第7話 心の距離、遠っ。
「おい……背中のそれはふざけているのか?」
「いいえ。まさか。ふざけていない証拠に、こうしてダンスの練習をしているではありませんか」
「もしや当日も背中にそれを背負って行くつもりか?」
「まぁ、ふふふ。それこそまさかですわ旦那様。当日は侍女に任せます。今日は家に帰らせているのでこうする他ありませんの。ねぇアイリーン?」
「あぷう」
オムツの洗濯後せっかく三工程だったところを、愛娘に水分補給をさせるという一手間を挟んだせいで結局四工程となり、火加減を間違えたベーコみたいにカリカリした夫に連れられていったのは、本館の方にある夜会を開くダンスホール。
ちなみにここに来るまで娘には一瞥もくれていない。抱っこも立ち眩みをしたばかりの私がしている。自室での水分補給時に抱っこ紐を持ってきた自分、グッジョブだわ。
侍女のような格好のまま立ち入るのは憚られる場所にも関わらず、夫はズカズカと入っていき、入り口付近で中を眺めている私を不快感丸出しの顔で見つめて手招いた。ここに来るまで説明のひとつもなかったのに、そんな察しが悪い女を見るような目をされてもね。サトリじゃないんだよこっちは。
説明時間すら不要という効率厨に則って、こちらも効率を重視した結果、ぺたんこ靴を履き、抱っこからおんぶに変更した愛娘という出で立ちで、当日を仮定したダンス中である。
それとダンスをしながら当日集まる貴族の名前をつらつらと教えられても、半分も憶えていられるか怪しいんですよ。あとで馬鹿にされることを覚悟で、貴族名鑑を貸してくれるように言ってみようか。
何にせよ体幹鍛えるのにはちょうど良さそうではあるものの、キツイはキツイ。でもそこは腰をホールドしてもらえて、男性側からリードがあるというダンスの特性上、ちょっとだけ楽なのである。加えてゆらゆらとした動きがお昼寝をさせるのにピッタリ。これぞ孔明の策並に死角なし。さらには――。
「ほら、このようにお利口にしておりますから、お気になさらず」
「……気にするなというには無理がある」
「そうですか? では娘の顔を見ながら踊って頂ければと」
「んぷぅむ」
可愛い愛娘に無関心な夫の視線誘導も出来るのだ。踊っている最中、私から娘の顔は見えないけれど、目の前の美丈夫が眉根を顰めている様から鑑みて、娘と夫の視線はばっちり噛み合っているはずである。しかし。
「何を馬鹿なことを……と、おい髪の毛を引っ張るな、これ以上髪型が崩れると見窄らしさが増す。その涎も止めろ」
「ふにゃ、ふ、ぅぅ〜……」
「あらら、大丈夫よアイリーン。令嬢はこんなことで泣かないの」
アイ・コンタクトで親近感を持ってもらう作戦は駄目だったみたいだ。娘の体温が背中越しに上がるのを感じる。この体勢で泣かれたら耳が死ぬ。阻止せねば。乳飲み子相手にマジレスする精神がよく分からないけど、好意的に受け取れば人の年齢によって扱いを変えない人物と言えなくもない。
たぶん違うけど。というか見たまま余裕のない大人でしかない。でもまぁ、自分の子供だと思ってない乳飲み子は鬱陶しいのだろう。契約して産ませた子供(性別が注文と違う)であれば尚更だ。
母親の私でもマーサの手助けがなかったら、ここまで心にゆとりはないと思うし。何にせよ本日の仲良し親子作戦は失敗だわ。次の機会を狙おう。
「旦那様、赤ん坊にその要求は少々難易度が高すぎます。この様子ならすぐ寝るでしょうし、寝かしつけてからでも構いませんか?」
「公務の時間を割いている。寝かせるなら早くしろ」
「……承知しました。ですが寝かしつける間は離れていて下さいませんか? 怖い大人の気配がしては眠れるものも眠れませんから」
流石に少しムッとしたのでジャブを打ち返すと、夫は舌打ちをしながら離れた。この人は本当に何故ここまで私が嫌いなのに結婚したんだろうか。
あとで伏線回収する時に私生きてる? ああいう心理的な回顧って、相手が死んでから挟むから知れない可能性があるんだけど……次回転生することがあって、そこでも物書きをするなら参考にしたい――と、いかんいかん。
おんぶしていたアイリーンを胸に抱え直し、脚を少しだけ揉む。あんまり小さいうちからずっとおんぶだと、骨盤だか脚の骨だかが歪むらしい。娘には美脚に育ってほしい親心。
「アイリーン、今日は何のお歌にしようかしらね~。シャボン玉はちょっと縁起が悪いから……スズメさんのお歌にしましょうか」
絶対眠たくなる旋律ながらあの歌はね。好きなんだけどさぁ、七歳までは子供は神様のものらしいし。その点この曲は選曲的に多少当てつけっぽくなってしまうものの、まぁこの人なら気にしないだろう。そういった情緒とかお亡くなりになっていそうだもの。
「スズメ、スズメ、きょうもまたぁ、くぅらい、よみちを……ただひとりぃ」
一羽で竹藪に帰っていくスズメに、他の鳥達が憐れんでなのか、からかってなのか、寂しくないのかと声をかける歌。でもスズメはその問いにあそこには優しい両親がいるから、寂しくはないんだと返す。
煽り耐性の強い子に育ってほしいという気持ちと、夫への皮肉だ。覗き込むようにして歌えば、小さな手が伸びてきて前髪に触れる。ああ、可愛い。
一曲が短いのですぐに歌い終えてしまうものの、エンドレス再生で歌い続ければ、だんだんと瞬きが多くなり、可愛らしい欠伸も増えてきて。八回も歌う頃にはプスプスという子猫のような寝息を立て始めた。
これでこっちのデイリーミッションは終了。さて本題の面倒くさい方をやりますかと振り返ったのだけれど――……。
壁際に二、三脚だけ所在なさげに置かれている豪華な椅子に腰かけた夫が、見間違いでなければ船を漕いでいるように見える。つまり、寝落ちている。信じられないことに。
失礼ながら勝手に身体が鋼で血液は機械油だと思っていたから、人間味のある姿を見るのは初めてである。このまま寝かせていたらダンスの練習が出来ないし、効率厨の彼からしてみたら噴飯ものだろう。でも、この人が休んでいる姿を私は見たことがない。
本館と別館というのもあるだろうが、それにしたって一日のほとんど執務室にいる。執務室の灯りが消えるのは日付が変わる深夜になってからだ。何故そんなことを知っているかといわれたら、夜泣きする愛娘とマーサと一緒に深夜徘徊するからである。
きっと疲れているんだろう。さっきダンス中に見上げたら、全体的に、特に目の下に重点的に化粧を施しているふうな感じだったことからも、あの部分に隈があるのだと推測される。素直じゃないし、優しくないし、すぐ怒るし、良い人からは遠いんだけど、どうしてだか憎めない。
たぶんこれが作者としての愛なんだろう。如何せん抱くのが遅すぎたけど、私はこの家族を愛したい。ちゃんと家族をしてから死にたい。
そんなことを考えながら、すっかり熟睡して重たくなった愛娘を抱いたまま、もう必要のない子守唄を口ずさみ続ける。そうして起きるのを待った結果、目覚めた彼に「馬鹿なのか君は! 時間は有限だと言っただろう!?」と怒鳴られた。前言撤回、憎たらしいわ。
その怒声で目覚めたアイリーンはこの世の全てが憎いとばかりに泣き叫び、手が付けられないガキンチョが二人になったと悟った私は、出かけたばかりのマーサに心の中で早く戻ってきてと念じたのだった。
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