第3話(最終話)

「夜の電車ってなんだかワクワクするね」


 公園を後にした俺と蒼衣は目的地も無く電車に乗り込み、とにかく遠く、遠くの駅を目指しながら心地よい揺れに身を任せていた。

 

 この状況だけ見れば、あたかも両親に結婚を許してもらえなかったカップルが駆け落ちをしているように見えるかもしれないが、実際はもっと複雑で、あり得ない状況に陥っている。


 それでも蒼衣が楽しげに振る舞っているのは、そんな状況だからこそなのだろう。

 お先真っ暗な状況なのだから、気分くらいは明るくいこうという気遣いなんだと思う。

 

 見切り発車のこの旅の終点がどこで、どのような終わりを迎えるのかはわからない。

 それでも行動を起こさず蒼衣が再婚相手とその息子と一緒に暮らし始めるくらいなら、失敗に終わるとしても何かしら行動を起こすべきだ。


「夜の電車がっていうよりはこの状況にワクワクしてるだけな気もするけどな」


「そこは『確かにワクワクするな』でいいんだよ。状況が状況なんだし少しでも楽しい雰囲気にしないと損しかないでしょ?」


 蒼衣の言うことには一理あるが、そう簡単に気持ちを切り替えられるほど俺のメンタルは単純ではない。

 楽しい雰囲気を維持しようとしても、すぐ俺たちが置かれている状況のことが頭に浮かんできてしまう。


「……よかったのか? 母親に何も言わず電車なんか乗り込んで」


 公園で差し伸べた俺の手を、蒼衣は握ってくれた。

 それは俺の選択が正解だったことを証明してくれているが、それでも俺は自分の行動に自信を持つことができていない。


 蒼衣にとって最善の選択が他にあったのではないだろうか。

 蒼衣を連れ去るような行動を取らない方が蒼衣は幸せになれたのではないだろうか。 


 走り出してしまったのだから弱気になるべきではないのだが、蒼衣のことが大事だからこそどうしても考えてしまう。


「うん。後悔してないよ」


「本当か?」


「だって私、澪君になんとかしてほしくて今私が置かれてる状況を全部話したんだもん」


「……は? 俺になんとかしてほしかった?」


「そっ。澪君に相談すればなんとかしてくれるんじゃないかって思ってたし、澪君から私が他の男の子と一緒に暮らすのが嫌だって言われたら背中を押されてママに嫌だって言えるんじゃないかとも思ってたの。そしたら予想の斜め上の回答が返ってきちゃったからびっくりはしたけどね」


 蒼衣の発言には驚かされるが、そう考えると辻褄が合う部分もある。


 俺が蒼衣に『同い年の男子と一緒に暮らすなんて嫌じゃないのか?』と訊いた時、『私、嫌がってるように見える?』と訊いてきたのも、『ふーん。そっか』と歯切れの悪い回答をしてきたのも、俺が手を差し伸べてくれるのを待っていたのかもしれない。


「な、なんだよそれ。それなら最初からそう言ってくれればもう少し冷静に対処法を考えることだってできたのに」


「私からなんとかしてくれって言ったら澪君人がいいから嫌でもなんとかしようとしてくれちゃうでしょ? それは嫌だったんだよ。澪君自身の意思でなんとかしてほしかったの」


 蒼衣が考えている通り、俺が蒼衣に好意を抱いておらずただの友達だとしか思っていなかったとしても、助けてくれと言われたら『嫌だなぁ』とは思いながらも状況を改善するために奔走しただろう。


 蒼衣は俺が困っている人を見ると放っておけない性格だということを知っているので、そうならないため直接助けを求めることはしなかったようだ。


 俺が蒼衣の立場でも同じようなことを考える気がするが、逆に蒼衣が俺の立場だったとしても、今俺が考えているように『最初から助けを求めてほしかった』と思うのではないだろうか。


「別にそれならそれでいいじゃないか。どっちにしろ助けてもらえるんだから」


「澪君のことは家族だと思ってるって言ったでしょ? そんな大切な人にできるだけ迷惑はかけたくないんだよ」


「俺も蒼衣のことは妹みたいに思ってるって言っただろ? 妹が悩みを抱えてたら最大限力になりたいと思うのが兄ってもんなんだよ。俺のことを家族と同じように思ってくれてるっていうなら、次からは遠慮するなよな」


「……ありがと。じゃあ次から遠慮しないね」


「それよりその再婚相手の連れ子はもう自分に新しい母親ができてその娘と一緒に暮らすって事情は知ってるのか? 慎ましい人間ならそんな話を聞いたら新しい母親の娘に申し訳ないからって断りそうなもんだけどな」 


「なんかまだ伝えてないらしいよ? 私も伝えてもらったっていうよりは家に婚姻届が置いてあって、ママに『何これ結婚するの?』って問い詰めたら教えてくれた感じで、どんな人と結婚するのかとかは聞いてないし」


 俺が再婚相手の息子の立場なら、一緒に暮らすことになる女子のことを考えて一緒に暮らすのは嫌だと拒否するだろう。


 とはいえ普通の男子なら蒼衣のような美少女と一緒に暮らせるとなれば断る理由は無いので、『まあ断らないよな』と諦めてはいたが、まだ伝わっていないのであれば再婚相手の息子が蒼衣と一緒に暮らすことを辞退してくれる可能性もゼロではないか。


「そうか。ならその息子の方からお断りしてくれるのを願うってのも一つの手だな」


「そうだね、むしろそんなに気の遣える人なら一緒に暮らしちゃってもいいかもしれないけど」


「いやだめだろ。俺が嫌なんだから」


「ふふっ。そうだね。どんな人でも一緒に暮らすのはやめとくよ」


「それにしたってまさかそんなラノベ的な展開現実に存在してたんだな……。しかも蒼衣がその当事者になるなんて」


「私もびっくりだよ。一回も会ったことない男の子と突然一緒に暮らすことになるなんて普通ありえないよね」


「あり得ない展開だからこそラノベにしたら面白いのにな。大谷がメジャーでピッチャーでは当たり前のように二桁勝ってバッターではホームラン王獲って漫画以上に漫画なことするから野球漫画の作者が泣いてるのと一緒だろこんなの。ラノベの作者が泣くぞ」


「漫画以上に漫画な展開になるならせめて異世界転生とかにしてほしかったね」


「まああれは漫画で見てるから面白いんだけどな。実際異世界転生なんかしたら多分焦り弾け飛ぶわ」


「ふふっ。何それ。でも確かにそうかもね」

 

 少しずつ今のあり得ない状況を受け入れ始め、ようやく俺たちらしい会話が戻ってきた。

 

 これからもこんな会話を続けていくには蒼衣が笑顔であることが必須であり、そのためにも蒼衣が再婚相手とその息子と一緒に暮らすことになるのは阻止しなければならない。


「はぁあ。せめて一緒に暮らす男の子が澪君だったらよかったのになぁ……」


「……え、俺だったら?」


 蒼衣のセリフの内容がかなり衝撃的なもので、俺は思わず訊き返してしまった。


「ち、違うよ⁉︎ さっきから言ってるけど澪君って家族みたいな存在だから、絶対に同い年の男の子と暮らさないといけないって状況なら澪君がよかったなって話しで、好きとかじゃないからね⁉︎」


 ……さっきの俺を見てるみたいだ。


 好きとかじゃないと否定はしているが、蒼衣はファミレスで『好きでもない同い年の男子と一緒に暮らすなんて勘弁』と言っていた。

 ということは、もしかしたら俺に好意を抱いている可能性もゼロではないのか?


 ……いや、それは都合の良すぎる勘違いか。


 俺の方は蒼衣に恋心を抱いているが、蒼衣は俺のことなんてどこまで行っても家族としか思っていなさそうだし。


「わ、わかってるって。俺も絶対に同い年の女子と暮らさないといけないってなったら蒼衣って言うしその意味は理解できるよ」


「でしょっ。澪君にだって下着見られたり着替えしてるところ見られたり裸見られたりするのは恥ずかしいんだから」


 恥ずかしい、か……。


 先程は同い年の見知らぬ男の子に下着や着替え、裸を見られるのは嫌だと言っていたが、俺に対してはではなく、としか言っていない。


 それは俺になら下着や着替え、裸などの恥ずかしい部分を見られてもいいと思っているということにもなる。


 その発言の真意を問い詰めることもできたが、悩んだ末に指摘するのはやめておいた。


「……あっ、ママから電話だ。電車の中だけど出ちゃっていいかな?」


「こんな時間の田舎の電車、誰も人なんていないし気にしなくていいだろ」


 そう言って蒼衣は俺との会話を有耶無耶にするように母さんからの電話に出た。


 絶妙なタイミングで電話をしてきてくれた蒼衣の母さんに感謝しながらも、その電話の内容は間違いなく蒼衣の帰りが遅いことについてだろう。


 上手く話がまとまることを願うしかないが……。


「あっ。もしもしママ? うん、大丈夫。帰りが遅くなってごめんね」


 母親に謝罪してから蒼衣は俺の方を一瞥し、それからまた話し始めた。


「……実はね、私ママの再婚相手と息子さんとは一緒に暮らしたくないの」


「えっ、ちょっ、それっ」


 蒼衣が母さんに伝えた内容に動揺を見せる俺に、蒼衣は人差し指を唇に当てて『シーッ』とジェスチャーしてきた。

 それは先ほど言えるわけないと言っていたことで、蒼衣が無理をしていることは考えなくてもわかる。


「私が無理言っちゃうとママがせっかくいい男の人見つけてきたのに、上手くいかなくなっちゃうかと思って言えてなかったの。でもやっぱり急に同い年の男の子と一緒に暮らすのは難しいなと思って」


 結局蒼衣は俺のせいにするのではなく、自分の正直な気持ちを母さんに伝えた。


 それはもしかしたら先程蒼衣が言っていたように、俺が蒼衣と再婚相手の息子が一緒に暮らすのは嫌だと言ったことで、勇気が出たから気持ちを伝えられたのかもしれない。

 そうだとするならば、蒼衣に呼び出されて話を聞いた甲斐があったってもんだが。


 蒼衣が勇気を出して自分の気持ちを伝えられたのはいいが、それ以降俺は蒼衣が母さんの言葉に対して相槌を打っている様子を眺めることしかできなかった。


「……うん、うん。ありがとね。ちょっと今澪君と遠出してるけど、今日中には帰るから」


「え? うん。澪君と一緒にいるよ?」


「ん?あ 何が良かったの?」


「そっ? なんでもないならいいけど」


「うん。気を付けて帰るね。それじゃ」


 そして澪は耳元からスマホを離し、電話を終了するボタンを押して母さんとの通話は終了した。


「どうだった?」


「……はははは。予想の何倍も軽い感じで『蒼衣に苦労かけないよう同じアパートの隣に住むとか、いい場所がなければ蒼衣だけ今の家に住み続けるとか、考えるようにするから』って言ってくれたよ。私、考えすぎだったんだね。いつからママにそんな気を遣うようになってたんだろ」


 母親として蒼衣が悩んでいたことに気付いていなかったのはやはり母親失格だとも思う。

 いや、もしかしたら気付いていたながら知らないフリをしていたのかもしれないが、そうだとするならば余計に母親失格だ。


 とはいえ、旦那を亡くし、それ以降も幸せになれなかったという状況を考えれば蒼衣の母さんが蒼衣に配慮できなかった理由もわからなくはない。


 それに、伝えなければわからないこともある。


 自分の気持ちを伝えなかった蒼衣にも非はあるだろうし、まずは蒼衣が気持ちを伝え、その気持ちに蒼衣の母さんが寄り添ってくれてよかった。


「よかったじゃん。むしろ今この電車に乗ってる意味が無くなりすぎてちょっと笑いそうだわ」


「意味はなくても私は楽しいよ? 澪くんと一緒にいるの」


「……ならもう少しだけこのまま電車乗ってみるか。なんとか終電で帰れば怒られないだろ。まあ補導される危険性はあるけど」


「澪君と補導されるならそれもいいかな」


「いやどういうことだよそれ。……あれ、俺も父さんから電話だわ」


「いいよ。出て出て」


 父さんから電話なんて珍しいが、何の用だろうか。

 確かに時刻は二十時を周り、高校生が帰るにしては少し遅い時間ではあるが、男友達と遊んで帰るのに遅くなることもあるので、心配で電話をかけてきてるってこともないと思うんだが。


「もしもし。なんかあった?」


「言いたいこと? 今友達といるから手短に伝えてくれ」


「なんだよ。もじもじしてないではっきり言えよな。一緒にいる友達にも迷惑なんだしさ」


「ああ、だから早く言えって」


「……は? 蒼衣? なんで蒼衣の名前が出てくるんだよ」


「……へ?」


 父さんが話した言葉を聞いた瞬間、俺の頭は真っ白になった。


 それから色々と父さんが俺に細かい話をしてきていたような気がするが、父さんの言葉は全て右耳から入りそのまま左耳から抜けて行っているような状態だった。

 父さんの声だけはずっと聞こえてきているが、何を話しているのかを理解できるほど頭は回転しておらず、父さんの言葉に空返事をすることしかできない。


 そんな状態が数分続いてから、俺は電話を切った。


「……えっ、何かあったの? 私の名前が出てたみたいだけど」


「……ごめん、蒼衣さん」


「……へ? なんで謝るの?  てかなんでさん付け?」


「あなたに伝えなければならないことがあります」


「え、何その話し方。普通なら、告白⁉︎ とかって色めきたった勘違いをするようなセリフなのに恐怖しか湧いてこないんですけど」


「……落ち着いて聞いてください」


「……はい」


「葉山蒼衣さん、あなたは来月から、白原蒼衣になるようです」


「……はい?」


 俺が蒼衣にそう伝えた時の蒼衣の気の抜けた表情は一生忘れないだろう。

 人間あまりにも理解できない内容を伝えられると一旦アホになってしまうんだな。


 それから俺たちは電車の中でお互い顔を真っ赤にしながら、会話できないままただひたすら電車に揺られていた。


 俺は俺で『慎ましい人間なら一緒に暮らすのを断りそう』だとか『母親の配慮が足りない』とか言っていたわけだが、今となってはそんなこと言わなければよかったと思っている。

 できれば蒼衣と一緒に暮らしたいし、蒼衣の母さんは蒼衣に配慮していなかったのではなく、一緒に暮らすのが俺だったから大丈夫だろうと思っていたのだろうし。


 蒼衣は蒼衣で、『同い年の男子と一緒に暮らすなんて勘弁』と言ってはいたものの、家族的な関係の俺ならもう嫌がる理由もないし、俺に裸を見せにいくと言っていたようなものなのだから、どんな顔をして俺の方を向けばいいかわからないだろう。


 結局その日はそのまま無言で自宅の最寄り駅まで帰り、お互い無言のまま気まずい雰囲気で手を振って帰宅した。


 それから俺と蒼衣が同じ家に暮らすことになり、ベランダに干されている下着を見てしまったり、着替えシーンに出会したり、風呂場で裸を見てしまったり、挙げ句の果てには両親がいない間に愛情を育んでいったのはまた別の話である。




※最後までご覧いただきありがとうございました‼︎

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想い人が母親の連れて来た再婚相手とその息子と一緒に暮らすことになったので、阻止しようとしたら俺だった 穂村大樹(ほむら だいじゅ) @homhom_d

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