第9話 遥かなる夏空の下で (終)
あの日から六年。
僕が死のうとしてから五年が経って、僕が二十一歳になった夏。
蝉の音が降り注ぐ中、僕は歩いた。
あの日君に引かれた手の中に握られるのは、硬貨ではなく桔梗の花の花束だ。
途中で途切れた線路沿いを歩いた先にある、小さな丘の上の墓地まで。
夏の容赦ない日差しの中をゆっくりと歩いた、その行き先。
名前が刻まれた無機質な石は、青空の下で確かに僕の事を待っていた。
彼女の墓の前に桔梗の花を捧げ、手を合わせる。
「大丈夫、今はちゃんとわかってるよ」
どんなに嫌で嫌で仕方が無くても、人生は続いていく。
本当にその通りだ。
僕の隣に君がいなくても。
僕はこの世界で、生きていかなければならない。
相変わらず微睡の中にいるけれど。
食事は砂を噛むように味がしないけれど。
見るもの全てが色褪せて見えるけれど。
他人の声は狂ったラジオのノイズのように聞こえるけれど。
それでも、君と過ごした日々の記憶が。
君が紡いでくれた、温かい縁があるから。
僕はちゃんと生きている。
『辛かったら逃げてもいい。生きてさえいれば何とかなる』
君の言葉に、あの一年間と同じように縋って。
なんとか生きているよ。
「君が褒めてくれた絵は、今も描き続けているんだ。結構有名な画家になった」
君のおかげ。
君が、僕に絵を描くことは楽しいと教えてくれたから。
「本当に、君に会えて良かった。僕の檻を壊してくれて、ありがとう」
君と会った時に、沢山の話ができるように。
君との記憶を、思い出にする勇気はまだないけれど。
いつか君との日々を、いい思い出だったと笑って言えるまで。
「ちゃんと生きるから。だから、心配しないでね……桔梗」
『またね、燈紀‼︎』
桔梗の花弁を浚った風に乗って、彼女の無邪気な声が聞こえた気がした。
僕は口元に笑みを作りながら、遥かまで広がる夏の青空の下。
風に声を乗せるように呟いた。
「僕はずっと、君の味方だ。永遠に君を––桔梗のことを愛してる」
あの夏の君にもこの声が聞こえていたらいいと。
心底そう願った。
遥かなる夏空の下で 風宮 翠霞 @7320
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