第2話

 なぜ蒼衣と蒼衣の母さんの問題を話しているのに、俺が蒼衣と再婚相手の息子が一緒に暮らすことを嫌かどうか訊かれたのだろうか。


 この問題に俺の感情なんて関係ないはずなのに。


 ここで俺が嫌だと答えたところでその発言にはなんの効力も無い。

 嫌だと答えてどうなるかといえば、俺の蒼衣に対する好意が蒼衣にバレてしまうくらいだ。


 本音を言えば蒼衣が再婚相手の息子と一緒に暮らすなんて、たとえ身体中の肉が引き裂かれようとも、骨を粉々に砕かれようとも、絶対に阻止したい。

 小学生の頃から想いを寄せている女の子が見ず知らずの男子と暮らすなんて、考えるだけで嫉妬心が溢れかえって爆発してしまいそうになる。


 しかし、俺の想いに気付かれないためにも、ここで嫌だと言うわけにはいかない。

 それに俺が嫌だと言ったところで蒼衣を困らせるだけでなんの解決にもならないのだから。


「別に俺には関係無いだろ。俺が蒼衣と再婚相手のの息子が一緒に暮らすのを嫌だって言ったところでその事実は変わらないんだから」


「……へぇ。じゃあいいんだ。澪君はベランダに干してある私の下着、どこぞの馬の骨とも知れない男の子に見られても」


「いや、なんで下着を見られる前提なんだよ。それは見られないように気を付ければいい話だろ」


「可能性の話だよ。ゼロじゃないでしょ? 下着だけじゃなくてもしかしたら着替えをしてるところを見られるかもしれないし、お風呂で裸を見られる可能性だってあるんだよ?」


「はっ、裸ってお前、そんな極端な……」


 そうは言っているものの、その可能性に関しては蒼衣から再婚相手とその息子と一緒に暮らすという話を聞いた時点である程度想像していた。


 思春期の男子にとって、好きな女の子が同い年の男子と暮らすとなれば妄想に困らない。


 蒼衣が言った通り下着や着替え、裸を目にすることもあるだろうし、恋が芽生えて両親の目を盗みながら抱きつくとか、キスするとか、それ以上のことをいたしてしまうとか……。


 無限に湧き出てくる妄想に息子が反応しそうになるが、その相手が俺ではないことを考えると一瞬で萎えてしまう。


「極端じゃないよ。同じ家で暮らしてればどれだけお互いが気をつけてたっていつかはそうなる可能性もあるでしょ?」


「まっ、まあそりゃ無いとは言えないかもしれないけど」


「でしょ? 本当にいいの? 私の裸が見られても」


「……別に気になんねぇよ」


「ふぅん。なら私、今からママに私のお兄ちゃんになる人がどこにいるか訊いて裸見せてくる」


「なんでそんな結論に至るんだよ⁉︎ 偶々裸を見られるタイミングがあるのはいいとしても、蒼衣の方からわざわざ裸を見せに行くのは頭おかしいだろ!」


 普段は論理的な思考の持ち主であるはずの蒼衣が、普通では考えられない思考をしている。

 それは長年蒼衣と付き合いのある俺からしてみれば異常事態だった。


「だって私の裸見られてもいいんでしょ?」


「偶々見られるのは仕方がないとしても、自ら見せに行くってなったら話は別だ」


「でも偶々ならいいと思ってるんでしょ? 小学校の時からずっと仲良しな私の裸を見知らぬ男子に見られてもちっとも嫌な気持ちにならないんでしょ?」


「ああならないよ」


「じゃあやっぱり裸見せてくる」


「だからなんでそうなるんだよ⁉︎」


「じゃあ見られたくないの⁉︎ 見られてもいいの⁉︎」


「……あーもう嫌って言えばいいんだろ⁉︎ そうだよ嫌だよ、嫌に決まってるだろ⁉︎ 昔から仲良くしてる蒼衣の裸が俺以外の男に見られるなんて絶対に嫌だ!」


 ……やっちまった。


 蒼衣の挑発に乗せられて、俺は自分の思いを曝け出してしまった。

 それによって俺の顔の温度は一気に上がり、鏡を見なくても顔が紅潮しているのがわかる。


「……へぇ、俺は見てもいいんだ」


「なっ、言わせといて揶揄うなよ⁉︎」


 確かに失言ではあったと思うが、自分が言わせたも同然なのだから多少の失言くらい見逃してくれよ……。

 それにあのしつこさだと、俺が蒼衣の裸を見られるのを嫌だと思っていなかったとしても、嫌だと言うまで終わらない感じだったし。


「ごめんごめん。ちょっと調子乗った」


 そう言いながら蒼衣は今日初めての笑顔を溢した。

 ここまでずっと諦めたような雰囲気で、表情を崩してこなかった蒼衣がようやく笑顔を見せたということは、蒼衣は俺に蒼衣と再婚相手の息子が一緒に暮らすのは嫌だと言わせるために、真意のわからない質問をしてきていたのだろうか。


 何はともあれ蒼衣が笑顔を見せてくれてよかった。

 見ず知らずの他人と突然一緒に暮らさなければならず、それを母さんのために我慢する辛さは計り知れないからな。

 

 今日初めて見る蒼衣の笑顔に少しだけ安堵してはいるものの、曝け出してしまった自分の感情に対してはしっかりフォローをしなければならない。


「大体嫌って言ってもあれだからな? 俺が蒼衣に恋愛感情を抱いているから嫌だって言ってるんじゃなくて、蒼衣とは家族的な関係で、同い年だけど俺の方が生まれたのが早くて、蒼衣は俺にとって妹みたいなもんだから妹の裸を俺以外の男子に見られるのは嫌ってだけだからな?」


「妹だからって意味でも嫌だって思ってもらえてるのは嬉しいよ。私からしても澪君は家族みたいなもんだし、澪君もそう思ってくれてるのかどうか気になってたから」


 蒼衣も俺のことを家族みたいなものだと思ってくれているのは素直に嬉しいが、今はそんなことに喜んでいる場合ではない。

 嫌と言ってしまったからには、なんとかして蒼衣が再婚相手とその息子と暮らさなくて済むようにしなくては。


「……俺に嫌って言わせたからには、母さんに直談判くらいしてくれないとフェアじゃないんじゃないか?」


「それはそうかもしれないね。でもやっぱり言えないよ。私の口から『一緒に暮らしたくない』だなんて」


 そう言いながら俺から目を逸らし、再び諦めたような表情を見せる蒼衣。


 そんな蒼衣の放った言葉が気になったのは、本当に蒼衣が俺にサインを送ってくれていたのかもしれないし、俺の都合のいい勘違いかもしれない。


 それでも、『『一緒に暮らしたくない』だなんて言えない』という蒼衣の言葉を聞いた俺は、蒼衣に言葉をかけずにはいられなかった。


「じゃあ俺と逃げようぜ」


「逃げる……?」


 俺の言葉に疑問符を浮かべた蒼衣は、不思議そうな表情を見せながらも、その目は少しだけ輝きを取り戻しているように見えた。


「ああ。蒼衣が母さんに『一緒に暮らしたくない』って言えば蒼衣のせいで母さんが再婚相手とその息子と一緒に暮らせなくなる可能性があるわけだろ? それが嫌なら全部俺のせいにしろよ」


「全部俺のせいにしろってどういうこと?」


「母さんから連絡が来たら、『今澪君に連れ去られてる』って言えばいい。『澪君が私と同い年の男の子が一緒に暮らすのを嫌だって言って連れ去られた』って言ってやればいい。それなら蒼衣のせいじゃなくて俺のせいになるだろ?」


「それはそうかもしれないけど……」

 

 俺の暴論に蒼衣が困惑するのも無理はない。


 蒼衣が俺の言う通りに行動すれば、俺のせいにはなるかもしれないが、それでこの問題が解決するとは限らないだろうから。


 しかし、やはり蒼衣の目は先程よりも輝きを取り戻しているような気がする。

 後一押し、後一押しすれば蒼衣は再婚相手とその息子との生活を投げ捨て俺を選んでくれそうな気がしている。


 ここでヒヨッたら男じゃないだろ。


「俺と一緒に来いよ。蒼衣は何も悪くない。俺だけが悪いんだから」


「で、でもそれだと澪君が後で怒られちゃうかも……」


「怒られるくらい屁でもねぇよ。犯罪になるわけじゃないし、蒼衣のためならいくらでも怒られてやる」


 そう言って俺は蒼衣に向かって手を差し伸べた。


 この手を蒼衣が掴んだとすれば、俺のやっていることは間違いではないのだろう。

 掴まなかったとすれば、俺がやっていることは全て間違いで、このまま蒼衣は母さんに気を遣って再婚相手とその息子と一緒に暮らし肩身の狭い想いをすることになるのだろう。


 頼む蒼衣、俺の手を掴んでくれ。


 そう願いながら俯く俺の耳には、遠くで聞こえる電車が走る音だけが聞こえてきていた。

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