2-7. 18:30 彦根の街を駆け抜けて
・
スタートにしてゴールである彦根市についに突入した……らしい。
なんでこんなあやふやな言い方をしているのかと言えば、頭の中には「膝が痛い」という言葉で埋め尽くされていたので、一体いつ市境を越えたのかわからないからだ。多分どこかの橋が市境ではないかと思うのだが、前パートで書いていたように、橋のアーチ部分を越えるのに踏み込む激痛に耐えるのが精いっぱいで、カントリーサインがあったかどうかなんて見ていなかったのだ。
残りの距離は一体どれくらいあるだろうか。
ハンドルのホルダーに装着したスマホを操作すれば、残りの距離はすぐにわかる。
だがもう、走り出す痛みに苦しみたくないのでストップしたくない。だから信号待ちのあるファストコースではなく、信号のない歩道を走るスローコースにいるし、ストップしないからスマホを操作もできない。よって残りの距離はわからない。ここまでどれくらい走ってきたのかもわからなくなっている。
終わりに近づいているのはわかっている。
だがその詳細がわからない。
知りたい気持ちと知りたくない気持ちが半々だ。
残り数kmならもうちょっとだと奮い立たせることができるかもしれない。
残り数十kmなら心が折れてリタイヤしてしまうかもしれない。
何かほかに、ヒントになりそうなものはないか探す。青看板に掛かれている文字。町名の書かれた案内板。走っていくバスの表示。
暗くなっていく空と、西に沈んでいく太陽。
黄昏時に重たく影を湛えるさざなみ。黒く広がる琵琶湖の水面。
ここにきてまた風が強くなってきた……ずっと向こうの対岸から吹く風に煽られる。バイクが揺れる。進路が乱れ、姿勢を立て直すためにまた膝に痛みを覚える。
思えば、彦根城を出発して割と直ぐに長浜市内に到着していた。
そのことを考えれば、彦根城は彦根市のかなり北端に近い場所に位置することになる。
反時計回りで琵琶湖を一周と言うことは彦根市内には南から戻ってきたわけで、まだそれなりの距離が残っていることになる。
仮にその残りの距離が20kmと仮定しよう。
現在巡航速度が当初予定より落ちているので、最低でもあと一時間はかかるということになる。
時計を見てみる。
時刻は18:30を過ぎて、スタートよりちょうど12時間が経過していた。
当初の計画では既にゴールしていた時刻である。厳密な計算の上で立てられた計画ではないとはいえ、まさかここまで時間をかけてなおゴールが見えないとは。
あまりの自分の足の遅さに情けなくなってくる。
だが、無い物ねだりをしたところで、無いモノは無いのだ。
穏やかな心を持ちながら激しい怒りによってスーパー貧脚人に目覚めるなんて都合の良いことなんて起こらない。前章で倒したライバルが突如助けに来てくれるわけでもない。
もしそんな事が起きたとしても、走る距離は変わらない。
結局今ある手持ちのカードでやりくりしなきゃならない。
ゴールはまだ見えないし、残りの距離もわからない。
でも彦根市にまで戻っては来れた。
あと30分だか1時間だかで、きっとゴールできる。
そう思えば気が楽に
いやなるわけねぇじゃん。
この脚の痛みで1時間は長げえって。
今でさえ泣きそうなのに気が楽になるとかねぇから。
あと5分とかで終わってくれないかなぁ。
・
猫を一匹、鋼鉄の箱に閉じ込める。
その箱の中には毒ガスを噴出させる装置が仕込んである。装置は1時間以内に作動する確率が50%とプログラムしてある。装置が作動すれば猫は確実に死んでしまう。しかし50%の確率で装置は作動せず、猫は1時間後も生存している。
猫の精子は箱を開いてーーつまり観測してみなければその瞬間までわからない。
量子力学の世界においてこの観測される前の猫は、「生きている」と「死んでいる」が同時に成立し、重なり合って存在している。
半死半生ではない。怪我などで死にかけているわけではないのだから。生死不明というわけでもない。50%の確率で確実に生きているか、50%の確率で確実に死んでいるかのどちらかだから。
いわゆるシュレディンガーの猫、という奴だ。
私も現在シュレディンガーの猫と同じ状態に陥っている。
つまり距離を計測してみるその瞬間まで、残りの距離が「長い」状態と「短い」状態が同時に成立しているのである。
私はこれを「シュレディンガーの距離感」と名付けた。私が長いと感じればそれは長く、短いと感じればそれは短いのだ。
おお、これは偉大なる発見やもしれぬ。早速論文を書いて学会に発表せねば。イグノーベル賞落選待ったなしである。
とまあ、このような妄想に逃げ込む程度には私は疲弊しきっていた。
すっかりと暗くなった街並み。痛む膝。上がらない速度。
あまりに速度が上がらないためスローコースで歩道内を走っているのだが、琵琶湖沿いの歩道なので信号で停止すること自体が無い。
少しでもストップして休みたいと思う反面、再スタートで膝に力を込めると悲鳴を上げたくなるほど痛む。それは嫌だ。
停まって休憩、することはできる。しかし今停まってしまったらそのまま心が折れてしまうのではないかとも思ってしまう。
だから結局、惰性でもなんでも痛みを堪えて走っている現在の状態を維持するのが一番良いのだ。そう思わなければやってられない。
ああ、ちくしょう。またレンガ敷きになってる。ガタガタが体に響く。やめてくれ、ちくしょう。
あと少しなのは間違いない。
琵琶湖越しの少し先の方に、突堤になっているらしい場所が見える。
前回のビワイチで私が利用したホテルの辺りだ。間違いない、ホテルの目の前が桟橋で、琵琶湖内に浮かぶ竹生島への観光船が出ていたのを覚えている。
あれは長浜市のホテルだった。
そのホテルの灯りがあの位置に見える、ということは私はだいぶ彦根市の北側までやってきたということになる。
もう少し、もう少しのはずだ。きっとそのはずだ、間違いないはずだ。
何百回と自分に言い聞かせている言葉を、また繰り返す。
ここまで来たらリタイヤなんてあり得ない。絶対にやり遂げたい。
でも具体的に「あと2時間走れ」と言われたら、無理だ。心が折れる。
根性論も精神論も否定するつもりは無いよ。意志の強さで困難を乗り越えることはできる。そう思ってる。
でも根拠も支えも無しに人間無限に頑張る事はできないのだ。
残りの距離、残りの時間。知りたい。知りたくない。
そのせめぎあいの中、せめて何かーーもう少しだけでいいから折れそうな心を支える、なにかヒントは無いだろうか。
そう思って顔を上げた視線の先に、その看板が見えた。
「……スタバ……?」
琵琶湖の、さざなみ街道沿いの、スターバックス。
「うわっ、ああっっ! 昨日立ち寄った! あのスタバ!!」
本当に叫んだ。
街路樹の影からあまりに突然ポッと視界に飛び込んできたから。まるでそれが3Dゲームの背景のように唐突に生成されたようにすら見えた。
観測されるまで存在と不存在が重なり合っているシュレディンガーのスターバックス?
もはやどうでもいいことだ。
あのスターバックスは観測された以上、そこに存在することが確定しているのだから。
ということは……!
「帰ってきたっ……!」
そうとわかった瞬間、心のなかに溜まっていた鬱憤が全て吹き飛んだ。重たい物がなくなって心が軽くなる。
クランクカーブを曲がり、信号を渡って反対側の歩道へ。
そしてその角を曲がった先。
城北通り。
陸上競技場とサッカースタジアム。そして私が走る歩道の右側には、彦根城のお堀。
朝の6:30にスタートして、ビワイチルートのさざなみ街道にアクセスするため通った道だ。
ゴールまで残り1km。
喜びに逸る心と、反比例して遅々として進まないロードバイク。
この通りの歩道はレンガ敷きになっていて、速度を出すと車体が跳ねる。膝といい全身に響いて痛むので、速度を出せないのだ。
城北通りを抜けて、右折してお堀に近づく。
そして彦根城の前に……石碑の前にたどり着いた。
ゴールイン。
ロードバイクを朝と同じように石碑の前に立てかけて、写真を撮った瞬間。
私は小さくガッツポーズを決めた。
情けないことにこの時既に、右膝は爆発しそうなくらい痛いし、膝ほどでないにしても肩も腕も痛くて仕方なくて、頭より上に持ち上げることが困難だったのだ。
まあ良い。
ガッツポーズなんてどうでもいいさ。
紆余曲折も昨日のトラブルも今日の全身の痛みも、何もかもどうでもいい。
私は琵琶湖を一周した。
その事実ただそれだけさえ手に入ったのであれば、他の何もかもがもうどうでもよかった。
最終リザルトは以下の通り。
06:30 彦根城スタート
19:22 彦根城ゴール
ログアプリの記録では、
総走行距離 191.45km
獲得標高 393m
走行時間 10時間16分
総計測時間 12時間58分
平均速度 18.6km/h
となった。
想定よりも1時間の遅れである。
後半から終盤にかけて膝の痛みが平均時速を大きく遅らせてしまった。それに伴って大休憩の時間が長くなってしまった。
一方で走り出せなくなる恐怖、リスタート時の膝の痛みに怯えて歩道を走り、ラスト2時間は本当に殆ど信号ストップすらなかったため、前半で稼いだ貯金のお陰もあって1時間遅れで済んだ。終盤の近江八幡市~彦根市間の走行速度だけ切り取れば、多分15km/hくらいしかないのではないだろうか。
走行距離だけで見れば、私個人の過去最長記録である。
一方で、獲得標高だけでみれば、190kmも走ってわずか400mアップ。リザルト見てびっくりした。全然登ってない。
去年のフジイチでは、160km走行の1900mアップというデータを考えればいかにド平坦を走っていたのかよくわかる。まぁ山を一周するのと湖を一周するのでは、こうなって当然という見本のようなものだが。
体感的な話をすれば、フジイチは登って登って下り、平坦平坦登って登ってまた下り……の繰り返しだった。バランスよく……というにはちょっと登ってばかりだった気もするが、当然その分下りも多かった。スタートとゴールが同じなので、登った分だけ結局下るのは当然の理である。
なので脚を休めている時間も長かった。なんならラスト20kmくらいはずっと下りっぱなしだったわけで、キツイとラクがはっきりと分かれていたコースであった。途中脚を攣りそうになった場面もありはしたが、それに見合うだけラクをしてもいるのである。
一方のこのビワイチ、延々と平坦。ド平坦。多少の上下もあるし、橋のアーチを越えることもあった。
だが平坦である。びっくりするほど平坦である。
それはつまり、休憩を入れる以外にずっとうっすらと負担をかけ続けなければならないということ。
それらが積み重なって抜ける時間が全くない。その結果が、この膝の痛みだ。
フジイチとフルビワイチ。
どちらがきつかったかと言えば、間違いなくこのフルビワイチだ。
少なくともフジイチの時、走り終えた時点でこんな立っているのが困難なほど膝をイワしていた覚えはない。
ま、疲労困憊という意味ではあの時も全く変わらなかったが。
・
アーケード街の一角に駐輪場があった。
そこにバイクを預けて、事前に目をつけていた焼肉屋に向かう。
冗談ではなく右膝が痛くて、半ば引きずるような歩き方になってしまった。学習塾帰りの中学生が不思議そうな顔で私を見ていたが、無視。笑わば笑え、名誉の負傷という奴だ。
お店に入る。店員さんも変な客が来た……みたいな顔をしている。
近江牛を扱っているそこで、ちょっと豪華な一人焼肉だ。
キンキンに冷えたジョッキのビールを一気に煽る。喉を焼く炭酸、苦みと旨味。からからに乾いた全身に染みわたるアルコール。
なるほど、勝利の美酒とはこのことか。
たった一人で祝杯を挙げる。
疲れ、痛み切った身体に近江牛の甘い脂が染み渡る。
フジイチの時と同じだ。
たった一人の、誰にも知られていない、だけどどこかふわふわとした、完全に満ち足りた時間。
人はこれを、達成感と呼ぶ。
済度、という仏教用語がある。
度とは渡すという意味。
済とは苦しむ民衆を仏の慈悲によって救うという意味。
つまり済度とは仏による救済のことを指す言葉だ。
度し難いというのは、つまり「仏によっても救いようがない」という意味である。
この達成感という奴は、ひどく厄介だ。
麻薬よりも強い常習性があるこの歓喜。ほんの一瞬のこの時間を欲するがゆえに、その何十倍何百倍もの時間を苦しみぬかなければならない。
ロードバイクに限った話ではなく、他のスポーツだって、勉強や資格試験だって、ゲームや趣味の時間だって変わらない。
この満ち足りた完全な歓喜の時間を得たければ、練習して訓練して稽古して勉強して調整して準備して、
挑戦しなければならない。
苦しむとわかっているのに。
きっと私も、いずれまた、この達成感を得るために、これに類する地獄に飛び込んでいくのだ。
止めれば楽になる。救われるとわかっているのに自ら地獄に飛び込み苦行を重ねる愚か者。
まさしく度し難いことである。
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