魅惑の曰く付き
阿炎快空
魅惑の曰く付き
「へぇー、けっこう広々としてますねぇー」
案内されたリビングで、俺は声を弾ませた。
一方、まだ若い男の担当者は、
「ええ……そうですね……」
傍でそう頷きつつも、何故か浮かない顔だ。
大学近くへの引っ越し。
駅からも歩いて数分の1LDK。
しかも家賃も破格とくれば、貧乏学生には言うことがなかった。
「本当に、家賃そんなに安くていいんですか?」
「はあ……ただ……」
「ただ?」
「正直、その、少し壁が薄くてですね……」
「ああ、なるほど……まあ、別に構わないっスよ、それくらいは」
前のアパートも壁は薄かった。
隣室の生活音もさほど気になったことはないし、馬鹿騒ぎをするような友人も居ない。
「そうですか……ただ……」
「ただ?」
「やはり、お風呂がないのが……」
「あー……でも、共用のシャワールームありましたよね?あと、近くに銭湯もあるっぽいし」
それに汚い話、数日風呂に入らなかったところで死にはしまい。
「そうですか……ただ……」
「まだあるんスか?」
「線路がすぐ横なんで、電車の音が……」
「全然大丈夫っス!壁の件もそうですけど、俺、そういうの気にならないんで」
もしもアレな時は、耳栓つけますし——俺はそう言って笑うと、改めて部屋を見回した。
「大学からもそんなに離れてないし、この部屋に決め——」
「すいません!」
全てを言い終える前に、担当者が俺の言葉を大声で遮った。
「やっぱり——やっぱり、この部屋はお貸しできません!」
「ええ!?」
猛烈な勢いで頭を下げる担当者を前に、俺はただただ慌てるしかない。
まさか、ここまできてそんなことを言われるとは。
「そ、そんな!どうしてですか!?」
当然の俺の疑問に、担当者は言いにくそうにしながらも、ポツリ、ポツリと語り始めた。
「実はその、ここ——出るんです」
「出る?出るって……まさか……?」
ゴクリと唾を飲み込む俺に、担当者が告げる。
「はい——血まみれの女が、毎晩」
「ええええ!?」
確かに「風呂なし」ことを差し引いても破格の値段だとは思ったが、そんな事情があったとは。
漫画やドラマの中だけの話かと思っていた。
にしても、だ——
「ちょっと——そういうことは、もっと早く言ってもらわないと!」
「誠に、申し訳ございませんっ!」
「ったく、もう……」
今にも土下座せんばかりの担当者を前に、俺は深い溜息をついた。
「……可愛いですか?」
「……は?」
「『は』じゃなくて!その人は、可愛いんですか!?」
「えっと……幽霊が、ですか?」
「当たり前でしょ!今、幽霊の話してるんだから!」
相手の鈍さに苛立ちつつ、俺は更に担当者に詰め寄る。
「何かないんですか!?こう、『芸能人で言うと誰それに似てる』とか!?」
「えっと、そういえばたしか、以前に入居されてた方は『恐ろしいくらい顔が整っていた』と——」
「よーし、きたきたきたー!!」
「えー……」
途方に暮れる担当者とは対照的に、俺のテンションはどんどん上がっていく。
「大学入って早々に同棲かあ……うわ、どうしよ、緊張してきた……」
「あ、あの、ちょっと待ってください!何を期待してるかわかりませんが、考えなおした方がいいです!前の入居者も、ベッドの下から急に足を掴まれたり——」
「触れるんですね!?」
「はい!?」
「だって、そういうことっスよね!?向こうが触れてこっちが触れないんじゃ、道理に合いませんよね!?」
「知りませんよ!」
「いや、ちょっと待てよ……そうなってくると、壁薄いってちょっとアレですよね!?」
「心配そこですか!?」
「いや、僕としては問題ないというか『むしろ聞かせてやれ』的なところもあるんですけど、やっぱり向こうが——」
「あなた、幽霊と何するつもりですか!?」
「ナニって……」
俺はニヤつきながら、肘で担当者の胸を小突く。
「嫌だなあ、わかるでしょお?」
「わかるからこそ問いただしている!」
「部屋にシャワーがないってのもなあ……いや、この際、そこは目を瞑るか。こう、二人で並んで、銭湯とか行っちゃったりしてね——って昭和か!」
「無茶苦茶はしゃいでいる……!」
と、とにかく——と、担当者が必死に軌道修正を試みる。
「お安い物件なら他にもありますし、一度そちらも見てみませんか?」
「でも、そっちは〝お触り〟なしなんですよね?」
「何ですか〝お触り〟って!」
「じゃあ、こっちの店がいいっスよ」
「店じゃねえよ!」
「ここがどうしてもダメなら、どこか他に化けて出てくれるとこを——」
「『出てくれる』って何ですか!幽霊ありきなのおかしいでしょ!」
「何なんですか、さっきから——僕が『いい』って言ってるんだから、いいじゃないですか!」
「そういう訳にはいきません!これは職業倫理の問題です!」
ぐぬぬ、小難しいこと言いやがって。
「じゃあ、僕に一体どうしろって言うんですか!?」
「生きてる彼女つくればいいでしょ!」
「それができりゃあ苦労しねえよっ!」
突然両手で胸倉を掴まれた担当者が「ひいい!?」と悲鳴をあげる。
「な、何急にキレてるんですか!?」
「俺、これまでの人生で嫌と言うほど知ってるんスよ!生きてる女の子は、俺のことを好きになんかならないんスよ!」
「ち、血の涙だと……!?」
幽霊以上の化け物を見るような目で俺を見つめる担当者。
どう思われようと、こんな優良物件を手放してたまるものか!
「とにかく、俺は絶対に——」
と、その時。
『出て行け……!』
押し殺した声と共に、室内を禍々しい空気が支配する。
「——え?え?何すか、今の?」
「ま、まさか、まだ昼間なのに——うわああっ!?」
「ど、ど、ど、どうしたんスか!?」
思わず胸倉を離した俺の問いかけに、担当者が今にも泣きだしそうな顔で答えた。
「い、今、私の背中に、誰かがはりついて——」
「マジッスか!?ヤッベ——ちょっと待っててください!」
「な、何を——?」
ぐずぐずしてはいられない——俺は素早くポケットからスマホを取り出す。
「いや、写るかなと思って」
「興味津々じゃないですか!助けてくださいよ!」
「まあまあ——はいチーズ」
パシャリ——シャッター音と共に電球が点き、担当者が「うおっ!?」と声をあげて周囲を見渡した。
さっきまでの禍々しい空気も、嘘の様に晴れている。
「い、いなくなった……?」
「フフフ、カメラで撮られて逃げちゃうなんてシャイな子だなあ。どれどれ——ん?んんん?」
そこにはたしかに、血まみれながら、とても整った顔立ちの若い女が写り込んでいた。
だが、しかし。
「……あー、なるほどねー……そうきたかー……」
「……黒ギャル、ですね」
「てか、この手の話でギャルのパターンって珍しいっすよね?」
「まあ、確かに。大抵は色白な清楚系のイメージありますけど」
「顔はうらめしげなのに、ちゃっかりギャルピースしてるし」
「ギャルの習性ですかね?カメラ向けられるとついやっちゃう、みたいな」
「うーん……いや、決して〝無し〟ではないよ。たまーにそういう気分の日もあるけど……むむむむむ……」
ガタンゴトン、ガタンゴトン——
気にならなかったはずの電車の音が、今はやけに大きく感じる。
長い長い沈黙の末——俺は絞り出すような声で、その決断を口にした。
「店長……………〝チェンジ〟で」
「店じゃねーんだって」
魅惑の曰く付き 阿炎快空 @aja915
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