第9話 深夜の来訪者。
先頭に夫を据えて向かってきた一団の中に当然私の味方はいない。
「こちらにおられましたかシルビア様。勝手に館の中を歩かれては困ります」
そう言って到着するや否やこちらを睨む夫。何でさ。私はオムツを洗ってただけで、彼女へのアクションを起こしたりしてませんってば。助けに来てくれたとか思ってはないものの、一瞬でもほっとしてしまったことが悔しい。
しかし夫の登場で最も特筆すべきは、シルビアと呼ばれた美少女の表情の変化だろう。それまでお包みの中の娘ごと、こちらを排除するつもりかと疑うくらい殺気立っていたのに、背景にお花でも飛ばす勢いでパッと微笑みを浮かべた。女子力ってこういう使い方もあるんだ。
「ジェラルド! 貴男がわたしを放っておくからじゃない。せっかくお姉様の近況を持って遊びに来てあげたのに」
「はぁ……そうであれば、大人しく本館の方でお待ち下さい。供の者達もそう言っていたのではありませんか?」
「だってこの屋敷ったら退屈なんですもの。だから、暇潰しをかねて泥棒猫を見に来たのよ。貴男の相手がお姉様でないなら、わたしだって良いはずだもの。そうでしょう?」
「お戯れを。それと我が屋敷では猫は飼っておりません」
「そういうところ、昔から本当につまんない」
こっちの存在を無視して仲睦まじいですこと。二人の間に流れるこの気易い感じから察するに、同格――じゃないな。家格がやや上の家の幼馴染か。それでこの美少女は夫より歳下で、夫はこの子の姉に惚れている……のかな?
まぁまぁベタなシナリオだけど、身分差からすれ違う男女ものも嫌いじゃないですよ。それらが後々引き起こす愛憎劇が自分と無関係ならね。こちとら二度も夭逝したくはないので。
オロオロと二人のやり取りを見ている使用人達と、蚊帳の外すぎる妻子。色々と情報が少なすぎて分からないけど、正直うざ絡みされるよりは万倍マシなので、そっと娘を抱きかかえたまま後ずさる。鋼の精神を持っている愛娘は小さなお手々を握りしめて夢の中だ。しかし――。
「ちょっと待ちなさい。まだ話は終わっていないのにどこへ行くの」
肉食系チーター女子が目敏い。草食系インパラ女子な私には、呼び止められたら立ち止まる以外に選択肢はないのだった。アイリーンを抱いたまま棒立ちになる私と彼女を見比べた夫は、あまりに接点のない対比に片眉を持ち上げて「彼女と話、ですか」と訝しむ。
「そうよ。その使用人が抱いているのは、貴男とあの女の子供でしょう? もしもジェラルドに似ずに不細工だったら許さないんだから」
「いえシルビア様、彼女は――、」
「旦那様、お嬢様を奥様の元へお連れしてもよろしいでしょうか。そろそろお嬢様のお食事のお時間ですので」
暗に〝面倒事に巻き込むんじゃねぇよ?〟と圧を発したところ、夫はすぐに察してくれたようで、眉間に皺を刻んだまま「分かった。下がれ」と言ってくれた。向こうにしたって見窄らしい契約妻を見られたくはなかったのだろう。
なんて言ったってシルビア様付きの侍女や、この屋敷の女性使用人達がいるこの場で、一番地味モブ顔なのは自分だと自負している。見た目が完全に洗濯婦。どこに出しても恥ずかしいなら屋敷の離れに隔離しちゃいましょうね。ということで可及的速やかに戦線を離脱した。
そして結局その後も長々と愛のない新婚家庭に居座った彼女は、夕食を夫と摂るというマウンティングをして帰って行ったっぽい。
ただ残念ながら結婚後一度も食事を一緒にしていないので、羨ましいとかいう気持ちは全然ないため完全に独り相撲である。夕食の席で彼女に給仕した使用人達はどんな気分だったんだろう。誰か一人くらいこっそり〝この行為、無意味ですよ〟と耳打ちしたくならなかったのか?
もしも仲良くなる機会があれば聞いてみたいものだ――なぁんてことを考えながら、自室前に一人分だけワゴンで運ばれた夕食を受取り、自分でテーブル上にセットし、それらを平らげながら娘に授乳をした後、用意してもらったお湯を使って湯浴み(当然一人で)をした。
この生活って普通の貴族令嬢だったら憤死するかもだけど、前世兄妹多めな一般家庭出身だと、献立に悩みながら値札とにらめっこして買い物せず、調理しないで美味しい食事が毎食出てきて、食後の洗い物をしないで良いなんて最高である。娘も超絶可愛いし。
けれど流石に出産した日以来のストレスフルな一日に体力も限界だ。とはいえまだ寝落ちするわけにはいかない。
新たに得た情報を書き留めておこうと青い表紙の鍵付きノートとペンを手に、書き物机に向かいつつ、お腹いっぱいになってうとうとしているアイリーンの背を軽く叩き、ゲップをさせながら分かった分の情報整理をしていく。
まず一番重要なのは、夫の想い人の立ち位置。伯爵家より高位となると侯爵か公爵。第二王子の母親が彼女なのかはまだ分からないが、王族と近しい可能性を考えればこの爵位が妥当だろう。
前の頁に書き起こしたプロットを確認するに、第一王子は王弟の息子。この時点ですでにこれから先に起こる出来事が予測される。現国王はまだ存命だけど子供を授かるのが遅かったらしく、すでに四十代。どんな人物かは知らないけど目立って不人気だという噂もない。
でもこの後の歴史によっては弟に下剋上される。そして第一王子と第二王子の逆転ねじれ現象が発生。そしてこの第一王子と第二王子を取り巻く派閥の間で、うちの冷遇夫が暗躍する……と。
その時にすでに死んでるっぽい私に出来ることがあまりに少なそうだが、ここでめげては娘の将来がベリーハードになる。諦めたらそこで試合終了だよを合言葉に心を奮い立たせた。
夫は第二王子を祭り上げる側の貴族で、第二王子と年齢が近い娘をその婚約者候補にと目論む……だったね。ヒロインの登場に気付けなかったのか。もう少し情報収集頑張ってくれよな。
あとは夫の一方的な横恋慕なのか、実は将来を誓い合っていたにも関わらずその美貌故に略奪されたのかとか、ここも調べていかないといけないか。ドラマチックな展開にはことかかないのは読者的には嬉しく、作者的には伏線考えるので悩ましい。
うんうん唸りながらノートにチャート形式で書き込んでいると、不意に部屋のドアがノックされた。時計に目をやるといつの間にか十一時を指している。これまで蝋燭やランタンオイルを節約しろとは言われていなかったが、もしや今夜こそ怒られるのだろうか?
一応言い訳すべく頭を回転させ、書き物机の上のランプの明かりを絞り、ノートを閉じて抽斗にしまってからドアへと向かったのだけれど――……。
「あら、まぁ。お渡りになるとは聞いていなかったのですけれど、今夜はこちらでお休みになられるのですか旦那様?」
開けてすぐそこに立っていた人物を見上げてそう尋ねた声は、情けないことにほんの微かに掠れて震えた。
悪役家族の原作者◆転生先はテンプレ冷遇伯の妻でした◆ ナユタ @44332011
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