あの時あなたは、私を捨てようとした
みこと。
全一話
「アニタ、すまない。僕たちの婚約を破棄したいと思っている」
王宮の一室で、向かい合って座った若い男女は、深刻な空気と表情で、互いを見ていた。
男が切り出したのを皮切りに、女が核心に触れる。
「それは、シェリーのためですか」
「ああ、彼女ときみとでは、相容れないからな」
気まずそうに言って、男が目をそらす。
この国の第一王子にして、現王太子のサルマンだ。
彼の前にいるのは、長年の婚約相手、公爵令嬢のアニタ。
「公爵家の後ろ盾がなくなれば、殿下は王太子という地位を剥奪されてしまうのではありませんか?」
ゆっくりと、確かめるようにアニタが問う。
「承知の上だ」
対する返事は、迷いのないものだった。
「やもすれば、両家の逆鱗に触れ、王籍すら失う恐れも……」
「覚悟している」
「そこまでして……! ご身分を失えば、殿下が大切にされているシェリーに、良い環境を与えることも出来なくなってしまうのですよ?」
「だが、では、どうすれば良いのだ……!」
「ですから離れたところに
「しかしそれではシェリーが寂しがるだろう? 毎夜、僕を想って泣くシェリーを思うと、この身を裂かれるように辛い」
「殿下……。けれど、それは仕方がありませんわ……。シェリーだっていつかは学びますし、理解し、諦めますでしょう」
アニタがそっと席を立ち、サルマンの隣に腰かけ直した。
慰めるように、彼の手の上に、自分の手を重ねる。
鍛錬で培われた逞しい指に、白く、たおやかな指が添わされる。
「僕が卵から
「ではわたくしの気持ちは? わたくしも殿下のことを、ずっとお慕いしておりますのに……!」
「くっ! アニタ、僕だってきみのことが好きだ……! きみがドラゴン・アレルギーでさえなければ……!」
ことの始まりは、国境の山崩れだった。
深刻な被害に、自ら確認に赴いたサルマンは、そこで巣から転がり落ちたであろう頑丈な卵を見つける。
持ち帰り、観察しているうちに。
ドラゴンが、孵化した。
そしてドラゴンは、目の前にいたサルマンを"親"だと認識してしまったらしい。
片時も離れたがらない、離そうとすれば暴れる幼竜。
このまま王城で養育を続ける目論見でいたところ、サルマンの婚約者アニタは、世にも珍しいドラゴン・アレルギーだった。
ドラゴンの魔力が近づくと、彼女の体内の魔力が反応し、アレルギー反応が起こるのだ。
ドラゴンの魔力は強力。
同じ敷地内にいるだけで、アニタの咳と鼻水はとまらない。
美しい淑女が、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにし、公務や賓客を前に咳を連発する。
……いろいろと、無理だった。
「アニタ。きみはとても素敵な
「無責任なことをおっしゃらないで、サルマン殿下。あなた様は王子なのですよ? この国を牽引していく責務があるはずです」
「そう、王子だ。だからこそ、暴れるドラゴンを引き受け、国に被害を及ぼさないようにしなくては。幼竜の今でさえ、大火力のシェリーだぞ。大きく育てば、悪気がなくても国中を焼くかもしれない」
「そんな……!」
言い忘れていたが、シェリーはドラゴンの名前だ。
幼竜はメスだった。
名前はサルマンがつけた。閑話休題。
「まだ。まだ希望はありますわ! トーベ王国では王族が白い巨熊に懐かれたけれど、少しずつ訓練して、あるべき場所で育てることに成功したと……」
「その話は僕も聞いた。白い巨熊は毎夜毎夜哀し気に泣き続け、ついには池に飛び込み、水に沈んで──。気づいた王族が人工呼吸をして一命を取り留めたそうだが、後遺症が残ったらしいな」
「っつ」
アニタは言葉を失い、顔を伏せる。元来、優しい気質なのだ。
そんな彼女に、サルマンがなおも続けた。
「シェリーがそうなったら、僕に耐えられるかどうか。きっと一生、自責の念に
「っ! でもきっと、何か良い方法があるはずです、殿下!」
アニタが顔を上げた、その時。
「大変です、殿下!!」
扉から、侍従が報告に飛び込んできた。
「何事だ! シェリーが暴れたのか!」
アニタと落ち着いて話し合うため、今日のシェリーは騎士たちが、少し離れた丘の上に連れ出していた。
サルマンがいない間、遊びに夢中にさせて時間を稼ぐ作戦だった。
息をするのも忘れたように、侍従が叫ぶ。
「シェリー様の母竜が、迎えに来ました!!」
「なっ、なんだって──!?」
王宮から少し離れた丘の上。シェリーのもとに、かつての卵を探しに来た母竜が飛来。
シェリーは真の母親を、その魔力で感じ取ったのだろう。
ちゃっかり母竜について、飛び去って行ったらしい。
「シェリー……、僕に別れも告げず……」
脅威が去った安堵と、あんなに懐いていたのにあっさり捨てられた複雑な思いに、サルマンは力が抜けた。
がっくりと膝を折り、放心している。
「殿下……」
そんな彼に、アニタもかける言葉が見つからない。
猫と竜は気まぐれだ。いや良かったじゃん、というには不謹慎だろう。
「なお、母竜から伝言があります」
侍従が言った。
「"我が子を守ってくれた礼に、この国を守ってやろう"とのことでした」
「!!」
さすが成竜、話せるらしい。シェリーは無理だったのに。
こうして、若き王子とその婚約者の危機は去った。
後世の歴史家は語る。
サルマン王の治世は、竜に守護された平穏な世だったという。
美しい王妃に「陛下はあの時わたくしを捨てようとした」と、時折チクチク言われる以外は。
互いに尊重し合い、夫婦仲は良好だったらしい。
あの時あなたは、私を捨てようとした みこと。 @miraca
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます