなかったの? ごめんなさい」


 大家は悪魔の方を見上げると、悪魔はえてきた目を少し伏せてから口を開いた。


「天使に性別はありません」

「あら」

「なので『天使ちゃん』でも間違いではありません」

「間違いだ!」

「お好きなようにお呼びください」

「なんで、あんたが決めてんだよ!」

「私は、その気になればこの天使一匹くらいメスにできます」


 大家は口に手を当てて驚いた顔をしている。天使は「へ?」と間抜まぬけな声しか出なかった。


「天使の多くは性別を決めていないだけで、個人の意思で性別を作ることができます。もちろん、生殖器せいしょくきは作れませんが、見かけ程度であれば人間のマネできます」


 悪魔から見下ろされて天使は壁を背にちぢこまった。

 もしかしたらこれはちょっとした牽制けんせいなのかもしれない。そう思うときもも冷えた。

 やっぱり悪魔は悪魔だ。


「そ、そうなのね。……じゃあ、天使、またね。悪魔さんも、しばらくご迷惑おかけします」


 大家は苦笑いを浮かべると、階段をけ上がっていった。後ろの死神は何か言いたそうに口を開きかけたが、すぐに大家の後ろをついて行った。


 室内には再び天使と悪魔だけに戻る。


 天使がしばらく動けないでいると、悪魔は小さくため息をついて「冗談じょうだんですよ」と言った。


「え?」

「冗談です」

「……」

「ただ、性別を作れるのは本当です。もし、私が貴方を口説くどき落としたとして、貴方が見事恋に落ちれば、貴方自身がメスになろうとしてしまう可能性は上がります」

「冗談だと言ったのは、私が貴方を口説き落とす、という行動についてです。当たり前ですが、私は子供に興味はないです」

「さ、三百だってば」


 天使の小さなあらがいは気を反らすためのものだった。

 悪魔は狭い玄関を去っていくと、リビングのソファに腰を下ろす。たわいもない話をした後のようにあくびを一つして、リモコンを手に取っていた。


「ただ、悪いやつもいることは確かです。気を付けてください」


 悪魔は朝の情報番組をつけると何も言わなくなった。


 天使は小さな声で「うん」とだけしか、返すことができなくなっていた。





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