枯朽

一ノ瀬のSNSに頻繁に載せられている辻岡とのツーショットから、現在の一ノ瀬と辻岡の容姿はわかっていた。

大学に着いた僕は、一ノ瀬のいる確率の高い法学部近辺を歩き回った。

講義室には学生証がないと入れなかったが、昼頃には食堂まで行って探し回ったりもした。

しかしながら、やっぱり一ノ瀬は見つからなかった。

次の日も、そのまた次の日も探した。

しかし見つからない。

一ノ瀬のSNSも確認するがもともと週に1,2回程度しか更新がないため、今のところ情報はなかった。

一応、辻岡のSNSも確認するが特にめぼしいものはない。

大体今更一ノ瀬に会ったところでなんになるんだ。

こんな気持ちの悪いことをして何が変わるんだ。

そんな諦めの混じった自己嫌悪をじくじくと感じながら、少し開けた広場のようなところの隅っこにあるベンチに腰掛けた。

今はおそらく授業中なのだろう。

僕以外には誰もいなかった。

僕は大きいため息をつきながらベンチの背もたれに深くもたれかかって目を閉じた。


「あの、大丈夫ですか?」

そんな声に起こされた。

「ああ、すみません。」

僕は反射的に謝ってしまう。

これじゃあ完全に不審者だ。

慌てて体を起こして相手を前髪ごしに見上げる。

首がゴキリと鳴る。

いつの間にか寝ていたらしい、もう空が暗くなり始めていた。

おそらく職員であろう中年の男性が僕の前に立っていて、「そんなところで寝ていたら風邪をひきますよ。」と僕に言う。

「すみません、すぐ帰ります。」

僕はそう言って足早にそこから離れた。

時刻は18時前くらいだった。


大学の前にあるバス停に着いた時、列の前方に見覚えのある後ろ姿が見えた。

茶色のロングヘアに特徴的な大きめのピアス。

そしてカバンについたキーホルダーも全部、最近の一ノ瀬のSNSで見たものだ。

間違いなくあれは一ノ瀬だ。

ちょうどバスが来て、一ノ瀬はバスの真ん中の方の座席に座った。

僕は、横目で彼女の顔を確認しながら彼女の横を通り過ぎて、一つ後ろの座席に座る。

メイクもしていてかなり大人びて見えるが、一ノ瀬の顔にはあのころの面影があった。

いつ話しかけようか迷う。

流石にバスの中は気まずかった。

話しかけるタイミングを伺いながら、一ノ瀬と同じ場所でバスから降りた。

とりあえず一ノ瀬を見失わないように後を数分追いかけていると、一ノ瀬がマンションに入っていってしまった。

オートロックの自動ドアが閉まって、完全に一ノ瀬を見失ってしまう。

マンションをそのまま眺めていると、廊下を一ノ瀬が歩いているのが見えた。

下から順番に階を数えていく。

一ノ瀬は5階の僕から見て一番右の部屋に入って行った。

僕は一ノ瀬の部屋のドアを見上げながら、踵を返す。

明日だ。

明日会いに行こう。

会って、あの頃から変わらない気持ちを伝えて、死のう。

そう決心して駆け足で帰った。


帰りの電車の中で、一ノ瀬のSNSを見ていた。

高校の体育大会で撮ったであろう友人たち数人と映ったツーショットや、プリクラの写真、制服で映るいくつかの写真があった。

どれもこれも、僕が一ノ瀬としたかったことを具現化しているような写真だ。

僕との写真は当たり前だが、一つもなかった。

中学の時、一ノ瀬が辻岡を選んでいなければここに僕がいたのだろうか。

僕の部屋でコーヒーを飲んで、僕が一ノ瀬を家まで送ったのだろうか。

最後まで一緒に部活をやっていたのだろうか。

一緒に遊園地に行って、チュロスを食べて、観覧車に乗ったのだろうか。

僕は惨めな気持ちでいっぱいだった。

明日会いに行ったら、一ノ瀬は、多分、いや絶対気持ち悪いと思うだろう。

なんで家を知っているのかと思うだろう。

僕のことを覚えているかすら怪しい。

でも、どうせ死ぬんだから。

どうせ何も残らないんだから、せめて一ノ瀬の記憶には少しだけでも残りたい。

そんなことを考えているとき、SNSの通知を知らせる振動で僕は現実に戻された。

次の停車駅を知らせるアナウンスで僕がかなり乗り越していたことを知る。

少し憂鬱な気分で通知を確認する。

辻岡がSNSを更新したようだった。

ジョッキを持って乾杯をしている写真がアップロードされていた。

男女数人で長机を囲んでいる。

店の内装がオレンジの光に照らされていた。

僕はなんとなく、大学周辺の飲食店をマップアプリで調べた。


僕は大学の最寄駅で降車して、大学周辺の飲食店を巡った。

画像付きのレビューから大体5軒ほどに絞り込んで、辻岡たちがいないか確認していく。

3軒目で辻岡を窓際の席で見つけた。

僕は1人ということに若干の気まずさを覚えながら、席に案内された。

店は思ったより小さく、少し意識すれば辻岡たちの会話は聞こえてきた。

「あかりちゃんちょっと飲みすぎでしょ!」

男があかりという女に声をかける。

「え〜、そうかなあ?確かにちょっと酔っちゃったかも〜。」

あかりと呼ばれた茶髪を緩く巻いた女は、態度も緩いようで甘えるような声を出しながら応えた。

「大丈夫?家まで送ってこっか?それともうち来る?」

男が半笑いで冗談混じりで言う。

「松本くん!私も結構酔ってきちゃったんだけど〜!」

もう1人の女が言う。

「ゆきちゃん彼氏いるじゃん!」

松本と呼ばれた男は茶化すように言った。

「俺は彼氏いても全然いいけどね!」

辻岡が言う。

「お前も彼女いんだろーが!」

笑いながらもう1人の男が言う。

「辻岡くんサイテー!」

キャハハと不快な高い声で笑いながらゆきという女が言った。

「ゆきちゃん、あかりちゃん俺は彼女いないよ!」「俺も俺も!」「私、松本くんタイプ〜。」「西尾くんもかっこいいよね〜。」「おれは!?」「辻岡くんは彼女さんいるらしいからナシ!」「てか彼女怒んねーの?」「まあ大丈夫っしょ!」


地獄だった。

辻岡たちが「ごめん、ちょっとタバコ吸ってくるわ。」と女たちに声をかけて席を立ったので、僕も後をついていった。

辻岡たちは店前に置かれた灰皿に着くなり、タバコにライターで火をつけて喋り出す。

「正直俺、あかりちゃんちょータイプだわ。」

「ま?俺はゆきちゃんのがいいな。」

「それな。」

「じゃあこの後2、1で別れようぜ、俺あかりちゃんと飲み直すから。」

「いや、お前彼女大丈夫なんかよ。」

「同棲してんだろ、バレねえの?」

ああ、あの部屋で同棲していたのか。

「余裕。」

「なんでこいつに彼女いるんだよ。」

男たちはギャハハと笑いながら煙を吐き出した。

「じゃあ、俺らゆきちゃんいくから。」

「おけおけ。」

そう言ってタバコの火を消して笑いながら店内に戻っていく。

副流煙のせいか、気分が悪かったので、僕はしばらく外にいた。


僕は辻岡たちより先に会計を済ませて、店の外で待つことにした。

しばらく待っていると辻岡たちが店から出てきた。

辻岡たちは話していた通り、2人と3人に分かれて別々の方向へ歩き出した。

僕は腕を組んで歩く辻岡とあかりの後を追いかけた。

2人は僕に気づかない様子で、暗い路地を進んでいった。

僕はいつでも写真を撮れるようにポケットの中に忍ばせたスマホを握りながら後をつけた。

辻岡の顔がわかるくらい明るいところに出た瞬間に写真を撮って、明日一ノ瀬に見せてやろうと思った。

一ノ瀬が選んだ男はこんなクズで、一ノ瀬にいかに相応しくないかを言ってやろうと思った。

辻岡がどうなろうと知ったことではないが、一ノ瀬のことは僕が守らないといけないと思った。

僕が、一ノ瀬の世界からこのクズを消し去って、僕が一ノ瀬の隣にいるべきだと思った。

一ノ瀬には僕の方が必要だと思った。

僕が、思った。

考え事をしながら尾行していたから、足元の注意が疎かになったのだろう。

突然、足元からガッという何か重いものを蹴った音が鳴り、右足の指に鈍痛が走った。

咄嗟に壁に隠れて辻岡たちに気づかれていないか様子を伺ったが、2人はお互いに夢中で周りのことは気にも留めていないらしかった。

僕は少し苛立ちながら、足元に目をやる。

崩れたブロック塀が割れて転がっていた。

僕が今隠れている壁の一番上の段のブロックが落ちて割れたみたいだった。

僕はその中で一番大きな破片を両手で持ち上げた。

人生で初めて運命を感じた。

口角が少し上がった。

僕は前を歩く2人に少しずつ近づいていく。

2人は、まだ気づかないようだ。

辻岡との距離があと1,2歩というところまで近づいた時、やっと辻岡は気付いたようで僕の方へ振り向こうとした。

あかりが辻岡と腕を強く組んでいたせいで辻岡の顔だけが先に僕の方へ向いた。

僕は辻岡の顔に向かって持っていたブロック塀の破片をぶつけた。

ゴッと硬いもの同士がぶつかり合う音が聞こえた。

辻岡は「いっ...。」と言って後ろによろけた。

僕はもう一度、今度は上から破片を振り下ろした。

さっきよりも手応えを感じた。

女が叫んだ。

組んでいた腕が解けて辻岡は後ろに倒れた。

僕は辻岡に馬乗りになって、もう一度振り下ろした。

バキッという音がした。

辻岡は「ぅぅ...。」と言った。

僕は「全部お前が悪い。」と言った。

もう一度振り下ろした。

グチャッという音がした。

辻岡はゴポッと言った。

僕は「消えろ。」と言った。

もう一度振り下ろした。

僕の世界が壊れる音がした。

僕はブロック塀の破片を置いて立ち上がった。

もう女はいなかった。

垂れた鼻水を指で拭って、辻岡のポケットからスマホとタバコと部屋の鍵を取り出した。

一応、スマホの顔認証を辻岡で試してみたけど、無理だった。

タバコに火をつけて少し吸ってみた。

盛大にむせて慌てて消した。

スマホとタバコを辻岡のポケットに戻して、僕は一ノ瀬の部屋へと向かった。


公園で顔と手についた血を流した後、僕は電車に乗った。

時刻は午前0時を少しすぎていて、もう明日になっていた。

上下とも黒い服だったので返り血はそんなに目立たなかった。

僕はオートロックを辻岡の鍵を使ってあけて、エレベーターで5階へ行き、一ノ瀬の部屋の前で少し迷った末に鍵を開けて部屋の中に入った。

一ノ瀬は「おかえりー。」と僕に言った。

僕は何も言わなかった。

一之瀬のいるキッチンまで、靴も脱がずに早歩きで向かった。

一ノ瀬はこちらに目を向けて叫んだ。

僕は一之瀬の口を塞ごうとして勢い余って押し倒してしまう。

僕は慌てて、「ご、ごめん。」と謝った。

一ノ瀬が暴れて抵抗しようとしたので、僕は一之瀬の両手を押さえつけた。

「す、少しだけで、いいから、話を聞いて。」

僕は息を乱しながら話す。

一ノ瀬は声も出ないようで首を縦にゆっくりと振った。

「覚えてないと思うけど、僕、名前、河合優斗っていうんだ。中学一緒だった。」

「か、河合くん...?」

「そ、そう。それでね、その、僕、中学のときからずっと一之瀬のこと、好きだったんだ。」

一ノ瀬は困惑した様子だった。

このことを中学の時に伝えたかった。

「あのさ、なんで辻岡と付き合ったの?」

「へ?」

「なんであんなクズを選んだの?」

「なんで別れなかったの?」

「なんで、僕じゃなかったの?」

「えっと...、どういうこと...?」

一ノ瀬は要領を得ない様子だ。

僕は一ノ瀬に無理やりキスをした。

馬乗りになって、両手を押さえて、不恰好なキスだ。

「ちょっと、やめて、嫌!」

「全部、君が悪いよ。」

「僕がこうなったのも、辻岡がああなったのも、君がこうなってるのも、全部。」

僕は一ノ瀬の服を脱がそうとした。

一ノ瀬が抵抗しようと腕と足をめちゃくちゃに動かしたので、僕は一ノ瀬の顔を殴った。

一ノ瀬がそれでも続けたので、僕は一ノ瀬の首を両手で絞めた。

しばらくそうしていると、一ノ瀬はピクピクと痙攣した後動かなくなった。

僕は彼女のほっぺたをペチペチと叩いた後、服を全部脱がせた。

思ってたよりも、あんまりで少しがっかりした。

とりあえず、キスしたり、胸を揉んだり、膣に指を入れたりした。

そのあと、勃起した僕の陰茎を挿入した。

少し動いてみたが、そんなに気持ちよくなかった。

なんだか笑えた。

ひとしきり笑った。

笑って、笑って、性的な衝動も失せてしまった。

一ノ瀬のことが急に煩わしくなって、ベランダまで担いで運んで、落とした。

裸のまま一ノ瀬が普段眠っていると思われるベッドに横になって、布団をかぶって深呼吸をしたら、一ノ瀬の匂いで少し興奮してきたので、脱がせた一ノ瀬の下着を使って自慰をした。

そのあともう一度ベッドに横になったけど、ここで辻岡も寝ていたのかな、という想像をしたらなんだか嫌になって、ベランダに向かった。

下を見てみると、一ノ瀬が裸で倒れていた。

僕もそこに向かって飛び降りた。

一ノ瀬から少し離れたところに落ちた。

なんだか笑えた。




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春に散る 大鐘寛見 @oogane_hiromi

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