お題【残暑】ぬぐい合う

「男の汗って、暑苦しいだけかと思ってたんだけど」


 夏の暑さを引きずっているのか、中々気温が下がらない。魔界の扉の封印をしなければならないのに、魔獣を仕留めていかなければならないのに、暑さのせいで疲労感が強い。

 俺がつらいんだから、きっと他のみんなもつらいんだろう。汗だくになった野郎どもに夏バテで苦しんでいる聖女。その光景を見ているだけでも、暑さが増す。


 こういう時に、器用に魔法が使えるやつは良いよな。俺はうまく使いこなせないから、そういう人が作ってくれた氷の塊を近くに置いて涼を取っている。因みにこの氷を作ってくれたのは、俺の筆頭騎士ジークヴァルトである。

 俺は巨大な氷を布で包んだそれに頬ずりする。固い。けど、触れている瞬間だけは冷たくて気持ちが良い。

 それにしてもこの男、一体どうなっているんだろうか。できないことってないのかね。俺の近くで涼しい顔をしている相棒を見た。


 あ、表情には出ていないけど彼も暑いのか。ジークヴァルトの額に浮かんでいる汗を見つけて安心した。これで彼もむさくるしい男の仲間入りだ。

 はあ、と熱い息を吐き出すと、ジークヴァルトがこちらに手を伸ばしてきた。次々と浮かび上がってくる汗をハンカチで拭いてくれる。そこまでお世話しなくても良いんだけど。


「ありがと」


 ジークヴァルトは自分の汗はそのままに、俺の汗をぬぐう。俺はどういう感情でいれば良いんだ?

 俺はそんなに面倒を見られなければ生きていけないような存在じゃないんだけどな。俺は別の意味で体温が上がっていく気がした。

 その間も彼の肌に浮かんだ汗の粒は育っていく。ついに、その雫が耐えきれなくなり垂れ始める。あ、落ちそう。


「ヴァルト、俺のは良いから自分の汗ぬぐいなさいよ」


 思わず、そう口にしていた。が、ジークヴァルトはなぜか頑なだった。


「俺は別に。それよりももう少し涼しくした方が良いか? といっても、氷を増やすくらいしかできないが」

「魔力の無駄遣いはしない方が――って言いたいところだけど、すぐに混戦になるからあまり魔力って使わないもんなあ」


 混戦になると味方に攻撃が当たってしまう可能性がある為、神聖魔法か物理攻撃のみで戦うしかない。そうなれば、魔法の出番はないのだ。

 だから、魔法が使える騎士たちは思う存分氷を作っているのか。全員汗だくだけど。俺も含めて効果があるように見えてないけど。

 暑苦しいったらありゃしない。


「ラウル、ちゃんと水分を取った方が良い」

「ん」


 俺の相棒は何て優秀なんだ。っていうか、きみは俺の母親か?

 母親みたいに世話を焼いてくれる男から水を受け取り、一気に飲み干した。ジークヴァルトはそんな俺を見つめて満足そうに頷く。


「きみね、自分の世話もしなさいよ」


 俺は顎を伝う彼の汗を指先で拭ってやりながら笑いかける。まったくもう、この年若い青年――と言うには、少し大人になったか――は相変わらず俺のことばかりだ。


 ああ、また汗が。


 ジークヴァルトが放置するそれを、今度は俺が拭ってやる番かな。ハンカチは持ってないけど。いや、ハンカチは持ってる。でも自分の汗を拭くのに使ってしまったから、他者に使うのはちょっと。

 あー、彼なら気にしないかもな。むしろ喜んだりして。何てふざけたことを考える。

 相変わらずジークヴァルトは俺の汗を拭っている。そんなに楽しいかい? 俺の世話を焼くのは。


「俺のベルン」

「……分かった」


 彼は渋々ながら水を飲んだ。この休憩時間はいつ終わるか分からない。残暑って残酷だ。もうじき夏が終わるはずなのに。いや、終わっていても良いはずなのに。

 終わっていても良い、と言えば、この行軍もだ。もっと早く決着をつけることができると思っていた。だが、効率よりも安全を重視しているせいで、中々終わらない。それも、あと少しで終わる――はずだ。

 いや、まだまだ先は長いかもな。憂鬱な憶測を抱き、嫌な気分になる。

 そこまで考えたところで、気づいてしまった。意外と自分が疲弊していることに。


 ああ、暑いな。それが俺を弱らせている。行儀が悪いとは思ったが、ジークヴァルトが用意してくれた氷を抱きしめた。冷たすぎて、ずっと氷に当てていた頬がひりひりする。体勢をそのままにジークヴァルトを見上げると、彼は俺のことをじっと見つめていた。

 やはり、汗を拭おうとはしない。彼の熱そうなフルプレートにそれが落ち、じわりと消えていく。その顔に、一切の憂いや絶望の気配は見られない。


「きみは、強いな」

「何を言いたいのか分からないが、俺が強くいられるのはラウルの存在があるからだ」


 彼の視線はまっすぐだ。自分の言葉に疑問を抱いていないのがそれだけで分かる。ぽたり。再び顎から汗が落ちた。不思議と、むさくるしさや嫌悪感は感じなかった。むしろ――色気を感じるような。


「そうなの?」

「お前の存在さえあれば。聖女として、その力をこの世界の為に使おうというその心を尊敬している。お前を守りきることが俺の価値だ。俺は、お前を守る最後の砦だ。お前が聖女として立ち続ける限り、何も恐れることはない」


 ジークヴァルトの言葉が俺の中に染み込んでいく。彼の暑さをものともしないその姿は俺への信仰心だけでできていた。

 俺はくじけるわけにはいかないのだと、改めて気を引き締める。


「ヴァルト、きみのおかげで頭がすっきりしたよ。ありがとう」

「……? お前の役に立てたならこれ以上ない幸いだ」


 ジークヴァルトが俺に対してどれだけ貢献してくれていることか。彼は理解していない。きっと、分かろうともしないんだろう。

 ジークヴァルトの汗が垂れる。ああ、色っぽいな。再び指先で彼の汗をぬぐってやる。


「このまま、ずっとついてきてくれな」

「もちろんだ」


 残暑は続くが、もう気にならなくなっていた。あ、嘘嘘。気になるけど、耐えられそうだった。ジークヴァルトが支えてくれている限り、俺はきっと大丈夫だ。そして、俺が大丈夫な限り、ジークヴァルトが俺のもとから去ることもない。

 俺たちは互いの存在に支えられて生きている。汗をぬぐい合うように。

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