第32話 監査業務委任状

「即刻助けに行くべきです!」


 シルビアの私室にフラウリナの声が響き渡る。エスリンとメイド長はそれに返事をしなかった。

 その対応にフラウリナは更に熱くなる。主人があの怪人に攫われてしまった。すぐにでも救助しなければ命が危ないかもしれないのに。

 エスリンはヒートアップするフラウリナへ冷水をかけてやることにした。


「シルビアさんはそれを望んでいなかったよ」

「! エスリン・クリューガ、貴方も私と同じ考えだと思っていたのですが」

「大丈夫だよ。ラフロはシルビアさんを殺さない。シルビアさんが無駄に命を捨てるようなことをしなければ、大丈夫だ」

「何の根拠もなくよく言えましたね……!」

「根拠はあるさ。あいつが〈ニックリア平原の怪人〉だからこそだよ」

「それの何が根拠となるのですか」

「ごめん、そこは上手く言葉に出来ないや」


 エスリンは上手く言語化出来ないか頑張ってみたが、言葉が出てこなかった。ラフロの目を見たら分かったのだ。奴は奴の矜持がある。

 それを曲げるようなことはしない、と。シルビアのことが最たる例だ。シルビアを殺すついでに、ターゲットも殺しておけば全てが終わったのだ。

 だがラフロはそうしなかった。あくまで純粋に戦うという欲望を満たすべく、あの選択肢を選んだのだ。


「馬鹿にして……!」


 フラウリナがエスリンの胸ぐらを掴んだ。

 このまま殴られても仕方がないと、エスリンは思った。ここは感情ではなく、理性的に諭すべきだったが、失敗したのだから。


 予想通りフラウリナの拳が飛んでくる。

 しかし、それはエスリンの頬に届くことはなかった。


「フラウリナ、落ち着きなさい」


 フラウリナの拳はメイド長の手のひらに収まっていた。逆にメイド長はフラウリナを殴った。

 パンチの勢いでフラウリナが飛び、壁にぶつかった。


「落ち着いたかしら?」


 流石にエスリンは口を挟んだ。


「いやメイド長、吹っ飛ぶようなグーは駄目だと思いますよ」

「…………こほん。フラウリナ、起きなさい。私たちはここで立ち止まってはいけないのよ」

「あ、誤魔化した」


 よろよろとフラウリナは立ち上がる。


「ですが、シルビア様が……」

「さっきエスリンが説明できなかったことを説明するわね」


 メイド長はフラウリナを椅子に座らせた。もう抵抗する気もなかったようで、フラウリナは素直に指示に従った。


「私もエスリンと同意見よ。〈ニックリア平原の怪人〉はシルビア様を殺さない。何故なら、やろうと思えばもうやっていたからよ」

「気が変わることもあります」

「そうね。だからいつまでも放置は出来ないけど、奴が言っていたことを思い出してみて」


 そう言われ、フラウリナはラフロの言葉を思い返す。

 本気の戦いがしたい、〈焔眼えんがん〉と戦い、追って連絡する……などが浮かんできた。

 それをメイド長に伝えると、彼女は頷いた。


「そうね。逆に言えば、そういう連絡が来るまでは、シルビア様の命は保証されているはず」

「それならその連絡を待って――」

「そうも言っていられないわ。シルビア様から託された任務もあるしね」


 エスリンが聞き返した。


「任務とは?」

「もう、忘れたの? 予備補給基地で引き取った関係者を連れて、グレン・メルロス伯爵へ行くのよ」


 つまり、ヴェイマーズ家の業務を行うというのだ。

 エスリンはすぐに当然とも言える疑問をぶつけた。


「でも、ヴェイマーズ家の監査業務ってシルビアさんがいないと駄目なのでは?」

「いいえ。たった一つだけ手があるの」


 そう言って、メイド長はシルビアの愛用している机のとある部分を軽く叩いた。すると、その部分がカパッと外れてしまった。その部分は空洞になっていた。


「メイド長、壊したんですか?」

「何を言っているの。これはシルビア様から託された情報よ」


 メイド長は空洞に手を入れると、なんとそこから書類が一枚出てきた。

 彼女はそれをエスリンとフラウリナに見せた。


「これはね、〈監査業務委任状〉よ」

「ヴェイマーズ家の印と、これはもしかしてファークラス国王の玉璽ぎょくじですか?」


 玉璽ぎょくじとは国王のみが使用できる印鑑のことだ。つまり、この委任状は国王直々に許可を出した公文書中の公文書にあたる。


「そのとおりよ。これは一度限り使用出来る委任状。この効力を発動することで、ヴェイマーズ家の人間しか出来ない監査業務を行えるのよ」

「なるほど、そうなると受任者はもしかして……」

「私が受任者になっているわ。私はこの瞬間から監査業務委任状の効力を発動します」


 メイド長は近くにあったナイフで自分の指を薄く切り、わざと出血させた。その指を自分の署名の真ん中に押し当てる。その後、空いていた記述欄に今日の日付を記入した。

 これで委任状の効果が発動したことになる。


「二手に別れるわよ。私とフラウリナは監査業務。エスリン、貴方にはシルビア様の救出任務を命じるわ。フラウリナ、良いわね?」

「……反論はありません。今の状況と、ラフロの目的を考えたら、当然のことです。ですがエスリン・クリューガ」


 フラウリナはエスリンと目を合わせ、言った。


「必ず連れ帰ってきてくださいね。そうでなければ、殺しますよ」

「もちろん。必ずシルビアさんを連れて帰ってくるよ」


 こうして始まったニ面作戦。主のいないまま、彼女たちの戦いは更なる局面へ突入した。

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エスリン・クリューガ~無敵の女殺し屋が凛々しすぎる女貴族に拾われてメイドになる話~ 右助 @suketaro07

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