【短編】メスガキ殺し
夏目くちびる
第1話
「いちいち説教しないでよw 弱者男性のクセにw」
少女が意気揚々と家庭教師の青年へ言い放つと、椅子から立ち上がって舐め腐った表情を浮かべた。
「どうせ、私みたいな小さい女の子としかまともに話せない無能だから家庭教師なんてやってるんでしょ? ロリコンなんだから、一丁前に偉そうなこと言ったって説得力ないよw」
「そうですか」
「そうやって静かに頷いてれば大人ブレると思ってるのがマジでよわよわ〜w 女の子に『優しい人』って言われてそうw」
「満足したら、この問題を解いてください」
「……ちっ、張り合いのない男。マジでつまんない」
青年は、妙に布地の少ない服を着て劣情を煽るような仕草を見せる少女を横目に、ため息をついて小学五年生の教科書に目を通していく。授業中に一度も開いていないのか、それはまるで新品のようにページが白かった。
「学校用のノートはどこですか?」
「なんでそんなモノ見せなきゃいけないワケ?」
「仕事ですから」
「出た出たw 口開けば仕事ばっかw どうせ彼女も友達もいないクセになんでお金稼いでんの?w 仕事するために生きてて虚しくなんないのぉ?w」
「なります。でも、私の人生はその程度なんだって割り切りました」
「大学生なのにつまんなw お兄ちゃんって日本で一番悲しい大学生だねw」
すると、青年は少女の小憎たらしい笑顔を見て頭を抑える。彼女の家庭教師になってからというものの、毎日がこの調子でまともに勉強になった試しがない。このまでは、母親から頼まれている私立中学への入学は絶望的であろうことは、火を見るよりも明らかだった。
「ぷくく、ざ〜こw」
金は、大学生のアルバイトにしては充分過ぎるほどに貰っている。そして、対価には当然の如く責任が伴う。青年は何かを考えた後、メガネを外して少女に一歩近づき、頬に手を当てて目尻を親指で撫でた。
「分かりました」
「ふふ、なにがよw」
「今日は勉強をやめましょう。あなたには少し、カウンセリングが必要のようです」
「……え?」
青年は、椅子に座る少女に目線を合わせて無表情のまま瞳の中を覗き込んだ。本来、青年は少女のように世間知らずで怖い物知らずなクソ生意気の女の子に正論を押し付けて、自尊心を破壊するのが大好きな人間である。
「いいですね?」
そういう欲求を隠しながら生きるというのは、目的の為に誰かを演じているようで満ち足りるが、やはり物足りなくはあると青年は考える。ずっと欲求不満なのは、人体にとって悪影響を及ぼすワケで、彼は少女のクソ生意気な態度を目の当たりにすると、酷い頭痛に苛まれる。
まるで、内側から爆発し四散していくエネルギーを理性で無理矢理体内へ押さえつけているかのような激痛。それを解放しようと、青年は考えたのだった。
「いいですねって、急に何よ。マジでキモいんだけど」
「まず、前提として知っていて欲しいのですが、私はキミのような未成熟で未発達のクソガキには性的魅力を感じません。小さいからというワケではありません。そんなに下品な服を着て、まるでセクシーを気取っているようですが、それは肌の露出以外に外見的魅力の思いつかない貧弱な発想です。エロスとは、もっと内側から醸し出されるモノなのですよ」
「……は、はぁ?」
「私が思うに、相反しているようでいて、その実、少女と人妻は根本的なところで似通っているのだと思います。少女ならば、未知ゆえの警戒心の無さ。人妻ならば、アプローチされることの警戒心の忘却。つまるところ、女性の魅力というモノは無意識によって生み出されるのです。これがいわゆるフェロモンなのだと私は考えますが……。ふふ、あなたにはそれが一切あまりせん。だから、あなたのようなエロぶってるガキはエロくないのです」
少女は、一瞬自分が何を言われているのか分からなくて息を呑んだが、耳まで熱くなっていくような感覚に意識を引き戻されすぐに向き直る。
「はぁ? それって、お兄ちゃんの女を見る目がないってだけでしょ? クラスメイトなんて、みんなあたしにメロメロなんだから」
「それは、キミ以外の子供たちに純粋な魅力があることの証明です。そして、もう四年もすればひっくり返る価値観です。キミの長い人生の中の、たった十五年までの優越感をせいぜい抱いて残りの未来を生きていくがいいです。その頃に後悔しても、取り返すのは容易ではありませんがね」
「マジでなんなの!?」
「だから、今から勉強をするのです。私はその為に呼ばれています。お母さんは、キミのことを心配しているのですよ」
悔しさのあまり涙目になった少女の頭を、青年は優しく撫でた。それは庇護欲からくる行動ではなく、征服欲を満たすための非常に身勝手な代物だ。
振り払えないのは、少女の中に純粋さが残っているからか。それとも、頭にクるあまり意識が回らないからか。髪を梳かすゴツゴツとした右手の感触に生唾を飲み込んでから、少女は再度言葉を使った。
「勉強なんてやったって将来の役に立つワケないじゃん! 分数の計算とかいつ使うのよっ!」
「知識とは、金と同じく選択肢なのですよ。そして、人生は選択肢の多さによって豊かになる可能性が高くなります。お金が無ければやりたいことが出来ず、食べたいモノも食べられない。最大公約数的に、人はそれを不幸だと呼びますし、だから貧困は不幸なのです。わかりますか?」
「で……、でも……っ」
「それと同様に、知識が無ければアイデアが浮かばず、新しいことに挑戦する意識が生まれません。今見えている場所にしか行くことが出来なくなります。そうやって道を狭めたくないから、人々は幼少から勉強をして知識を身に着けるのです。無論、やりたいこともなく、ただ大学生の家庭教師を誂って自尊心を保とうとするだけの見窄らしい人生を歩む今のキミには理解出来ないでしょうが――」
「はぁ!?」
「そんなやりたいことの見つからない、そもそも自分の好みすら知らないキミが、いつどのタイミングでやりたいことを見つけられるかは誰にも分かりません。もしかするとこの教科書の中にある挿絵かもしれないし、明日の先生の小話への同級生の返答かもしれません。仮に見つけられなくても、その次に学ぶこと、またその次へ学ぶことの為に知識が必要なのです。だから、人々は勉強をするのですよ」
死ぬほど大人げない正論をブチかました青年は、少し涙目になって睨みつける少女を見て勝ち誇ったかのような嘲笑を見せる。それに気付いた少女は、更に冷静さを失って青年の肩に腕を回すと思い切り首に噛み付いた。
「痛いですよ」
「ほ、ほら見なさいよ! あんたみたいに勉強ばっかりしてる頭でっかちのガリ勉陰キャ弱者男なんて、暴力の前ではまったく無力でしょ!? その場で動けないくらい怖い目にあったら、どうせ何も出来ずに死んじゃうんだからっ!」
「そうならない為の知識です、私は死ぬほど怖い目に遭うような危険を冒したりしません」
「あたしに噛みつかれてるじゃん! 痛かったんでしょ!?」
「……ふふっ。キミの歯型が残る程度の痛みが死ぬほど怖い目だと、まさか本当に考えているのですか?」
そして、青年は少女の耳元で小さく呟く。
「知識が無いから、そんなかわいらしいことしか言えないんですよ」
……今、確かに、心臓を烈しく揺らし手に汗を握るような高揚があったのを、少女は感じていた。
「別に……。ち、違くて。いや、その……っ。……あれ?」
青年の頭越しに、ふと机の上のメイクアップミラーに映った自分の顔を見てしまった。
「どうしましたか」
それはまさしく、今まで自分が誂って顔を真っ赤にしていた男子生徒と同じ恋に落ちる瞬間の表情であった。
「カウンセリングは終わりです。明日から、ちゃんと勉強しましょう。そうしてもらえると、私も定時で帰れてありがたいです」
「う、うん。いや、えっと、はい。ごめんなしゃい」
熱に浮かされて、上手に呂律が回らない。そんな彼女の甘えるような仕草を感じると、青年はようやく自分の大人げ無さを自覚して息を落ち着けた。
「これだけ真剣にお話したので、頭の良いキミは理解してくれたとは思いますが。もしもまた同じように駄々を捏ねたときは容赦なく説教をします。努々、忘れないように」
「お、お兄ちゃんは頭の良い女の方が好きなの?」
青年が離れようとすると、少女は両手で彼の背中にしがみつき思い切り匂いを吸い込む。
「どうでしょう。少なくとも、キミのように歳の離れた女の子に恋心を抱くようなことはありません」
「わ、分かんないじゃん。ねぇ、なんでそんなイジワル言うの?」
「イジワルではありません、ただの事実です。尤も、これは知識ではなく経験によるモノですが」
「だったら、年齢の差を埋めるためのモノってなんなの!?」
「知りません。それは、あなたの人生の中で見つけてください」
ようやく離れた少女は、今度は無理矢理に唇を奪おうとしたが、青年はそれを人差し指で防いで噤ませ、意地悪く微笑み額にキスをした。
「あ、あぅあぅ……ぅ」
トドメの一撃には充分だった。少女は完全に力の差を思い知らされて、カチンコチンに固まったまま青年が部屋から出ていくことを眺めるしか出来なかった。
だから。
「ね、ねぇ! お兄ちゃん!!」
ようやく動けるようになって、家の下を見る。玄関から出てきた青年へ二階にある自室の窓から声を掛け呼び止めると、少女は全力で追いかけて背中に縋りつき最後の抵抗に今までのやり方を貫こうとした。
「きょ、今日のことを誰かに言ったら! お兄ちゃんは捕まって人生終わっちゃうんじゃないの!?」
「一回捕まったからと言って、別に私の人生は終わりませんが。まともな仕事についたり、誰かと結婚出来る可能性は著しく低下するでしょうね」
「だ、だったら、誰かに言いふらしちゃおうかなぁ! どうせ面会に来てくれる人なんてあたししかいないけどなぁ!!」
「その時は、ガラス越しに勉強を教えてあげましょう」
振り返り、少女の顔を隠す長い髪を払う。そこには、熱を帯びた肌と潤んだ瞳があるだけで、いつもの余裕ぶった笑みは微塵も感じられない。
本当は、ずっとこんなふうに、真剣に話をして欲しくて強がっていたのかもしれない。少女は、目線を合わせる為にしゃがんだ青年の無表情を見てそう思った。
「宿題、やっておいてくださいね」
「……はい」
こうして、少女の恋は始まった。
既に薄暗くなった青年の背中を眺めて、自分に何が出来るだろうかと少女は必死に考えたのだった。
【短編】メスガキ殺し 夏目くちびる @kuchiviru
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