第3話
その日、渚の勤務している病院に交通事故に遭って血だらけの患者が運ばれて来た。
「心停止です!」
かろうじて蘇生はしたが、緊急オペが必要だった。
渚はすぐに手術の準備をした。
6時間にも及ぶ大手術により、患者の様態は安定した。
こんな時、渚は無心で自分の器械出しとしての職務に当たる。
ミスは許されない緊張感の中、外科医の冷静な判断が求められる。
腸が断裂し、腹腔内に汚物が溢れ、複数箇所が骨折し、内臓も損傷していた。
それを的確に医者たちは治療してゆくのである。
渚はいつも思う。
人は簡単には死なない
だがその一方で、さっきまで普通に話していた人が、突然絶命してしまうこともある。
渚は血まみれ、汚物まみれになった手術着を脱ぎ、丹念にカラダを消毒した。
クタクタになったが人を救った高揚感と達成感はあった。
渚は省吾に電話をした。
「飲みに連れてって」
「何が飲みたいんだ?」
「強いお酒が飲みたい」
「それじゃあカクテルとかにするか?」
「テキーラが飲めればどこでもいいよ」
「もう仕事は終わりか?」
「うん、だから早く迎えに来て、マンションで待ってるから」
「了解」
私は仕事を片付け、渚のマンションにクルマを走らせた。
マンションの駐車場にクルマを置いて、私たちは電車に乗って街へ出た。
いつものショットBARに入った。
「彼女にはテキーラをショットで。俺はギムレットを」
「かしこまりました」
渚はライムを絞らずにそのまま齧るとテキーラでそれを追いかけた。
「あー、頭がスッキリする!」
「今日は難しいオペだったのか?」
「血だらけの患者さんでさあ、オペに6時間も掛かってずっと立ちっぱなしだよ。帰ったら足揉んでね?」
「別なところも揉んでやるよ」
「たっぷりお願いね。 私、消毒臭いでしょ?」
いつも渚は消毒液の匂いがした。それは彼女の香水のような物だと思っている。私はこの匂いが嫌いではない。それは渚が医療従事者としての証だからだ。
彼女によって救われる命があることに私はいつも敬意を払っていた。
ただのカラダの関係だけなら恋愛は長くは続かない。
女の服の下がどうなっているかがわかってくるようになると、男はより精神的な魅力を求める。心の繋がりが欲しくなるのだ。それは同じ価値観と言ってもいいかもしれない。
セックスは必要だが、男と女というものは、それだけの関係ではつまらない。それではすぐにマンネリ化して飽きてしまう。
そして慣れてくると女は自分を主張して来るようになり、いつの間にか母性が目覚めるのか、子供を叱るように男を諌めるようになって来る。
すると男は別の女に興味が湧いてしまうのだ。なぜなら男は常に自由を求め、束縛を嫌うからだ。
そして浮気が発覚する。
「どうして浮気なんかしたの!」
「毎日ラーメンばっかり食べていたら、たまにはステーキだって食べたくなるだろう!」
言葉というのは話す順序を間違えると取り返しのつかないことになる。
この場合「毎日高級ステーキばかりじゃ飽きるだろ? 俺だってたまにはラーメンも食べたくなる」
女は悪い気はしない、自分が高級ステーキだと評価されているからだ。
だがラーメンだと言われたらリプレイはない。ジ・エンドとなってしまうかもしれない。
渚とのセックスには満足していたが、私は彼女の竹を割ったような性格が好きだった。
物事に躊躇せず、即断即決即実行の渚が。
「オペ看は大変だな?」
「好きでやってる仕事だからそうでもないよ」
「世の中は色んな仕事で成り立っているからな? 人の命を預かる仕事は凄いよ。俺には無理だ」
「あらそうかしら? 省吾は外科医に向いていると思うけど。例えば脳外科とかの緻密で繊細な外科医にぴったりだと思うけどなあ」
「俺は緻密じゃない。大雑把な男だ。レシートはもらわないしな?」
「私は好きじゃないわよ、いちいちレシートをもらう男なんて。「レシートをくれ」なんて言う男はサイテー。前に付き合っていた男がそうだった」
渚は二杯目のテキーラを飲んだ。同じようにライムを齧って。
ライムの鮮烈な香りが周囲に広がる。
私たちの夜は、マイルス・デイヴィスと共に過ぎて行った。
朝 雨に濡れた薔薇に君を見た 菊池昭仁 @landfall0810
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。朝 雨に濡れた薔薇に君を見たの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます