人権を置いていきます!


「――ごめんなさいっ!」


 ちょっと頑張って予約した高級レストランでのこと。

 彼女に別れ話を切り出されて、「どうしてなんで!?!?」と事情を聞くよりも前に彼女は立ち上がって、レストランから出ていってしまう。


 一瞬、呆然としてしまったけど、ここで追いかけなかったら本当に全部が終わってしまう。彼女の背中を追いかけ僕も立ち上がる。

 料理を持ってきてくれたウェイターさんに謝りながら受付まで向かい――お会計は……って、してる暇なんてない!


「すみませんッ、すぐに戻ってきてから払いますので――お会計はあとでお願いしたいんですけど!!」

「お客様……? それは困ります……」


 当然ながらそりゃそうだ。だから僕は、すぐに戻ってくる証拠として手に持つ荷物を全て差し出した。財布どころかカバンごとだ。スマホは彼女と連絡を取るために残しておくとして……それ以外の貴重品も含め、全てを受付に置く。


 これだけ置いていけば、食い逃げするわけじゃないと信じてもらえるだろう。


「いえ、これだけではとても……」

「え!? じゃあ他になにを……」


 着ている服を渡すことはできない。それこそレストランから出られなくなるし……となると、他に僕がこの場に置いていけるものはなんだ……?


 困っている僕を見かねたのか、受付のお姉さんが、ふふ、と微笑んで、


「では、人権を置いていってくれますか?」

「え?」


 人権を……? 置いていったらどうなるの……? 気になるし聞きたかったけれど、こうしてる間にも彼女はレストランから遠ざかっていってしまう。

 置いていくだけで捨てるわけではないのだから、問題はないと決めつけて、僕は……「分かりました!」と返事をして店を出る。


 ネオンが輝く夜の町に出て彼女を追いかけようと――したところで見つけた。


 意外と近くにいたみたいだ。



「はぁ……はぁ……んっ」

 彼女はオシャレな街灯の下で立っていた。


「……どうして、別れようなんて言ったの?」

「……」

「ちゃんと、話してほしいんだけど……」


「――たの」

「え?」

「人権、置いてきたんだよね?」


「…………えっと、うん……」


 どうして知ってるの? 正直、あんな言葉だけでのやり取りで置いたことになる、とは思っていなかったし、仮に置いたことになったのなら、どうして彼女がそれを知っているのか、僕には分からなかった。


 頭の上にタグが付けられて出ているわけでもなし。

 そう言えば、彼女を見つけた時、彼女はスマホを見つめていた。

 多様な機能があるから決め付けはできないけど、連絡を取っていた、とも言えるわけで……。

 受付のお姉さんと繋がっていたりするのなら、僕が人権を置いたことを知ることだって……。


 可能だ。


「あなたは、いま人権がないんだよね……?」

「いや、ないわけじゃないと思うけど……」

「ないの。だからいま、なにをされても文句は言えない……んじゃないかな?」


 彼女がにじり寄ってくる。

 今にも飛びかかってきそうに鼻息荒く、両手をにぎにぎとさせて。


 身の危険を感じて後退する足を察した彼女が、僕を逃がさないように飛びかかってきて――――



「おかえりなさいませ。こちらお荷物と……人権になります」

「はーい、ありがとうございまーす」

 と、彼女はさっきまでの元気を取り戻し、荷物と(僕の)人権を受け取った。


「目論見どおりにいったようで。おめでとうございます」

「あはは、どうもでーす」


 やはり彼女と受付のお姉さんは繋がっていたみたいだ。元々知り合いだった? でも彼女のコミュ力なら初対面でも数分で仲良くなりそうな気もするし……。

 僕が席を立った時など、いくらでも時間はあったのだから。


 彼女は、別れ話を切り出すことで僕をレストランの外へ誘い出した。

 食い逃げをするわけにはいかないから、僕が持っている全てを置いていくことを想定して(いま考えれば誘導して、だ)――そして彼女は僕に、人権がない状態をいいことに鎖を付けた。

 本物ではなく、関係性という縛りだ。


 僕たちは主従関係を結んだ。


 彼女が上で僕が下で。彼女は結婚した後、僕が亭主関白になることを恐れたのだ。

 ……男は結婚すると変わると言うし……彼女の不安も分からないでもない(変わるというか、素に戻る、というだけの気もするけど)。


 だから僕の人権を奪って、その隙に、契約を結ばせた。


 僕は金輪際、彼女には逆らえない。


「(でも、結婚はできるってことなんだから……結果オーライだよね……?)」


 そもそも人権って、付けたり外したり――ピアスじゃないんだからさ……そんなことができたりするものなのだろうか。



「わたしの言うことが信じられないの?」

「うーん……でも……うん、それもそっか。君が言うなら『そういうもの』なんだろうね」


 僕たちの会話を聞いていた受付のお姉さんが、ぼそっと一言つぶやいた。

 聞こえていたけど返事をする間もなく、彼女に引かれて僕は店を出た。



「人権を置いておく、という思い込みをさせなくとも成立していたお似合いのカップル……いえ、夫婦にも思えますけどね」




 …了

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笑う死体/人権を置いていきます! 渡貫とゐち @josho

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