もぐらたたき

日々人

もぐらたたき

幼い頃の私は誰にも心を開かず、言葉を発しなかった。両親は私の将来を心配し、あらゆる病院を訪ね歩いたが、どこへ行っても私に変化の兆しは見られなかった。周りの子が学校に通い始めても私の心は閉ざされたままだったが、その頃には自らの意思で外界と接点を持つことを望んでいなかった。


困り果てた両親は、「ブラックAI」と呼ばれる悪知恵相談サイトを頼った。そのAIは、ある医師を紹介してくれた。医師の提案により、私は目が見えず、耳も聞こえない状態だと診断された。その日から、私は国からの施しに甘えて生きるために自分を偽った。


私生活では自分の部屋で好き勝手に動き回り過ごしていたが、そこから一歩外へ出た途端に内面を隠し、全身全霊で嘘を被る。外界と接触することを避け、自分の部屋に閉じこもって楽しんでいた。


見えないふり、聞こえないふりをすることで、私は社会の期待やプレッシャーから解放されていた。多くを望まない、自由な空間だった。しかし、時が経つにつれ、私は自分の嘘に苛まれていった。自室での娯楽はネット環境に縋るしかなく、己を隠すことに過敏になっていった。自分の存在を匂わせるような痕跡をネット上に残すことは一切躊躇われた。


すると、自分という人間は社会に対して存在意義を示せない傍観者でなければならないという、そのフラストレーションは溜まるがままに、己をひたすら滅私し続けることを強いられた。


やがて私は自分自身を見失い始め、やがてはこの嘘が暴かれるのではないかという恐怖に侵され、悪夢に魘され、精神を病んでいった。


その年の成人した誕生月のある日、私の元に一通の手紙が届いた。それは、かつて私を診断した医師からのものだった。


手紙には、私の診断結果に疑問を抱いた機関が再検査を実施すると書かれていた。


私はその手紙を見て、内情が漏れたのではないかと身内を疑い、また己の行動のどこかに問題があったのではないかと疑心暗鬼に陥った。再検査を受ければ、私の嘘が暴かれるかもしれない。とはいえ、このまま嘘を続けることは精神的限界だと感じていた。


もう正直に伝えようと、楽になりたいと考えは変わっていった。


再検査の日、医師は指文字(フィンガースペリング)で私に優しく語りかけた。


「よく来てくれましたね。なんでも、正直に伝えてくれていいからね」


その言葉に私は一瞬心が揺れたが、医師は「最近の世の中は規制が厳しくなってね。ボクの友達の医師なんかは医療ミスで拘束されてしまったんだよ」と軽快に伝えてきた。


私は結局、嘘を貫くことに決めた。


医師が「今、悩みはありますか?」「何でも、話してくれてもいいんだよ」と訊ねてくる。私は震える手で「大丈夫です」「私は見えないし、聞こえませんが、お陰様で生活に不満はないんです」と返した。


すると医師は脈略もなく突然「もぐらという生き物を知っているかい?」と語り掛けてきた。私は「詳しくは知りませんが…」と返した。


医師は続ける。


「モグラはね、穴を掘るのが得意で、一生のほとんどを地中で過ごすんだ。目は退化して小さく、ほとんど見えないんだよ。耳も外見からは見えないけれど、聴覚は発達していて、特に低周波の音に敏感なんだ。モグラは自分の存在を隠しながら、外敵から身を守るために複雑な通路網を築くんだよね」


私は無反応を装ったが、医師の言葉は私の心に深く刺さった。医師はそれ以上、私を試すようなことはしなかった。


診断が終わり、今日はとりあえず帰れることになった。私は静かに安堵の息をついた。


しかし、その帰り道、私は思いもよらない事件に巻き込まれることになった。送迎車が信号を待っている時だった。突然目の前で強盗が発生したのだ。強盗犯が高級時計を奪い、店を出てきたところで、私が乗っていた車に近づいてきた。強盗犯は肩を上下し興奮していた。そして運転手に銃を向けると引きずり下ろして車を奪った。


車が走り出してしばらくすると、強盗犯は後部座席に私がいることに気づいた。驚いた強盗犯は、私に銃を向けて「動くな!」と叫んだ。私は胸に「視覚障害」「聴覚障害」を示すカードをつけていた。強盗犯は私を一瞥するとすぐに頭を切りかえ、鼻息荒くハンドルを握った。


逃走はうまくいかなかった。車は警察の包囲網に入った。


強盗犯は焦り、私を人質に取ることを決めた。こめかみに当たる冷たい銃口に私は恐怖で震えながらも、この期に及んで胸のカードに記載されているものを観衆の前で演じていた。


しかしこのままではまずい。何とか状況を打開する必要があった。警察が明け渡した車のドアを開けようと犯人が一瞬手を緩めた隙に、私は目の前にあった犯人の足首を強く引っ張り上げた。


男は仰向けに転倒し、私は警察がいる方へ全力で駆けた。


その瞬間、警察は一斉に飛びかかり、強盗犯は逮捕された。


私は無事に救出されたが、その一部始終を見ていた観衆はいぶかし気に私と距離を取った。強盗犯は「お前、嘘つきじゃねえか!」と叫んだ。


私という人間が暴かれた瞬間だった。




それから先のことは記憶が曖昧だ。


確かに私は警察に全てを話し、真実を告白した。


嘘をついていたことが明るみに出た。


しかし、そんなことよりももっと重要なことがある。


私は確かに見て、聞いたのだ。


強盗犯は警察に取り押さえられ、連行されるものだと思っていたのに、その場でタンターンという発砲音。


射殺されたのだった。


私は、どうなるのですか?






ー ー ー ー ー










彼の元に先ほどの医師が姿を現した。


彼は目を閉じ、耳を塞ぎ、何も言葉を発せなくなってしまった。


外界との接触を断ち切ることでしか心の平穏を保てなくなったようだ。


嘘をつき続けた人生。彼は自分の殻に閉じこもることになった。


医師は耳元に端末を当てて言った。


「先ほどの役者さん、倒されたとき頭打ってましたよね、大丈夫でした?


んー。偶然ドラマの撮影に紛れ込んでしまうとか、しかも台本通りの人質設定。そんなことあるんですね。びっくりしましたよ。ちょっと刺激が強かったかもしれないですけど、まぁまぁまぁ…。結果的に。


診断結果はこれまで通りでいきます。


では彼は自宅に届けますねー」


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