翌日

3. 歴史になる



 ・



 翌朝、目が覚めた私はホテルのベッドでもがいていた。

 時刻は7時と少し。起床するにはちょうど良い時間である……が、身体を起こせない。

 身体を起こそうとするとギシギシピシピシと全身から軋む音がする。錆びたブリキのおもちゃか何かになった気分だ。

 特に酷いのが右膝。前日のフルビワイチでイワした膝が今もまだ痛みを訴えている。


 結局昨日ホテルに帰ってきて風呂に入った後、22時少しには横になった。今日日小学生でも寝ないような時間である。それでも疲労困憊の極みにあった私は後片付けもそこそこに寝入った訳である。

 そして10時間も寝たというのにこの体たらくである。寝起きで身体が固まっている……というのではなくて、回復していない肉体的ダメージがある、という感じ。

 苦労して身体を起こして、ペットボトルのお茶を飲みストレッチ。ゴキゴキゴキゴキと動かすたびに体中の関節が音を立てる。

 そして膝。

 そろそろと伸ばそうとしただけで痛みを覚える。泣きそうになりながらもゆっくりと全部伸ばしていく。何度かそれを繰り返しても膝の痛みは一向に楽にならない。仕方ないのでそのまま服を着替えると、朝食を食べようと部屋の外に出た。


 朝食バイキングではもう欲望の赴くままに食べた。

 近年のスポーツ理論では酷使された筋肉が損傷しているため、試合後や練習の直後その修復のためタンパク質を摂取することが望ましいとされているという。

 それもあっての焼肉だったわけであるが、腹いっぱい食べても肉体修復には足りなかったらしい。焼き魚、ウインナー、卵焼き、ヨーグルトとタンパク質が入っていそうなものを中心に食べまくる。ついでにトーストと卵かけ納豆ご飯も味噌汁で流し込んでごちそうさまだ。

 膝の痛みはまだ続く。脚を引きずって部屋へ戻ろうとする私を、他の宿泊客が変なものを見たという顔で見送っていた。


 部屋に戻るとゆっくりと荷物を片付ける。

 のんびりテレビを眺めたりしている間にチェックアウトの時間となった。

 荷物をまとめるとロードバイクを押して外に出る。改めて忘れ物が無いか確認――ヨシ! 行きの時もちゃんとしてればなぁ、と思うも後の祭りだ。


 ホテルを出て、ロードバイクに跨る。初夏の彦根市内をゆっくりと走り、昨日のスタート/ゴールである彦根城までやってきた。

 今日も初日と同じく移動日である。よって目的は家に帰るだけなので、最後に彦根城観光だ。

 駐輪場にバイクを止めて城内のチケット売り場に向かう。

 チケットを購入してゲートをくぐると、真っ先に現れるのは長い階段だ。勘弁してくれ……と思わず泣きごとが漏れる。

 膝の痛みを堪えながら階段を登っていくと、高く組まれた石垣とそこに掛かる橋が見えてきた。橋の下を潜って回り込むように坂を上り、目の前に広がるのが先ほどの橋と、国宝に指定されている天秤櫓だ。

 天秤櫓の先を更に進むとやがて天守閣が見えてくる。

 彦根城は国宝も指定されている、現存十二天守――つまり再建されたわけではない、建築当時のオリジナルが現代まで保存されている稀有な例である。

 

 現在においてお城は観光施設であるが、本来のお城の役割は軍事施設だ。

 バリアフリーなんて思想が欠片もない急な階段を登っていく。その最上階から、彦根の市街と琵琶湖を眺める。

 晴れてはいるものの少しガスが掛かっているせいで対岸は霞んで見えるし、当然南北の両端なんてまったく見えない。こんな巨大なものを一周したのか……改めて実感が湧き上がってくる。昨日の今頃はあのあたりかな? なんて考えてみたらとても不思議な気分になってきた。

 彦根城は、着工が1604年。天守は大津城のものを移築し2年ほどで完成したが、城郭全体の完成までに20年の歳月を必要としたお城だ。

 以来近江という京都や大阪の抑えとして、東海道・中山道をはじめとした主要な街道の抑えとして、また水運の基地としても重要な彦根の地にあって、そのシンボルとして存在し続けていた。

 

 ……彦根城は、その築城の時期もあって、実は一度も実戦を経験したことのないお城なのだという。

 軍事施設としての本懐ではないかもしれないが、経済と政治の中心として彦根城は街の中心にあり続けた。 

 琵琶湖と彦根城という400年もの間変わることのない姿と変わり続けた彦根の街並み。こういう不思議な繋がりに歴史を感じるのは私だけではないだろう。


 彦根城を出て彦根城博物館を巡ったあと、側にある玄宮楽々園に立ち寄る。

 玄宮園は彦根藩主の下屋敷、楽々園はその隣に広がる日本庭園だ。玄宮園に入ることはできないのだが、その外見を含めて見る楽々園の姿は圧巻の一言。特に私は、池を挟んで玄宮園と更に奥に彦根城の雄姿を一枚の画に収めることのできる場所が一番美しく見えた。日中でこれなので、例えば満月の明かりの下であったならば息を飲むような美しさではないだろうか。

 京都を旅行した時にも色々な寺社で日本庭園を観たが、この楽々園でも日本の伝統的美的感覚を感じた。人工的な自然の美、とでも言葉に表せばよいのだろうか。それを造りこむことに心血を注いでいる。さり気なくギンギラギン。気づいた? ここから見るとすげぇキレイって気づいた? 全体に気を配って美しく整えてあるのは当然だけど、一部分、角度を変えて見てみることでまた違う工夫が凝らされているのが、その位置からだけわかる。そんな仕掛けがたくさんある。

 彦根城の観光を楽しんだ私は城下町で昼食を食べて。

 その頃には膝の痛みはかなり和らいでいた。やっぱり昨晩からずっとタンパク質を摂取し続けたのが聞いたのだろうか。あるいはアクティブレストの効果か?

 いずれにしろ、シャキシャキ歩くこともできないような状態から回復し、普通に歩くことができる状態にまで戻っていた。これが翌日まで引きずっていたら仕事にも悪影響があったところだった。

 まぁ、人間の身体って凄いな。

 190kmで膝が痛むのは私のトレーニング不足であることは違いないのだが、私のような初心者以上中級者未満でも頑張れば琵琶湖を一周できるし、翌日にはなんとか日常生活を送ることができるようくらいの回復はする。

 そうでなければ今頃もまだホテルのベッドで起き上がれずにいたかもしれない。


 彦根城を後にした私は、JRの駅へと向かう。

 途中の和菓子屋でお土産を購入して、ロードバイクを輪行袋に仕舞って。

 やってきた電車に乗り込む。


 こうして私の、フルビワイチの全行程が終了した。




 ・




 多治見の街並みに戻ってくれば、そこは私の住まう日常だ。

 数時間前まで琵琶湖のそばにいたなんて。ましてや24時間前にはヒイヒイ言いながら夕暮れの琵琶湖沿いを走っていたのだから。

 駅を行きかう人々、家へと帰るサラリーマン、ふざけあう高校生、バイトに向かうフリーター。その誰もが私がさっきまで琵琶湖に居ましたなんて知らないし、私だって彼らが今日どこで何をしていたかなんて知らないしわからない。

 知らないしわからないけど、それは彼らが知らないだけで、確かに私はビワイチを達成してきた。それが念願のリベンジで、前回よりも40kmも長く走ったのは嘘でも幻でも何でもない、確かに成し遂げた事実である。

 

 しかし、もしかしたら。

 この駅の構内を行きかう人々の中に、私が――他の誰もが知らないだけで、同じように今日、長年の念願を叶えた人がいるかもしれない。好きな人に告白したとか、いじめっ子を殴り倒したとか、初めて試験で満点を取ったとか、部活の試合で活躍したとか、転職したとか、昇進したとか、召喚された異世界で魔物と戦って世界を救ってきたとか、そんなその人だけにとっては大きな大きな大冒険を成し遂げてきたのかもしれない。


 大冒険は終わった。

 念願は達成された。

 何かが大きく変わった。あるいは変わらなかった。


 いずれにせよ。

 私がこの街に戻ってきたように、彼らがこの街に居続けたように。

 明日もまたいつもの日常が始まる。


 でもそれは、それもまた、歴史の一部なのだ。

 大きな戦があったわけじゃない。誰もが大冒険をしたわけじゃない。

 むしろ毎日冒険なんて起きないし、何もない日常のほうが歴史のほとんどを占めている。

 ビワイチも告白も百点満点も昇進も、記録にも記憶にも残らず百年後には忘れられてしまっているけれど。

 

 今日を終えた私たちは、また明日の日常を生きていくのだ。

 たくさんの日常と時々の冒険を繰り返して。

 私たちの日々は時の流れに埋もれていき忘れ去られて、地層のように積み重なったそれらはいずれ、歴史と呼ばれるものになる。

 

 








 

 







 

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ビワイチ オッサン ロードバイク 入江九夜鳥 @ninenigtsbird

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