ラストラン
秋乃晃
飛び立つトキ
この馬の戦績ならば当然の一番人気。単勝元返し。先頭でゴール板を駆け抜けたとしても、払戻金は賭け金のその額のまま。……せめて1.1倍になってくれたらいいのにな。短い時間で、銀行よりも儲かる。
「ユタカさーん……!」
ユタカ、と聞いて周りのやつらの何人かがこちらを見た。一瞬だけ見て「なんだよ」って顔をする。競馬界のユタカといえば
「おう、どうした?」
「どうした? じゃないですよもう。いきなりいなくなるのやめてもらえません?」
「悪い悪い。これ見てたんだよ」
俺はオッズの表示されているモニターを指さす。大外の単勝1.0倍は、びくともしない。変わらない数字を、飽きもせずに見上げていた。
「こんな数字見ててもしゃあないでしょ。パドック行きましょうよ。パドックに行ったものだとばかり」
「今から行っても、人の頭を見に行くようなもんだべ」
「まあ、そうっすね……」
俺もコイツも、今日で引退する馬を見るためだけに新潟競馬場に来ている。他のレースは正直どうでもいいが、せめて今回の旅費を出せればなとちょいちょいと買ってみて、今のところは微増。プラスだからまあいいか。年長者として、タレカツ丼ぐらいならコイツに奢りたいもんだが。
「ほんとうに、引退すんのかな」
三歳クラシック路線は鳴かず飛ばずではあったが、ケガなく乗り切って、スプリント路線に切り替えて素質が開花した。血統から考えて「距離は短縮するよりもむしろ延長したほうがいい」などと専門家はえらそうな態度で言い切ったが、あれよあれよと勝ち上がる。
特にここ、新潟競馬場の直線コース――日本の競馬場で唯一の、直線で1000メートルのコース――が合っていた。閃光のような末脚が発揮されるのはこの特別なコースだけ。競馬ファンは稲妻に直撃されたように、しびれてしまった。
「撤回して、現役続行してくれないすかね……」
モニターに映るその磨き上げられた馬体は、今日がラストランだとは思えないほどに輝いている。俺はただのファンで、関係者ではないけれども、もう二度と競馬場でこの姿が見られないのは悲しい。
「牧場で草を食べる余生を過ごすんかな」
「いや、引退したら誘導馬になるらしいすよ」
「……なら、競馬場からいなくなるわけじゃあないのか」
「誘導馬としてのデビュー戦も見に来ましょうね」
「ああ、そうだな」
ラストラン 秋乃晃 @EM_Akino
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