フラクタル
@hayakawa37
【大剣を背負った少女/落ちこぼれ魔法使い】
ドサリと派手な音を立てて、暗褐色の巨体が地面に倒れ落ちた。
「……最後の一匹」
少女がそう呟いた頃には、辺りに転がっているそれらは順番に灰のような塊に変わって、ぼろぼろと風にその形を侵食させている。戦闘の余韻に浸る気にもならないほど、くだらない光景。
今日も、仕事が終わった。それだけの感慨でいいはずなのに、少女―――傭兵であるフェリアーネの身体には、もう染み付いてしまった戦いへの高揚感がくすぶっている。フェリアーネはうっとうしそうに、肩を回すようにしてほぐすと、戦闘に使っていた大剣を背負い直した。
フェリアーネは、この国に雇われた『掃除人』のひとりである。正確には、この国が運営する
『掃除人』―――そう呼ばれるのは、彼女らの仕事が、先の戦争で生み出され、駆除されることもないまま野に蔓延ってしまった、異形たちを片付けることだからである。それらの異形たちは意志も持たず、ただ人々を襲っては作物を荒らす、厄介な存在なのだ。
国が傾いていることは、フェリアーネでなくともよく知っている。度重なる隣国との戦争に疲弊し、あとに残された異形たちの処理にも追われている王国政府の内情は、人々の噂話の種だ。この黄昏の世で暮らすということは、フェリアーネにとってだけでなく、国民の誰にとってもつまらないものであるのかも知れなかった。
そんな中フェリアーネは、人々が忌避をこめて
自分でもくだらない毎日だと思う。しかしフェリアーネは、他に生きる術を知らないのだ。
「たったこれだけ?」
ギルドの窓口で報酬を受け取ったフェリアーネは、いつもと同じ台詞を口にした。
「申し訳ございません。国庫の運用が滞っておりまして」
窓口の受付嬢も、いつも通りの受け答えをする。フェリアーネは大げさにため息をもらすが、本当に不満が溜まって言っているわけではない。そんなことはとっくに承知の上だ。仕事をやっていく上での儀礼をこなしているに過ぎない。
「わかった、またお願いね。次の仕事を片付けたら、そのうち来るから」
金貨を数えながら、ざわざわと人が溜まっているギルド支部の開き戸をくぐる。吹き渡る春風がフェリアーネの髪を揺らした。そういえばもうすぐ春節祭だな、などとフェリアーネは考える。まぁ、あたしには関係ないか、とも。
年頃の少女でありながら、戦い以外のことに縁がないフェリアーネにとって、大切なのは明日の敵がどこに現れ、どう剣を使えば倒せるかの方なのだ。肩の上で三つ編みにした明るい色の髪にも、申し訳程度に身に着けたお守り代わりのアクセサリーにも、フェリアーネはあまり興味がない。だから、通りを行く若い男たちがフェリアーネの姿をすれ違いざまに目で追っていることなど、自覚してもいない。
人家もまばらな国境近く。やっと、いつもの自分のテリトリーに戻ってきたことで、フェリアーネは気持ちよさそうに一つあくびをする。
「お腹すいたなー」
独り言をつぶやき、今日の夕飯は猪でも狩るか、などとぼんやり考えていたフェリアーネの背後に、スッと何かの気配が蠢いた。一瞬遅れて振り返ったフェリアーネは、そこに一人の少年の姿を確かめ、無意識に背中の大剣を抜いて構える。
「だれ!?」
自分が不覚を取ったなどと、考える時間もなかった。だが、フェリアーネの背後にいた少年は自分に向けられた刃に大げさに怯んで、尻餅をついてしまう。
「あっ、あわ、ごめんなさい!」
いかにも気の弱そうな様子で、手足をばたつかせて謝罪の言葉を口にする、その少年。眼鏡の奥の涙目には全く敵意など感じられず、フェリアーネは拍子抜けしたように剣を下ろした。しばし、少年を観察する。
少年は土で汚れてしまったローブをはたきながら、立ち上がった。身なりからいって、魔法使いか僧侶か。そういった種類の『掃除人』がいることも、フェリアーネは知っていた。
しかし、立ち上がるなり、少年から放たれた一言。
「あの!! ぼく、ステファンっていいます! あなたに一目惚れしたんです! お供させて下さい!!」
「……はぁ?」
フェリアーネの間抜けな声をさえぎるようなタイミングで、鳥たちが木々の間から羽ばたいていった。
「だから、なんでそうなるのよ」
「ギルドの情報誌であなたのことを知ったんです! まだ16歳なのに、150万レピルも稼いでいる掃除人だって! だから、ぼく一緒に戦いたくて」
「しつこい! 論理の飛躍がひどいって言ってるのよ!」
二人の押し問答は、森に入っても続いていた。ステファンが一方的に、フェリアーネにまとわりついているのである。さっさと獲物を狩って夕食にしたいフェリアーネにとっては、たまったものではない。
頭痛がするこめかみを押さえながら、フェリアーネは改めてステファンの姿を眺めた。眼鏡をかけた、フェリアーネと同い年くらいの黒髪の少年。魔法使いだと自分から名乗った通り、ローブに身を包んで、簡素な杖を持っている。
初見の印象通り、話からいって、ステファンも同じ『掃除人』なのだろう。とは言っても、フェリアーネとは比べ物にならないほどの、新参者に違いない。何がしたくて自分に付きまとっているのか、フェリアーネは正直な疑問を口にした。
「あんた、なんであたしについてきたいなんて言ってるの?」
ステファンは待ってましたとばかりに、思いの丈をぶつけるようにまくしたてた。
「ぼくが初めてギルドに入った頃から、あなたがすごい掃除人だって、みんなが言ってました。ぼく、ずっと憧れてたんです! どんなに強くて、腕のいい剣士なんだろう、って……いつか一緒に戦えたらって、そう思いながら、修行を積んだんです」
黙って耳を傾けていたフェリアーネは、だが、真面目な顔でステファンに告げた。
「あたし、別にそういうんじゃないわよ?」
「え?」
紅潮した頬に輝いた表情を乗せたまま、ステファンが固まる。
「すごいとか強いとか、そんなこと言って褒められても。別に掃除人やりたくてやってるわけじゃないし」
ぽかんとした顔を隠そうともしないステファンに向かって、フェリアーネは畳みかけた。
「だから、憧れてたとか言ってこられても、ウザいのよ。あたしは単に、戦いたいだけで―――」
ズルリ、という何かを引きずるような音に気づいたときには、二人は尾の長いスロウン3匹に囲まれていた。木々の後ろに隠れていたのだろう、その姿は森に溶け込むような緑色をしている。
フェリアーネにとって、これは手こずるような相手ではない。ひとつ呼吸を整え、その大きさを感じさせないような動きで大剣を抜くと、軽やかなステップでスロウンの一匹に斬りかかった。
スロウンが唸り声を上げながら倒れ、灰に変わっていく。しかし返す刀で残りの2匹を薙ぎ払おうとしたフェリアーネの目に、信じられないような光景が映っていた。
「……あんたがやったの?」
ステファンの足元で、二匹ぶんの灰の塊が山を作り、混ざりながら舞い上がっていた。ステファンはと言うと、はぁはぁと荒く肩で息をしながら、震える手で杖を構えている。
フェリアーネは溜飲が下がったような顔で、剣についた露を払って背中に戻した。
陽の落ちた森の中の、木々が倒れ、小さな広場のようになっている場所。2人は焚火を囲みながら、野ウサギの肉を串に刺して焼いたものにかぶりついている。フェリアーネは慣れた手つきで、ステファンはおっかなびっくりといった様子で。
聞けばステファンは、先輩の掃除人たちのグループの仕事を手伝うのがやっと、という程度の見習いであるという。よくあの大きさのスロウンを一人で倒せたものだなぁ、と、肉の繊維を引っ張るようにかじりながら、フェリアーネは改めて思っていた。スロウンには、それこそ野ウサギ程度の大きさのものもいる。ステファンくらいの新人なら、そういう敵相手の戦いが仕事の中心なのだろう。
その気持ちを、素直にステファンに伝えると、ステファンは、大いに照れた様子で、
「フェリアーネさんに褒めてもらえるなんて、すっごく光栄だな。勉強はたくさんしたんです。だから、こんなこともできるようになって―――」
そんなことを言いながら、自分が習得している技術の数々を、今まさに焚火の前でフェリアーネに披露しているのだ。
聞きなれない呪文を口にしては、ローブの中に隠していた数々の魔術道具を駆使する。そうやっていくつも見事な技を形にして見せる、その得意げな様子。剣士であるフェリアーネは魔法には詳しくないし、どれくらいの使い手なのか、その技術を習得するのにどれほどの努力が必要なのかは知らない。
だが、ステファンが確かに鍛錬を積んできたのであろうことは、容易に想像がつく。それは、フェリアーネにとっても、好ましいと思える姿だった。
「あんた、なかなかやるじゃない」
肉の塊を飲み込んでそう声に出すと、焚火に向かって氷魔法のつららを降らせていたステファンは、心から嬉しそうな顔をした。
自分の言葉を受け取り、喜んでいる相手。戦いばかりの生活の中では、なかなかそういう機会を得られるものではない。じわじわと心の中に温かいものがこみ上げてくる、その気持ちへの照れ隠しのように、フェリアーネは言った。
「でも、それとこれとは話が別よ。あたしと一緒に戦いたいなんて、迷惑なのに変わりはないんだから」
「お供したら、ダメなんですか?」
至極きょとんとした顔で、ステファンが首をかしげる。
「……別に。どうでもいいから、勝手にすればいいけど」
そうフェリアーネが返せば、
「はい! ぼく、勝手にします!」
ステファンは満面の笑顔で答えた。毒気を抜かれたように、フェリアーネはため息をつきながら、笑う。
「……ヘンな奴」
それから数日が過ぎた。
相変わらずステファンは、フェリアーネの後ろをちょろちょろとしながらついてきて、仕事の手伝いをしている。といっても、戦闘自体は小康状態で、特段フェリアーネがステファンの手を借りるようなことはなかった。フェリアーネは内心、こいつの戦ってるところを少しは見たいな、と思っているくらいである。
ステファンは主に、倒れたスロウンの残した灰を、魔力で浄化し、そこから薬などに使える成分を取り出すという作業を続けていた。そんなことができるというのも、フェリアーネにとっては初耳で、フェリアーネはひそかに感心したものだった。
「この辺りも、ずいぶん静かになったみたいですね」
きょろきょろと見回しながら、ステファンは二人が出会った場所近くの森を歩いている。もちろんフェリアーネも一緒だった。ステファンの少し後ろで、腕を頭の後ろで組み、
「まあねー。もうここにやつらが出てくることは、しばらくないんじゃないの?」
そんなことを言いながら、リラックスした様子で鼻歌を歌っている。それくらいの余裕があるほどの数日だった。
「……あ。ぼく、そっちのほう見てきますね」
ステファンが気がついたように言って、フェリアーネから見て死角になっている大木の影に、駆け寄った。こういうところに、小型のスロウンが潜んでいることが多い。この数日でステファンがフェリアーネから学んだことの一つだった。
だが、ステファンがフェリアーネから離れたその一瞬。フェリアーネはその場所から弾かれるように飛びのいた。
「ステファン!! 後ろ!!」
え、とステファンが振り返るより早く、フェリアーネが剣を抜く。
二人の間を隔てている地面から、ぐにゃぐにゃとした泥のようなものが湧き上がっていた。見る間に膨らむように形を変えて、ちぎれて分かれてはいくつもの異形の姿になり、辺りに降り立っていく。
「こんなの、見たことない……」
ぎり、と歯を鳴らしてうめきながら、フェリアーネは左手で、胸に下げた緋色の宝石に触れる。そして一定のリズムを刻むように指で叩いた。それは通信用の法具である。ギルドへの応援を要請するための、合図を送ったのだった。
放心したように立ち尽くしていたステファンも我に返ったようで、回り込んでフェリアーネと背中合わせになるように立ち、杖を構える。
「フェリアーネさん! これ……何ですか!?」
知識なら豊富なはずのステファンが知らないのだ。フェリアーネにも、わかるはずがない。
「知らないわ……こんな風に、地面から湧き出てくるヤツなんて……聞いたこともないわよ」
そんな会話をしている間にも、敵の数は増え続け、辺りの木々を踏み倒さんばかりの勢いで、唸り声を上げている。
見るからに怯えた表情のステファンに対し、先輩としての威厳を保とうと、フェリアーネは笑ってみせた。
「大丈夫。応援は呼んでおいたから。すぐに、近くにいる『掃除人』が、駆け付けてくれるはずだわ」
しかし、歴戦の剣士であるフェリアーネですら、この状況に落ち着いてはいられなかった。見たことも、聞いたこともない姿形のスロウン。どんな能力で襲ってくるのかも未知数である。そして、これほどの数なのだ。そのことはステファンにもわかるようで、でも、などと呟きながら、自分たちを囲んでいる敵とフェリアーネの横顔を交互に見て、戸惑っている。
「それまであたしたちで持ちこたえさせるわよ。あんたも戦うの、いい?」
有無を言わさぬフェリアーネの一言。ステファンも覚悟を決めたのか、表情を険しくして、杖を握り直した。
フェリアーネが踏み込む。目にもとまらぬ速さで地面を蹴り、目の前の獲物を見失ったスロウンの背中めがけて、剣を振り下ろす。フェリアーネ自慢の大剣は、正確にスロウンの心臓―――実際には、まがい物の核がうごめいているだけなのだが―――を貫き、断末魔を上げながらその1匹は足元から崩れ落ちた。
すぐに届く範囲の敵の中で、もっとも身体の大きな個体を選んで斬りかかったつもりだった。ステファンが頼りになる戦力ではない以上、フェリアーネがそう戦うことが、応援が来るまでの何よりの足止めになる。
その目論見が外れたことは、フェリアーネもステファンも、すぐに知ることとなった。フェリアーネが今しがた倒したスロウンの後ろに控えていた、小型のスロウンたちが再び形を歪ませながら、まるで泥が溶け合うように大きな塊に繋がりつつあったのである。
「く……っ!!」
苦しそうな息遣いをしながら、フェリアーネはやみくもに剣を振り回していた。もちろん、計算しながら戦っているのではあるが、今フェリアーネの前にいる敵には、まるで通用しない。同種族の動きに追従するというスロウンの習性を狙って、大きく暴れている個体を囮にするように戦うのが、フェリアーネのこれまでの戦法だった。だが、地面から湧いてきたように見える彼らの動きには、そのセオリーが見えないのだ。
フェリアーネが剣を横向きに払い、頭を吹き飛ばしたスロウンの斜め前で、別のスロウンがステファンの杖から出した白十字の
「あんたの相手は……あたしよ!!」
身体を回転させるような動きで飛び上がり、フェリアーネはステファンを襲っているその敵の背中に切っ先を突き立てた。障壁が破壊される寸前で、スロウンが前のめりに倒れる。剣に込める力が足りなかったようで、地面に突っ伏しながらも頭をもたげ、興奮したように唸り声を上げている、その個体。呼吸をする合間も惜しく、フェリアーネは息を止めるようにしながら懐に飛び込み、心臓を抉った。巨体が文字通り灰燼に帰していく。
「あ……っ、ありがとう……ございます……っ」
ステファンもまた、激しく肩で息をしながらフェリアーネへの礼を口にした。敵はもう幾度となくそうしたように、形をなさない塊たちに姿を変えながらうごめいている。その瞬間だけは、二人とも態勢を立て直せる時間なのだ。
「礼なんか言ってる暇あったら、さっさと新しいトラップを張って」
フェリアーネの言い草ももっともである。そもそもステファンを庇うたびに感謝を述べられていては、陽が沈みかねない。実際に、辺りを照らしていた昼光は、少しずつ陰り始めていた。
「今はあんたしか頼れる相手いないのよ。頼むから」
その言葉に、ステファンはくしゃりと顔を歪める。
「……応援は、どうなってるんですか」
ステファンが、先ほどからの違和感を口にしたようだった。戦いが始まろうとしていた頃、フェリアーネが胸元の法具で呼んだ、ギルドへの応援。あれからもう何時間も経っている。とっくに到着していてもおかしくない頃だ。
フェリアーネはふう、と一つため息をつくと、当たり前のように言った。
「そんなの、来るわけがないのよ」
雇用している相手である『掃除人』に支払う給金さえ、滞っているのだ。そんなギルドがどうやって、組織だった命令系統を維持できるというのか。ステファンに聞かれるまでもなく、フェリアーネにはわかっていた。
応援など来ない。フェリアーネとステファンは、いやフェリアーネは、この常識外れの強敵を一人で倒すしかないのだ。その気持ちを自分に言い聞かせるように、フェリアーネは叫ぶ。
「ガタガタ言わないの!! あたしたちがやるしかないの!!」
「なんで……」
ステファンがうめくように呟く。それは、ギルドに対する疑問なのか、フェリアーネに対しての疑問なのか。
フェリアーネにとってはどちらでも良かった。ただ、口の端から垂れる血を拭いながら、フェリアーネは笑う。そんな傷を負うほどフェリアーネが消耗していることが、もはや異常なのだった。
「……目の前に、敵がいるのよ。戦わないと」
ステファンが今にも泣き出しそうな顔で、言い返すように叫ぶ。
「フェリアーネさん、昨日も言ってたじゃないですか! くだらない仕事だって!! 出会った日にも、ぼくに言いましたよね!? やりたくてやってるわけじゃないって!! なのに……どうして、そんな一生懸命、戦うんですか……っ」
語尾が消え入るような声だった。フェリアーネも、そう言われて、まるで初めて自分の想いに気づいたような顔で、一つ一つ言葉を紡いでいく。
「なんか、戦ってないと、生きてる感じしないのよ。だって、こんな世の中じゃない?」
倦むように暮れていく国。誰もかれも、奪われ、失い、意味もない日々をただ過ごしている。
「助けてもらえないのはあたしだけじゃなくって。でも、毎日毎日、目の前の一日に向かってくしかない」
くだらないとわかっていても。そうするより他に、生きる方法なんて知らない。
「……あたしは、戦うしかできないから。だから、戦うの」
フェリアーネは、ステファンが見たこともないような可憐な表情で、微笑んだ。16歳の少女の顔だった。生きることにただ真っ直ぐな、若い生命がそこにあった。
その微笑みの美しさに息を飲んだステファンもまた、少し顔をほころばせて、それからそっとローブを肩から降ろす。
ステファンの両肩には、星をかたどった階級章がいくつも並んでいた。その下の胸には、小さな勲章のようなバッジもいくつかぶら下がっている。
フェリアーネは理解力に乏しい方ではない。
「あんた……」
それだけ言って、黙った。ステファンがどういう意図のもと、ここにこうしているのかまでも何となく腑に落ち、非難めいた視線を送ってしまう。
ステファンが、それまでとはまるで別人になったかのごとく、冷たい口調で話しはじめる。
「フェリアーネさんのお察しの通りです。ぼくは、この国の隣国―――エリムアッドの軍人です」
いつの間にか、ステファンが手の中で揺らめかせていた青い炎。そこから、放射状に光が筋を描き、いくつもの丸い魔法陣がそれらに絡まるように存在を示していた。その術の効果によるものなのだろう。あれほど猛り狂っていたスロウンたちが、時間でも止まったかのように動きを止めて、何もない空中に爪や牙を晒している。
「あんたの目的って」
フェリアーネもまた、ステファンに向かって静かに問いかけた。たった今まで戦っていた相手であるスロウンは動かなくなったが、敵がいなくなったわけではない。むしろ、今警戒しなければいけない相手はステファンの方だ。
「あなたを、我が国に引き入れることです。―――凄腕の傭兵である、あなたを」
すべての糸が繋がった、フェリアーネはそういう顔でステファンを見つめていた。フェリアーネですら見たこともない、変異種のスロウン。出来過ぎたようなタイミングでの襲撃。そもそも、一匹狼であるフェリアーネに憧れて、共に戦いたいなど、普通の『掃除人』が考えるようなことではないのだ。
「全部、あんたの差し金なの。このヘンなやつらも」
剣は右手で支えたまま、フェリアーネは左手でくい、と、泥のような塊の姿のまま固まっている個体を指し示した。ステファンが答える。
「ぼくが研究して、スロウンの生体核を改造したんです。認識能力の値を弄ることで、個体ごとの境界をあいまいにすることが可能になりました」
無邪気とも言えるような素直さだった。
「つまり、あんたが―――あんたの国が、あたしを襲ってきた? こんな風に、卑怯なやり方で、戦争の遺骸を利用してまで?」
「国家のためなら、手段など選ばない。それがぼくのやり方なんです」
フェリアーネの、あからさまに敵意をこめた言い方にも、ステファンは動じず、淡々とそう言った。そして、その言葉に沈黙したフェリアーネに向かって、畳みかけるように続ける。
「公の組織であるはずのギルドすら、まともに機能していない。そんな国に嫌気がさすだろう、そういう目論見でした」
フェリアーネが唇を噛んだのが伝わり、ステファンは軽く笑い声を漏らした。フェリアーネにとっては、見透かされていた、そういう悔しさなのだろう。フェリアーネが国に対して、投げやりな気持ちを抱いていたことも、自分の戦いが報われないという諦めも。ステファンは初めから全てわかった上で、自分に近づいてきたのだ。
しかしフェリアーネは、ステファンの瞳をまっすぐ見据えたまま、言葉を継いだ。
「……じゃあ、なんであんたは今、そんなに泣きそうな顔してんのよ」
ステファンが、初めて言葉に詰まった。先ほどのフェリアーネと同じく、自分の気持ちの表現方法を探しているようにも見える。一度下を向いて歯を食いしばると、フェリアーネに向き合って、冷たい刃のような声を絞り出した。
「だってフェリアーネさん、おかしいんですよ。くだらない仕事って言うくせに。誰にも助けてもらえないと知ってるくせに。そんなバカみたいに、必死になって。きっと実際バカなんですよ」
フェリアーネは目を逸らさない。その視線から逃れるように横を向いて、ステファンが吐き捨てる。
「あなたがそうやって、目の前の敵に向かっていく理由なんか、これっぽっちもないんですよ!」
二人の間に風が吹き抜けていった。もうすぐ、夕凪の頃になるだろう。この国境地帯は意外と海が近い。奇しくも敵国の者同士、戦いを共にした二人にとって、そのゆるやかな空気はどういう匂いをしているのか。少なくともステファンにとっては、気持ちのいいものではないだろう。何故ならこれほどまでに、心をかき乱されているのだ。
フェリアーネもステファンも、黙ったまま時間が過ぎていく。沈黙が辛い、そう感じたステファンは、スッと指先を空に向けた。光を取り囲む魔法陣たちがゆっくり、くるくると回り始める。
「エリムアッドに来て下さい。待遇は保証します。そうしてくれれば、このスロウンたちはぼくが灰に変えて消します。でなければ―――あなたの命は、諦めてもらうことになるかも知れない」
つい先ほどのやり取りを踏まえた上の言葉だ。フェリアーネが生きることに執着していることをわかって、そういう言い方をする。ステファンは、自分の要求を飲むように、フェリアーネを誘導したつもりだった。
フェリアーネの口から出てきたのは、だが、意外な返答だった。
「お断りするわ」
当然承諾の返事が返ってくるものと思っていたステファンが、面食らったような表情をあらわにする。フェリアーネは一度目を閉じて、
「理由なんかない。そうね―――」
そう言いながら、胸元から、ギルドとの通信用のものともう一つ、ストールに隠すようにぶら下げていたペンダントの鎖を、持ち上げた。ペンダントトップがしゃらり、と音を立てて、ステファンの前に掲げられる。
埃まみれのストール。使い込まれた、くすんだ色の戦闘服。それらを背にしたそのペンダントトップは、場違いなほど輝く黄金だった。
「あたしは―――私は、ルーレシア王国の嫡子で、正当な騎士なのよ」
言葉を失うのはステファンの番だった。フェリアーネは、ルーレシアのギルドに所属する、いち傭兵のはずだ。少なくとも自分のところには、そういう情報しか入ってきていない。混乱する気持ちが、髪を乱す手の動きに出た。震える声で、ただ戸惑いを口にする。
「そんな……そんなこと、あるわけない……だって、ぼくは……ぼくたちは」
「誰も知らないでしょうね。あたしが騎士だったのはもう二年も前。まだ、戦争が正式に終わっていなかった頃よ」
二年前。その頃、何度も断続していたルーレシアとエリムアッドの戦争は、戦いに関わる誰もがうんざりするような膠着状態に陥っていた。戦争の道具として生み出されたものの、いたずらに戦局を混乱させるだけの存在になっていたスロウンたちのことも、持て余されていた。最終的に、形ばかりの和平が結ばれ、数十年にわたる両国の戦争に終止符が打たれたのである。
「騎士として戦うべく自らを鍛え上げていたあたしにとって、それは耐えられなかった。中途半端に終わってしまった戦争……戦うことしかできないあたしに、もうやるべきことはない。そんな気持ちだった」
フェリアーネがステファンの魔法技術に詳しくなかったように、ステファンもフェリアーネの剣技のことはわからない。身のこなし、正確な太刀筋。それらは、高度に洗練されたやり方だ。正しい師について、きちんと訓練されたものに他ならない。
そんな生き方しか知らないフェリアーネにとって、ただだらだらと、戦争の後腐ればかりを引きずっているような世の中が、どれほど耐えがたいものだったのか。同じく軍属であるステファンにとっても、想像に難いことではなかった。
「あたしの話はそれだけよ。あんたと違って、あんたに対して何か思ってるような目的もない。でも、あんたについてそっち側に回るわけにはいかない」
そう言葉を締めたフェリアーネに、うつむいたままステファンが訊ねる。
「……これから、どうするんですか」
ステファンの言葉は、今この場のことも、フェリアーネの今後のことも含んだ問いかけだった。それはフェリアーネにもわかったようで、フェリアーネは小さく笑いながら、答えた。
「決まってるじゃない。こいつらを片付けて―――それから、いつかは―――いずれは、国を立て直すための公の仕事に就かなければならない、のかな」
表情は微笑みの形のまま、フェリアーネが空を見上げる。その心の中の想いまではわからない。だがフェリアーネは、静かに自分の身の上のことを考えているようだった。それは、ステファンにもわかる。
戦う目的など、もうない国のために、ただ自分の心を殺してまで、ずっと汚れ仕事をこなしてきたステファンにも。
フェリアーネが、唐突な口調で、ステファンに話しかけた。
「あんたにとって生きてくって、どういうこと?」
ステファンがぶっきらぼうに答える。
「知らないですよ、そんなの」
あはは、と声を上げて、フェリアーネが笑う。
「そうね。あたしも、わかんない」
言いながら、フェリアーネはいつの間にか、一度下ろしていた大剣を、構え直していた。ステファンもふふっ、と呆れたように笑い、杖を構えた。二人が、再び背中合わせの姿になる。
「ぼくは技術者だから、戦うならあてにはならないです、よ!」
「上等!」
二人とも、憑き物が落ちたような顔だった。足元の土が、力を込めた二人とものつま先に食い込まれ、ジャリッと音を立てた。連携が出来るような関係ではないはずなのに、フェリアーネとステファンの動きは、息を合わせたようにぴったり共鳴している。
魔法の時間制限がリミットを迎え、スロウンたちが再び唸り始めていた。
それからのことは、フェリアーネもステファンも、よく覚えてはいないのだろう。どうして自分たちが、あの変異種スロウンの群れを倒せたのかも、わからないままだった。
ただ、夕闇の中、ボロボロの身体で寝っ転がって、お互いの姿を笑い合ったことだけは、これからもずっと、二人の鮮明な記憶に残るのだ。
街の灯りは、普段の四割増しで、華やかに彩られている。通りを歩く人々の顔も、心なしか楽しげだ。
「どいつもこいつも浮かれちゃって。今年分の蓄えがある奴、どれくらいいんの?」
そう毒づきながら歩くフェリアーネの後ろには、相変わらずステファンの姿が付き従っている。フェリアーネはこれから、ギルドに報酬を受け取りに行くのである。
もちろん、ステファンのことを、そのまま報告することなどしない。フェリアーネもステファンも、互いに行動を共にしなかった、会うことなどなかったことにする相手だ。書類上はあいまいな記載になるだろうが、あれほどの強敵を討伐したのだ。文句など言われる筋合いはないだろう。そもそも、応援をよこさなかったのも、正当な給料を払っていないのも、そちらの方なのだ。
「ルーレシア伝統の、春節祭ですよね。ぼくは座学で習っただけですけど」
物珍しいような顔できょろきょろと、前夜祭の様子を眺めているステファンの様子に、フェリアーネは改めて、その少年が異国から来た人間であることを実感する。そして、二人がこうやって話をしていられるのも、この辺りまでだ。ステファンを連れて、ギルド支部に入ることなどできない。
「じゃあ、ここでお別れですね。フェリアーネさん。……お世話になりましたなんて言うのも、変ですけど」
フェリアーネに向き合って、そんなふうに言葉を選んでいるステファンは、やっぱり生真面目で、単純なやつに違いないのだ、などとフェリアーネは考える。何日かを一緒に過ごした、それだけの相手だ。それも、敵国から差し向けられたスパイであったステファンに、情をおぼえるなど、笑い話にもならない。
それでもフェリアーネは、ステファンに対して感じている気持ちを、伝えずにはいられなかった。
「あたしね。今までずっと、役目とか使命なんて、バカバカしいと思ってた。でもあんたに出会って少し考えが変わった」
突然、どこか真剣な声色になったフェリアーネに、ステファンも少し表情を引き締めた。
フェリアーネにとっては、ステファンはもう一人の自分だ。つまらないと言い訳をして、ずるずるとやるべきことを先延ばしにしていたフェリアーネにとって、ステファンの姿はどこか眩しく映る。そしてまたステファンにとっても、自分の気持ちにまっすぐに生きているフェリアーネが、羨ましく見えるのだった。
「……はい」
そんなステファンも同じく、自分が思ったことをフェリアーネに伝えようとしたのだが、その気持ちは言葉にならず、小さな相槌の形で零れ落ちた。その反応に、フェリアーネも微妙な表情になり、二人の間に沈黙が流れる。
しばしの間ののち、フェリアーネが呟く。
「……春節祭」
え、と間抜けにも聞き返してしまったステファンに向かって、フェリアーネは屈託なく笑う。
「来年は、一緒に行きたいって思うくらいには、あたしあんたのこと気に入ってるわよ」
そのまま、じゃあ、とだけ言うとステファンから視線を外し、フェリアーネが歩き出す。その背中を見つめたままのステファンの視線に気づいたのか、気づいていないのか、振り向かないまま小さく手を振る後ろ姿。
二人の間の距離が開いていく。さざめくような人波が、もっと二人を隔てていく。
自分にとって、生きることとは何だろう。まだ若い彼らが、その答えを出せるのはおそらく、ずっと先のことだ。
フェリアーネとステファンの心に灯ったままの篝火は、しばらく消えることはない。だが答えの見えないそんな問いかけをくれた相手に、もう会うことはない。
互いの存在が、二人のこれからの人生に、何を与え、それがどんな宿命を紡いでいくのか。
ただ、わかっていることがあった。自分たちは、自分の人生を。それぞれの道を行くのだ。
それが、きっとこのとき出会った―――その合わせ鏡のような相手を、尊敬し続けることになるのだと、フェリアーネもステファンも、確かに知っているのだった。
フラクタル @hayakawa37
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