第16話 水瀬は赤ちゃんプレイタイプ②
女子たちのじゃれ合いが落ち着いた頃。
目を閉じた俺たちは、机の上に制汗剤を置いた。
去年の体育祭の帰りに適当にコンビニで買ったフローラルの制汗剤。
『数度しか使用してなかった』ので、今年もリュックに入れていたが、赤ちゃんプレイ役を決める籤として使われるとはな。
人生分からないものだ。
俺は、女子たちをチラリと一瞥する。
久島の生贄になることを知らない無垢な笑顔を見せていた。
うっ……心苦しい。
今すぐ開け放たれた窓に向かい、この板挟みの思いを吐き出したい。
「フローラルあるじゃねーか!」
久島光輝が耳うちをするので、俺は適当に相槌を打つ。
「あ~、な」
そんな俺の言動を光輝は無視をする。
満面の笑みを見せながら、パチンと両手で叩いた。
「それじゃ、次に5本の中から、異性に使ってほしい制汗剤を選んでくれ!」
「久島にしてはまともじゃん」
「あたしもちょーっと驚いたかも」
「だろ。年がら年中発情している人間とは違うんだ。野球に打ち込み泥臭い――」
「休み時間なくなるよ」
「そうだった。時間もないから一斉に指を指すとしますか!」
「ならそれで」
遊びとは言え、相性テストだ。
雫の一言で空気が若干張り詰めた気がした。
俺はどれを選ぶべきか。
自分が持っている制汗剤は……無理だ。
久島光輝の嬉々とした表情が向けられるだろう。
『小鳥遊ってド変態なんだな!』
大声で言われる可能性もある……
とは言え、雫やくるみ、光輝が持っている制汗剤を選んでも面倒だ。
……消去法的に水瀬が使っている制汗剤を選ぶしかない。
水瀬なら分かってくれる。
たった2日一緒に過ごしただけだというのに、何とも言えない信頼感が心の中に湧き上がってくる。
水瀬から香ってくる柔軟剤の匂いは石鹸。水瀬の家も石鹸。
水瀬、だよな?
確かめるように、俺は水瀬の顔を見た。
珍しく表情が硬かった。
不安そうに口をやや噤みながら、必死に制汗剤を次から次へとチェックしている。
「星宮?」
俺はそう呟いていた。
しかし、光輝の大きな声にかき消される。
「じゃ、3・2・1で一斉に指を差そうぜ」
「お~け~」
「よ~しじゃあ、始めるぞ!」
くるみや雫は気付いていないようで、同じく嬉々とした表情をしている。
俺だけか。水瀬の異常に気付いているのは。
なら仕方がない。
事情を聞きますか――
「久島くん。ちょっと待ってほしい!」
「水瀬?」
水瀬は左手を机の前に伸ばすと、制汗剤を手に取る。
その異常な行動に、俺たち全員が唖然とした。
「そういうこと!」
最初に呟いたのは、雫だった。
ニヤケ面でくるみと頷きあっている。
俺と光輝はと言えば、呆けるしかなかった。
お互いに顔を見合わせて、小首を傾げる。
「水瀬~何やってんだ?」
俺の顔をチラリと見た水瀬は、さっき使ったノートを久島に見せている。
『ごめん! 話せない!』
「くっ! 俺が何をしたって言うんだ!!」
机に半分突っ伏して、嘘泣きを始めた光輝。少し同情はする。
しかし、水瀬は無情にも光輝の肩をチョンチョンと叩くと、再びノートを見せていた。
『制汗剤取れないからどいて!』
「くぅ~効く! ドMになりそう!」
「ほんときも」
くるみの辛辣な言葉を無視した光輝は、何故か俺の顔を見てくる。
「な、なんだよ……」
「小鳥遊なら分かるよな」
その話題を俺に振るな。
俺は平穏無事に高校生活が送りたいんだ!
「小鳥遊マジ?」
「有本さん。そんなわけないだろ」
だから、ジトっとした目で見るの止めろ。
そして、逆に恍惚とした表情で見てくる田中くるみさん怖い。
「分かった!!」
清々しい快晴のような声音が隣から聞こえてくる。
横を向くと、水瀬は向日葵のような笑顔で、フーッと安堵の息を漏らした。
「水瀬、ほんとかわ」
と雫がニヤッとした笑顔を見せる。
「私もそう思う」
「男だったら絶対に嫁にする」
「私も。毎日抱き着きたい」
「普通でしょ!」
「「いやいや普通じゃない」」
二人は、ブンブンと大きく横に首を振っていた。
そこまでリアクションされると、流石の俺でも気になってくる。
俺は水瀬を一瞥すると、目を逸らされた。
なんで?
「よく分かんないけど、もう初めていいか?」
光輝がそう言う。
俺たちは4つ子のようにタイミングよく首を縦に振る。
「それじゃ、3・2・1で。3・2・1」
俺は計画通りに、石鹸の制汗剤を指差した。
雫は無香料のノーマルタイプ。
くるみは、柑橘系のドSタイプ。
光輝は、なんと俺と同じドMタイプを指差していた。
目と目が合う。
光輝は、サムズアップした右手を何度も小刻みに降っていた。
……何とも言えないゾワゾワした感覚が全身を包み込む。
さっきのあいつの言葉は、あながち間違いじゃないのか。
『小鳥遊なら分かるよな!』
光輝の笑顔と共に反芻(繰り返される)される言葉。
俺は、ドMなのかもしれない。
そう思うと、途端に寒気がした。夏の湿度を、一瞬で変えるような。
いいや……違う。
そう思って光輝の顔を再び見ると、光輝は右手でさり気なくフローラルの缶を指差した。
俺は誘導されるように、視線をずらしていく。
艶やかな爪。
細い人差し指。
白く毛穴が全く見えない腕。
キラキラと輝く金髪と三日月状になった薄桃色の唇。
星宮水瀬は、赤ちゃんプレイタイプだった。
先日の水瀬の裸体が脳裏に浮かぶ。
え? そういうこと?
そう言えば、変なことをリビングで口走ってたな。
料理を作りたいとかなんとか。
え? そういうこと?
水瀬は、ド変態だと言うことなのか?
心臓がバクバクだった。
そのまま視線を上にずらしていく。
シュッとした鼻。
そして……赤く輝く虹彩は、キラキラと輝いていた。
曇り一つない快晴の空。
純粋にこの相性テストを楽しんでいるかのような。
まさにそんな表情で、俺を見ていたわけだ。
あっとしてしまったね。
星宮水瀬は、やっぱり現実世界でも純粋そのものだ。
でも、なんでフローラルを。と疑問に答えるかのように、光輝が口を開く。
「缶の持ち主はと相性がいい設定で!」
「久島~、設定ってなによ。あたしは自分の無香料タイプ選んだけど」
「雫。つまらん女だな」
「なっ……!」
「くるみは?」
「私は~、柑橘系? やっぱ爽やかじゃん」
「つまり、ツンデレだったのか」
「それって……」
「そう! この俺のだ!」
「あああああああああ」
瞬間、頭を抱えたくるみは、膝から崩れ落ちた。
「好きだったんだな!」
「止めて!」
「キスしてもいいんだぜ」
「止めて!!」
光輝は、くるみの肩をポンポンと叩いて楽しんでいた。
「それでー? 小鳥遊はどうだったの?」
雫は、ニヤケ面でこちらを試すかのように見てくる。
「俺はフローラルだよ」
「水瀬は?」
「わ、私は、石鹸」
知ってるとも。他の人の制汗剤を指差さなくてよかった。
未だに馬鹿にされているくるみを見て、心の底からそう思う。
「ということは~、二人とも相手の制汗剤を指差したってこと!?」
俺は確かめるように、フローラルの缶を見る。
俺の缶を指差した水瀬が確かにそこにいた。
そして、照れくさそうに微笑んだのだ。
「うん。そうみたい」
幸か不幸か。
そのタイミングでチャイムが鳴った。
水瀬が何故微笑んでいたのか。
水瀬がなぜ制汗剤を必死に選んでいたのか。
聞く機会を得られそうにない。
同時に、今朝方からの自分自身の勘違いなドキドキについて知られることはない。
椅子を引いて着座すると、右肩をチョンチョンと叩かれる。
「相性良いって。良かった~」
自然に微笑む水瀬さん。
純粋系Vtuberも困りものだ、と思った。
教師が入ってきてから、席に座るまでの間ずっと、俺のことを見ているし。
はぁ……っと俺は小さく溜息をついて、いつものようにスマホを取り出すのだった。
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ネトストから助けたら学校一の美少女インフルエンサーが変態世話焼きヤンデレになって俺を放してくれない 駆流いつき @kuryuitsuki
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