在米中の方ということもあり、湿気の少ないアメリカ文学の香りがする。
この方は文章が巧いのだなと思ったのは、これが初めてではない。
伝説のバレエダンサー・ニジンスキーについて書かれた過去作において、精神を病んだニジンスキーが長椅子から立ち上がる場面の表現が素晴らしく上手だったのだ。
気取った云い回しをしているわけではない。
心の眼で見えたものをそのまま書くという、幼子のような澄んだ描写だった。
「あらあらなんて上手な人なのか」と読んでいて愕いた。
その表現力は本作においても発揮されている。
難しい漢字ひとつなく、平易な文章でするすると作品世界に読者を惹き込んでおきながら、きらり、きらり、と合間に光っている瑞々しい感性。
とくに比喩においては、子どもが青をみて「ドラえもん」と云うような、直観的な印象を優先させており、実に素直で分かりやすい。
手垢のついた表現をとかく表現者は嫌って避けがちだが、ありふれた表現をふんだんに取り込みながらもまったく惰性に落ちていないのは、バーで静かに流れている心地の良いピアノ演奏のように、雑味を取り除き、著者が好きな歌を唄うようにして丁寧に書いているからだろう。
「ぼくの何が悪かったのだろうと考えるんです」
誰もが一度は自分ほど不幸な人間はいないと嘆いたり、ぷつりと幸せが途切れたり、幸運は他の人のところにばかり回って自分のところには来ないと絶望したことがあるだろう。
もう駄目だもう終わりだと泣くだけ泣いて、掴んだ途端に失って、それでもやはり人は旅を続け、白い砂のビーチを追いかける。
本当にそんな場所があるのかしら。幸せはあるのかしら。
そう願うだけでいい。
それがなければ人生はあまりにも殺風景だから。
本作では喧嘩の一部始終を描き切っている場面がすごい。
互いに感情的になり、夫婦がやりあっている様子が臨場感をもって伝わってくる。
眼の前で芝居の一幕を見ているようなのだ。
そして解決した途端に、何事もなかったかのように取り繕って平然と振舞う男の調子のいい態度も、女性ならば「あるある」と共感できる。
本職作家の短編を読んでいるような、とても心地の良い読書の時間だった。