第8話 プロットにない嵐が来たね?
――マーサが実家に戻って六日目。
ここで片道三日だからもう帰ってくるね! という楽観的な考えは禁物だ。恐らくかなりな量がある小説をこちらに安全に持ち帰るには、梱包に時間を取られる。おまけに私の家族や、実家に残っている同僚達とも積もる話があるだろう。向こうでの足止めが二日か三日あると考えるのが妥当だ。
福利厚生を考えればドーンと一週間は休んでとか言いたい。でも流石にそれは味方ゼロの現状辛いから、五日くらいで帰って来てと念じる。
そういうわけで、今日も青空の下でせっせとオムツを洗いながら、抱っこと洗濯で痛む腰を擦りながら絶賛ワンオペ中だ。
結局初日の夫の気まぐれダンスイベントはあれきりで、それが問題なく踊れたからなのか、居眠りをした際に起こさないで時間を無駄にさせたからなのか、以前までのように放置されている。
一応あの後、貴族名鑑を貸してほしいと頼んだら貸してもらえたので、避けられているとか、無視されているというのではないっぽい。なのでただ興味がなくなっただけだろうと踏んでいる。
マーサがいないので話し相手になってくれる人はいないものの、アイリーンは相変わらず可愛いし、お世話は大変だけど概ね幸せだ。今日は昨日完成した新しいお包みがお気に召したらしく、私がオムツを干している間に、端っこを噛みながら眠ってしまった。ふふ……明日早速洗う羽目になっちゃったわ。
とはいえ一時の訪れたこの平和な時間を無駄にするのは勿体ない。早速愛娘の隣に腰を下ろし、持ってきておいた赤いノート(娘成長記)を開く。そこに〝新しく作ったお包みを気に入ってくれたみたい。何歳になるまで使ってくれるかしら?〟と書き込む。
赤ちゃんの頃に使ったタオルケットとかって、小学校の低学年までは余裕で使っていた記憶がある。当時は第二の母の胸のような気がしたものだ。そんなことを思い出して独りほっこりしていたら、本館の方から誰かがこっちにやって来るのが見えた。
しかしこの屋敷に嫁いで来てからこれまで私への来客は一切ない。きっと新しい使用人が入ってきたか何かで、こちらの別館には近づかないで良いという説明でもしにきたのだろう。何にせよ自分には関係のないことだと判断し、再びノートに視線を落としたのだが……。
「ちょっと、そこの見窄らしい使用人。ここにジェラルドを誑かした女が住み着いているらしいのだけれど、どこにいるのか知らない?」
まさかの私に御用がおありの方だったらしい。しかも声にかなり攻撃的な響きが含まれている。抜群のプロポーション、大きくてやや垂れ目がちな双眸は暖かみのある金茶、丸く形の良い額と黄金比な鼻と唇、くすみのない白い肌、なのにどこかまだあどけない印象を残す顔立ち。
そんな非の打ち所などどこにもなさそうな、男性の庇護欲を掻き立てる女性は、蜂蜜色の髪をなびかせながらこちらに近づいてくる。質問の体を取ってはいるけれど、実際は明らかにこちらを敵だと認識していた。何かあってからでは遅い。瞬時にノートを閉じて娘を抱き抱え、いつでも走って逃げられるように体勢を整えた。
「聞こえなかったの? わたくしがお前の主人はどこかと訊いているのよ」
さも不思議そうに問うてくる声。そこには他家とはいえ、たかが使用人に情報提供を断られることなど考えていなさそうな、絶対的強者の風格がある。
しかも明らかに不法侵入をしているのは彼女の方なのだけれど、本館からは誰もやって来る気配がない。ということは、さっき夫のことを〝ジェラルド〟と呼び捨てにしていたことからも、彼と親しい間柄なのだろうと察せられる。そこから導き出される答えは愛人、幼馴染、元婚約者。
成程、出産後に修羅場イベント発生するのか。物語の筋的には王道だなぁ。ふんわりプロットを立てた私が悪いとはいえ、せめてそこは身辺整理をしてから結婚させてくれよ創作の神様。
この状況で下手に答えて刺激したら面倒そうだけど、かといって答えないで逆上されるのも困るし、ここは素直に答え――ないでお茶を濁すか。
妻として情けないことながら夫のスケジュールを知らないので、彼が今どこにいるのかも分からない始末ですからね! 我、契約妻ぞ? 責任者不在で事を荒立てて良いことなんて一つもないのである。ということで。
「お客様、申し訳ありませんが……奥様は本日ご気分が優れないため、お部屋でお休みになられております」
ひとまず軟着陸を求めて低姿勢でお断り。
「あらそう。だったらその部屋に案内しなさい」
しかし無慈悲にも回り込まれてしまった。
「いえ、お約束のない方は通さないようにと命じられておりますので、どうかご容赦下さいませ」
「まぁ生意気ね。良いわ、勝手に部屋を探すから」
おお……やっぱりというべきか、綺麗な子だけど人の話をまったく聞かないタイプだわ。おまけに一応今の別館の主人は私だから、勝手に歩き回られるのは困る。夫からの皮肉とか聞きたくない。さてどうしよう。
内心ぐぬぬと唸りつつも、表面上は無に徹してそう考えていた矢先、私に向けられていた彼女の視線が腕の中の娘に落ちた。ちなみに母親のこんな絶体絶命の大ピンチにもスヤスヤ眠っている。
彼女の視線から隠すようにお包みで顔を隠せば、相手は目敏く「ねぇお前、その抱いているのはジェラルドの子なの? 見せて」とさらに一歩近づいてきた。いやいや、そんな敵意丸出しの人を相手に、どうして可愛い我が子を見せられると思うのだ。
やんわりと首を横に振り、そーっと距離を取る。でも当然ながらこちらが後退ればあちらは前進するわけで。綺麗な子のギラギラした目って想像以上に怖い。もしや私のこの世界での死因ってこの子だったりする? それは少々安直すぎやしませんか?
こうなったらもう、駄目もとで本館に走って助けを乞うべきかと覚悟を決めかけたその時、本館の方から妻たる私とは違う女性名を呼びながら、数人の使用人と夫が走ってくる姿が見えた。
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