五限目➁



【2】


 三限が終わると、生徒の半数近くは校舎から出て行く。なぜなら、在校生の過半数は寮生であり、そして彼ら専用の食堂はセイント・ドミニク寮(私たちがよく想像する聖人の典型にぴったしの、黒い修道服ローブを着た禿頭のスペイン人に因んでいる)の二階、残り二つの寮舎に挟まれた位置にあって、しかもこの建物群は校舎敷地に隣接してあるので、昼以降に授業のある日とくれば、彼らは二度も登校しなければならなかった。

 そんな生徒達も学年が上がって来ると、二度登校するなんて馬鹿馬鹿しくなってくるのか、もしくは料理の味が悪いのか、寮に帰る人数は減ってくる。じゃあ彼らはどこで食事を摂るのかというと、それは多目的棟に併設された食堂棟に向かう。(どうして寮食堂と別々に運営管理しているのか、これは学園の七不思議のうちの一つである。)すると、通学生分のスペースしかない食堂棟は昼休み始まって十分経たずと満員になる。物理的に座る場所がなくなるので、後参入者は、通路や建物の外、運動場、教室、色んな所にトレイを持っていて、各々食べている。また学園の中には、その後返却されていない大量のトレイと食器の残骸を埋め立ててできたがあり、それこそ裏手の第二グラウンドではないかと囁かれていた。もちろんこれも、学園の七不思議の一つである。

 十年ほど前、右の光景が常態化し始めた時には、まだ常識的な危機感があったのか、食堂を拡張したり、もしくはきちんと棲み分けすること等を主張して、丁度この日に、多くの有志が食堂舎の通路で立食するという市民的不服従運動を展開した。しかし役員理事会の結論は、『都合に合わせて、好きな所で食べて貰って構いません』という態度に終始したものだから、騒動の後に残ったのはゴミと紙屑とクラッカーの火薬で滅茶苦茶になった食堂舎くらいである。学生の生活環境なんかに金を使いたくないという学園側の意思がかたくなだとようやく皆気づくと、この運動はすぐに離散することとなった。そうして、脚色し甲斐がいもない歴史を真面目な顔で話すOB・OGと、今日この日の記念日的位置づけだけが、今日まで脂シミのように残っている。


【3】


 食堂舎の一画にありついたのは、とある二人組だった。仮にだが、彼らを北に向かって手前からXにY、そう呼ぶことにしよう。


 Yは言った。「それって一人で食うのか?それとも席取り用とか…」

「バカかお前のだよ」Xは机に両手に持った丼ぶりを二個置いた。「嫌なのか?そういうの、後から言うってズルいだろ」そう言ってやれやれ、と席に着く。「高校生でカレーなんて嫌いな奴が居るか?」

「普通、カレーに饂飩うどんが入ってるか?それに出汁まで」

「それが美味いんだよ、緩く延ばしたスープに妙な感があって」Xの態度はまさに被告人側弁護人のソレに似ていた。

「あと飛び散るし」Yはそう言って麺を一本だけ、ボローニャ駅構内に仕掛けられた爆弾に気づいて解体しようとする非勤務時の危険物取扱人デモリション・マンみたいに、そっと摘み上げた。「それに今、最悪だったりウンザリしたりもしてないんだ」

 食べ方によるだろ、とXは思った。が言わずにおいた。「何のことだよ、最悪とかって…」

「謎かけだよ。ちゃんとすると、"最悪とウンザリのあいだはなーんだ"」

「答えは分かった」少しも経たずにXは言った。「でも、それじゃ駄目だろ」

 Yは箸を置いて顔を上げた。「うん、良い心掛けだねえ。ネタ晴らしの快感カタルシスを譲ってくれるなんて。じゃあもういいかい?」

「早く言えよ」

「最悪はso badサイアク、うんざりはso overウンザリ。すると真ん中にくるのはsoberシラフだよ。辞書で引いてみたらいい」

「絶対違うね」遺憾ながら、Xの言う通りである。「昨日もまたやってたのか?」

「そうそう、谷野ヤノ医院で。アイツね、冷蔵庫に――[都合に付き中略]――でも総計では俺が勝ってるよ。まだね」

「確率の収束を実践してるんだな、社会学者サマ」Xははやばやと食べ終えて、空の丼ぶりを窓側に押しやった。「じゃあ、は見てないな。お前」

「ライン?」Yは遅々とした一定のリズムで麺を取り上げていた。「そういや、今日スマホあれでな、充電が無くて。だから見てない。ごめんな」

 Xはそれほど落胆していなかった。それは既に呆れ切っていたからかもしれないが、ともかく声色は変わらなかった。「うん、いいよ。Aを待とう」

 Yは「ふーん」と呻った。"なんでAも?"とは聞かなかった。見透かされた問いだと思ったからだ。


 中休みが始まって二十分と少し。午睡にはまだ全然早いようだけど、Xが平らげたカレー饂飩とかいう代物はどこを取っても炭水化物塗れという感じで、血糖値が急激に上昇し、またそれを受けて副交感神経が作用したのか、目の奥からどっと疲れが出て来た。——だったので、0℃近くに冷やされ切った金属が不意に当てられたりすると、飛び上がらざるを得ない。

 Xが振り上げた手が空を切ったのを認めると、次に長机に視線を戻した時にはAが座っていた。指先でちょんちょん、と件のスチール缶を弄りながら。

「遅い」とYは言った。「お花摘みか」

 Aは口を大きく開けかけた。「なにそれ。てか来たんだからいいじゃん」

「じゃあ、ここに来る理由はあったんだ」Yは胡乱気に言った。Y特有の話し方として、同じことをそのまま、または表現を変えて、何度も繰り返すというのがある。うざったいことこの上ないが、これをYは皮肉を使い損ねたように、意識的(悪く言えばほとんど)に言うのである。

 Xは一段声を大きくした。「じゃあ揃ったしさ、ちゃんと話そう」

「なあ」YはAに囁いた。「何のことか、知ってるだろ?」

 Aはそげなく言った。「さあ、昨日ここに来いって。それだけ」

「聞いてるか?」Xは人差し指で机を叩いた。しかし周りのに掻き消されて、三人から数十センチと離れると声は聞こえないようだった。

「やっぱ、帰ってりゃよかった」YはXの方に向き直りながら言い捨てた。「財布、持ってきてたらなあ」


【4】


「それはお前が悪いよ」とYは言う。

「Xが悪いね」とAも言った。

 Xは肩をすくめた。「なあ、誰か一人はオレの肩を持つべきだろ。いやそれはいいけど、"悪い"って…。どう考えたって悪いのは広報局じゃないか?」

「三人なんだから票は割れるだろ。局長には直で言ってみたのか?」"局長"とは、文実委広報局局長のことである。「ダメ元でもさ」

「もちろん」Xは自信有り気に言った。

「それで、駄目だったんでしょ。結局」とAが聞く。すると「もちろん、そりゃね」とより自信を深めたような声色が返ってきた。

 Yはお得意の論法で繰り返した。「それで、ってワケか。まったく熟慮の末、って感じだな」

「馬鹿かお前、バカ。盗むんじゃないだろ。元々こっちのモノを返してもらって、それをもう一度元に戻そうって言ってるんだから。紳士的な対応だろ」

「ストレージにZIP爆弾でも仕掛けようか、とか言ってたでしょ」

「ほんの意趣返しだよ」

「こんなヤツが部長になるんだから分かんないもんだ」YはAの持ってきた缶を奪い取っていて、もう殆ど中身の残っていないソレを飲み干そうとした。「――ああいや違ったな。だったっけ?」

「正直言えば」とXは観念したように言った。「みんなの許可は取ってないんだ。今のところは、まだ」

 AとYは顔を見合わせて、『だろうね』と言った。


 ここで一つ、当校の文化祭の内であるイベントに言及しておきたい。それはずばり、『CM作成』である。

 CMとは、"ゼネラルモーターズGM"でも"ランダム・アクセス・メモリRAM"でも、もちろん"ミネソタ鉱業製造会社3M"のことでもなく、宣伝用ビデオのことである。先程の話を覚えている方が何人居られるか分からないが、ここで『食堂舎事件』の話に戻ってくる。

 CM製作はもともと、仕事の少なく人気のない広報局が考え出した案で、開会式で集まる体育館でそれぞれの団体のCMを宣伝させ、それを投票集計して、最後に表彰しよう、という企画だった――が、始まって二年の間ほとんど人気が無かったので、総合企画局や体育館部門の連中が、権限踰越だとかうるさくいう事も無かった。それが変わったのが十年前。写真部の5分にも及ぶ『食堂舎事件』のルポ風映像が巧みなカットによって人気一位に輝き、その後映像なんたら…、ともかく金は貰えないけど内申書には堂々書けるような文化賞に与ったの期として、どの部もどのクラスも、こぞってCMに精を出すようになっていった。パンフレット付属のチケットで行われていた投票制も印刷所を交えた大規模な不正の後は厳格になり、学外から人を招くようにまでなって来ると、今まで黙っていた先の連中は面白くないから、やたらと口を出し、隙を伺っているのだった。

 そして、その内でもっとも激しく対立していたのは、写真部と映画研究会で、もはや後者が一方的に前者を敵視していた。新入生が評判を聞いて写真部に入っていくのを横目で見ながら「映像ってのはこっちのお株だ」と映研の方は言いたい訳で、でも今の所その評判を見返せてはいないらしい。


 Yはいくら映研の伝統とはいえ、Xがここまで本気で勝ちたがっているというのを珍しく思い、驚くとともに、妙な違和感もあった。

 Aは聞いた。「去年の映像を間違って出したって、素直に言えばいいんじゃない?それなら、申請でも通るんじゃないの」

「それを嫌だ」Xは続けた。「なんか、負けた気になるだろ」

「意味わからん。じゃあこっそり取ってくのはどうなんだよ、スポーツマン・シップ的に」

?ああなるほど」Aは少し笑いながらまた繰り返そうとしたが、Xに睨まれたので止めたようだった。

「遅刻はただの違反だけど、出し抜いたら一枚上手だって、そういうことだよ」

「具体策はあるのか?」

「ん?」

「だから、具体策だよ」Yはウンザリしながら言った。どうやら酔いも醒めて来たらしい。「どうやって取る?どう入れ替える?そして、どうやって戻す?」

 Xは眠気の雲が晴れたような顔つきになった。「そうだな。ずっと反対ばっかで、そこの所を話せてなかった。いい質問だよ、Y」


 人が大分けてきた食堂舎の後ろに並ぶ自販機の前から返ってくる間、そんな僅かな小休止をおいて、Xは計画について話し出し、二人はそれに付き合った。Yはまた白ブドウの粒入り缶を飲みながら、Aは『食堂舎事件』記念の揚げソーセージ入りロールパンを頬張って。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

5と6のあいだ 三月 @sanngatu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ