お題【きゅうり】苦手意識と聖女の優しさ

「え、ごめん。それ嫌いなの?」


 きょとんとした顔でラウルに言われた俺は、気まずくなって目を逸らした。

 テーブルにはサラダを初めとして昼食が並んでいる。そのサラダに問題があった。サラダには酢漬けが添えられている。苦手な食べ物を目にした俺は、思わず顔をしかめてしまった。

 ラウルは小さな変化を見逃さない。俺の表情で色々と察しだのだろう。二十も過ぎた大人が好き嫌いをすることをからかってきたり、責めるようなことを言ってきたりもせず、彼はただ驚いてみせる。


「食べると体調悪くなったりとか?」

「いや、普通に酢の物が苦手なだけだ」


 俺は酸っぱいもの――特に酢――が苦手だ。果実の酸っぱさはまだ良い。だが、あのツンとした香りのする酢は勘弁してほしい。どうにもあれだけは苦手だ。

 近くに顔を寄せていないのに、そのツンとした香りがここまで届くような気がする。口呼吸にしたから感じ取れるわけがないのだが、それでも。


「そっかあ。じゃあ、俺がもらうね。保存食とか平気そうだったし、こういうのも大丈夫だと思ってた。ごめんね」

「いや……酢のツンとした香りがなければ、多分食べられはする……と、思う」

「へぇ?」


 ひょいひょい、と俺のサラダから酢漬けを取り除きながら、なるほどなあとラウルが呟く。


「俺、きゅうり好きなんだよ。で、こういうところだときゅうりみたいなものは用意できないし、こうして酢漬けにして遠征に持ってきてたんだけど」

「ラウルはこれが好きなのか?」

「ん? そ。俺はこれが好きなんだ」

「……」


 ラウルがきゅうりの酢漬けを口に放り込んで微笑んだ。そのまま彼はきゅうりを咀嚼し始める。ぱり、ぽり、と軽やかな音が聞こえた。小さめのきゅうりだからだろうか。やけに可愛い音が俺の耳に届く。

 目を細めておいしそうに食べる彼を見ていると、苦手だから食べたくないと言外に主張してしまったことを後悔する。気になる。匂いが嫌で、食べたことがないそれ・・を食べてみたくなった。

 いや、しかし俺の苦手な酢が使われている。その上、食べたくないと言ってしまったから、それを撤回するのは何となく嫌だ。優柔不断な態度はとりたくない、という気持ちが俺の中でぐるぐると回っている。


「……もしかして、食べたことがないのか?」

「よく分かったな」


 俺の思考は全部彼に筒抜けなのだろうか。ぴたりと読み取られてしまう。否定するだけ無駄だし、否定する意味もないから肯定した。

 ラウルは少しだけ考えるそぶりを見せ、フォークに刺したきゅうりの酢漬けを俺に向けた。目と鼻の先に突き出してこないところに彼の気遣いを感じる。さすが、聖女は違う。

 女神の代行者は、きっと心根まで綺麗なのだろう。


「これさ、俺のオリジナルレシピなんだよ。白ワインを酢にしたものを使ってるから、もしかしたらきみの嫌いな香りとは違うかも。ちょっと匂いだけでも嗅いでみる?」


 小さく首を傾げながら聞かれ、俺は反射的に頷いた。俺の反応を見てくすりと笑った彼は、そっとフォークを俺に向けてきた。が、それはテーブルの中心くらいで動きを止める。

 俺の自主性――というよりも、俺が自分のタイミングで嗅ぐことを想定しているのだろう。無理強いしない、と言いたげな言動が俺の心をくすぐってくる。


 相棒がこうして心を砕いてくれるのが嬉しい。俺はその気持ちに背中を押されるようにして、きゅうりの酢漬けに顔を近づけた。口呼吸をやめ、鼻で空気を吸う。

 酸味を感じる香りはするが、俺が苦手とする強いツンとした刺激はなかった。酢漬けというだけで苦手意識はあるものの、拒絶反応を起こすほどではない。

 そういえば、ザワークラウトは食べられるのだから、酸っぱい香りが単純に苦手というわけではないのかもしれない。


「……これは、大丈夫かもしれない」

「そっか。匂いが駄目って言うなら、俺が食べてるのも嫌かもなと思ったんだけど大丈夫そうでよかった。あ、食べたことがないなら食べてみる?」


 俺の目の前できゅうりが揺れる。そのきゅうりの先には裏のない穏やかな笑み。優し気なラウルの目に引き寄せられるようにして、俺は目の前のきゅうりを噛んだ。ぱり、と軽い音を立てて俺の口の中にきゅうりの欠片が転がり落ちてくる。

 覚悟を決めてそれを咀嚼した。

 爽やかな香りが口内に広がった。酸味はあるが、まろやかさのあるそれは嫌ではなかった。白ワインのような芳香のなごりを感じる。


「白ワインを使って作る酢が好きなんだ。好きなものと好きなものをかけ合わせた食べ物だから、これは大好物」

「……悪くは、ない」


 この酢漬けならば、食べられそうだ。俺は口に含んだ分をしっかりと飲み込んでから答えた。好きか嫌いか、で言えばきっと好きだ。


「そっか。じゃあ、食べたい気分になったら俺のところから取っていっていいよ。元々はきみの為に用意した分だし」


 俺の中途半端な回答から、積極的に食べたいものかどうか測りかねていることを察したのだろう。彼はそう言うとフォークに残ったきゅうりを自分の口に放り込んだ。

 軽やかな音が、テーブルの向こうから聞こえてくる。思わず俺は「食べられてしまった」と、考えてしまった。俺のものだとはっきりと思っていたわけではないが、食べかけだったものを奪われた気分になる。

 事実、それは俺の食べかけだったが。


「ん? あ、ごめん。勝手に食べちゃった」

「いや、別にかまわない。せっかくだから、一本返してもらおう」

「ん」


 悪びれもなく笑う彼に何となく居心地の悪さを覚えた俺は、その気持ちを誤魔化すように彼の皿から酢漬けを取り返す。

 フォークで刺したそれを口に運びながら、そういえばさっきのは間接キスだったなと子供っぽい感想を抱く。いや、あれは間接キスと言うには程遠い。食べ物を好き嫌いする子供に「一口だけでも食べてみなさい」と諭す親がする行動そのものだ。

 年齢差を突きつけられた気持ちになって、それはそれで微妙な気分になる。

 変なことを考えてしまった自分に馬鹿馬鹿しさすら覚えた。


「ラウル」

「ん?」

「……今度は、普通に食べる」

「そっか」


 ラウルは「偉い」とも何も言わず、ただ俺の発言を受け入れた。それに心地よさを感じつつ、もう一本彼の皿から酢漬けを奪い返した。その様子を見た彼が、驚いたように目を見開く。

 そのまま目をぱちくりとさせ、破顔する。ああ、好きだな。と、この平穏な時間に対する感情を抱いた。

 この平穏は束の間だ。もうすぐにでも、また戦いの時間が始まるだろう。だが、こういった時間があるからこそ、戦い続けることができるし、この平穏が永遠と続くような時代を取り戻す為に頑張ろうという気持ちにもなる。

 ラウルにつられるようにして俺も小さく笑み、メインディッシュに手を伸ばす。それは、次の戦いに向けての準備の始まりだった。

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