チームパンケーキ、バウムクーヘンを食す

古間木紺

チームパンケーキ、バウムクーヘンを食す

「なあ、バウムクーヘンを三等分ってどうやんの?」

「三等分……? 三人が同じ数食べられるようにしたいってこと?」

 かなめはリビングから廊下のキッチンに向かう。尋ねてきた大河たいがの状況を確認するためだった。

 今日は大河の家でバウムクーヘンを食べる。メンバーは要、大河、それと集合時間を過ぎてもなお来ない京介きょうすけ。全員24歳だが職業は異なる。要は会社員、大河は美容師、京介は大学生。それぞれの出会いもまたバラバラだが、ある共通点をきっかけに三人はチームパンケーキと自らを称すようになった。

 チームパンケーキは、月に一度、チームメイトの家で集まることだけを活動内容としている。今回は日にちだけ決まって何をするかはなかなか決まらなかったが、大河がうちにバウムクーヘンがある、と言ったことで決まった。

「そりゃ俺だって丸いスイーツのひとつやふたつ、切ったことはあるけどさぁ」

「もう八等分にしよう。これデカいから俺たちが二つずつで、京介が四つ」

 あいつ甘いもの好きだし。そう続けて、要は手刀で切る方向を指し示してやった。イメージができたのか、大河はひとつ頷いて切ろうとした。

「なんか鳴ってね?」

 大河がこちらを見上げる。じっと耳をすましてみると、リビングの方から通知音が聞こえている。

「俺のスマホかな。見てくる」

 案の定、リビングに置きっぱなしにしていた要のスマートフォンにはメッセージが入っていた。差出人は京介からだった。入稿データに不備があったから、それ直して入稿して向かってるところ。ごめん。

「大河ー! 京介からやっと連絡来た。遅れるってさ!」

「このスケ管ギリギリ大学生め。もう京介は甘いもの好きだから多く、とかしないでベンツみたいに切るわ」

 美大生の京介は、フリーのイラストレーターとしての活動もしている。高校生のときからやっていたらしいが、昔からスケジュール管理は上手くないらしい。今日に限らず、遅刻してきたことは何度かあった。

 こういうときの大河は容赦ない。ただ、それはチームに対する大河の思いの深さでもあった。

 チームパンケーキは要が半年前に作った。しかし、要が企画して人を集めたわけではない。元はといえば京介だった。

 要は自分をアロマンティック・アセクシュアルと自認している。アロマンティックは人に恋愛感情を持たないセクシュアリティで、アセクシュアルは人に性的感情を持たないセクシャリティである。要は子どものころから恋愛話に興味が湧かず、大学生になって「恋愛感情 分からない」で調べてみて、アロマンティックとアセクシュアルという言葉に出会う。

 その言葉を知り、自らをそうだと認識してから数か月経ったころ、アロマンティック・アセクシュアル向けのオフ会に参加したことがあった。

 会場には10人ほどいた。そのなかで、唯一の同い年が京介だった。年が同じで男性で、住んでいるところも近い。会話は弾み、次に会う約束もし、それからも何度か遊んだ。

 何度目かのある日、パートナーの話題を振ったことがある。

「アセクシュアルのなかには、パートナーが欲しい人もいるじゃん。俺はそうでもないんだけど、京介はそういうの考えることとかある?」

「俺? 欲しい」

「即答」

「まあね。……今すぐにってわけでもないけど、いずれ」

「いずれ」

 京介が頷いた。きっと、ではなくいずれ、であることに、京介の真剣さが詰まっているような気がした。

「どういうパートナーがいいとかあんの?」

「休日にパンケーキを焼いて食べる関係かな」

「なにそれ楽しそう」

「でしょ」

 得意げに笑う京介を見て、要はチームパンケーキを立ち上げたのだった。本当にパートナーが欲しい京介のパートナー観をそのままチーム関係に持ってきてしまったが、それも楽しそうだと、京介は笑っていた。

「俺、パートナーが欲しいって言ってるけど、でも本当はその関係性をどう説明すればいいか分からないんだよ。この世界を生き抜いていくための支えみたいな存在と空間があればいいんだ」

 そうして、チームパンケーキは始動した。京介が大河も誘ったことで、初回からこのメンバーで活動している。

 口にしたことはないが、それぞれがこの関係を気に入っていることは要も気付いている。さっきの大河の口ぶりから分かるように。もしかしたら、京介も京介で、この関係に甘えきっているのかもしれない。

「この三等分方式ならすぐに終わったわ。飲み物、何買ってきた?」

 大河が皿にバウムクーヘンを載せてやってきた。

 チームパンケーキの集まりでは、極力誰かに負担をかけることはしない。今回は場所と食べ物を大河が提供して、飲み物は要が買ってきた。ちなみに京介は飲み物代を要と割ることになっている。

「ドリップパックのコーヒーと、あとはアールグレイのティーバッグ。大河はコーヒー派だろ?」

「そ。どうする? お湯沸かしちゃう?」

「京介が今どこにいるか分からないから、最悪冷めちゃうよな……」

 ふたりで考え込んでいると、インターホンが鳴った。目を見合わせて、家主の大河がドアを開けにいく。

「はーい。……おせーよ」

 大河がドアを開けると、そこにいたのは京介だった。走ってきたのか、髪の毛はぼさぼさで汗もかいている。

「ごめん、締め切りはずらせないからさ……」

「まあ締め切りはしょうがねぇ」

「さっきまでスケ管ギリギリ大学生とか言ってたくせに!?」

 早く食おう、と大河がドアを閉める。そのまま流れるようにお湯を沸かしている。京介は勝手が分かっているようで、洗面所に消えた。やることのない要は、リビングのソファに腰かけた。

 ふたりはそれからすぐにリビングにやってきた。スツールに腰かける大河と、隣に座る京介に視線をやってから、口を開く。

「じゃあ食べようか。いただきます!」

 3人で食事をするときは、いつも要がその挨拶をしている。もはや自分がリーダーみたいだと思うことがある。

「うま。程よい甘さがいいね」

 京介が目を輝かせる。ソファに座る隣同士目が合って、要は頷いた。

「な。紅茶にも合う」

 紅茶とコーヒーは最寄りのセレクトショップで買った。バウムクーヘンを食べることは決まっていたから合いそうなのを探したが、これが正解だった。

「あ、あとでお金渡す」

「よろしく」

「そういや、京介はいつもみたいに締め切りで遅れたのか?」

 それまでひとりでじっくり食べていた大河が、思い出したように口を開いた。

「うん。月末のイベントにイラスト集出す話はしたじゃん? いつものように印刷所にお願いしてて、その締め切りが今日の昼だったんだけどさぁ……」

 そう言いながら、京介は駄々をこねる子どものようにソファで身を滑らせている。思わず要は大河と観念したように目を合わせて頷いた。

「うっかり奥付を入れ忘れててさ! じゃあ1ページ追加しますってやったんだけど、新刊の都合上1ページだけ追加するのができなかったんだよね。だからどのイラストを加えるか選んだり、奥付作ったりしてたら約束の時間になってて……。本当にごめん」

 最終的にラグの上に座り込んだ京介は長身を丸めた。彼がわざと遅刻しているわけではないのは要も大河も知っているし、締め切り間際にトラブルが発生しがちなのは、ここ数年の会社員生活で要も感じている。

「顔上げろって。せっかくのバウムクーヘンが美味しくなくなっちまうぞ」

 大河の言葉に合わせて、要は京介の背中を軽く叩いた。

「……そうだね。ふたりとなら楽しく食べたいもんなぁ」

 気を取り直した京介は、バウムクーヘンをフォークで大きく切って口に入れた。

 甘いもの好きも高じて、京介の完食は大河と要よりも早かった。早々に食べ終わって、近くに置いていたバウムクーヘンの箱を手にしていた。

「大河、バウムクーヘンどこで買ったの? 俺これ自分用に買いたい」

「あ、買ってなくて。もらったんだよ」

「もらい物なの?」

 初耳なのは京介だけではなく、要もだった。ふたりで大河を見つめる。

「この間結婚式に招待されてさ」

「職場の人?」

 結婚式のイメージの湧かなかった要は、いいチャンスだと大河に質問することにした。

「いや、幼馴染」

「へぇ。めでたいじゃん」

「……うん」

 大河にしては珍しく、間の空いた返事だった。要はそれが気になったが、かといって取り立てるほどの間でもないと思った。

「大河、中堀大輝なかぼりだいきって」

 バウムクーヘンの箱に書いてある名前を見つけて、京介は珍しくうろたえている。

「うん。大輝」

 その京介とは対照的に、今度の大河は落ち着いているように見えた。

 要に分かったのはそこまでだった。要は大人になってからふたりと知り合った。京介と大河が高校生のときからの知り合いということは知っていても、出会いのきっかけも、どうやらそこに関係してそうな中堀大輝という人間のことも、何も分からない。

「要」

 大河に名前を呼ばれる。顔も声も真剣だった。これから大事な話をされるのだと、何となく分かった。

「要と初めて会ったとき、俺には一度だけ特別だった人がいるって言っただろ?」

「うん」

 アロマンティックやアセクシュアルだからといって、皆が皆一度も他人に恋愛感情や性的感情を持たないでいるわけではない。恋をする人の中でも異性を好きになったり、同性を好きになったりと様々な「好き」があるように、恋愛感情や性的感情を持たない程度は人による。今までずっと他人に恋愛感情や性的感情を持たなかった京介のような人もいるし、これが恋愛感情なのか何なのか分からないけど、ある人だけに特別な思いを寄せる人など様々な人がいる。大河は後者だった。

「その特別な人が、大輝だった」

「……え」

 それって、それって悲しいんじゃないの。言おうとした言葉は飲み込んだ。今何か挟むのは野暮な気がした。

「幼稚園からの幼馴染で中学まで一緒にいたら、俺の中じゃ親友とも違うすげぇ特別な存在になったんだよ。大輝に彼女ができたらそのたびに彼女に嫉妬したし、ケンカしたって聞いたらそのまま別れちまえって思ったこともある。……たとえ大輝と恋人になっても、したいことなんか思いつかねぇのに」

 自嘲気味に笑った大河は、コーヒーを飲んで続ける。

「京介とは、そういう話をするうちに仲良くなった。恋とか分からねぇけど、でも片想いみたいで、だけどこんな片想いにしてはよく分かんねぇ思いを、ちゃんと聞いてくれるのは京介だけだったから」

「そういうことか」

「なんだよ」

 大事な話の腰を折ってしまうが、要は得た納得感を話すことにした。

「初めて大河に会ったとき、京介と共通点なさそうだなとは思ってたんだよ。でも正反対だからこそ仲良くなることもあるよなとか思ってた」

 大河と京介は目を見合わせて笑っている。

「だよね。俺も大河と話すことなく卒業すると思ってたもん」

「俺も。美術の授業で京介と席が隣になっても話すことはねぇなと思ってた」

 ひょんな出会いだと思った。こいつとは話さないだろう、という予想は裏切られて、卒業して5年経っても仲良く遊んでいる。でも出会いなんてそんなものかもしれない。要が京介と仲良くなったきっかけも、その場で共通点が多かったからだ。

 恋をする人も、案外そういう出会い方をして、関係を深めていくのかもしれない。要の中で、なんとなく解像度が上がった気がした。

「――話を戻すけど、大輝は大輝で彼女と仲良くやっていた。ケンカをしてもすぐに仲直りしたし、20歳になった大輝は、彼女との結婚も口にしてた。……それで、この間無事に結婚式を挙げた」

 幸せそうだったよ。大河はそう続けて口を閉ざした。そっか、と京介が返す。それだけで、あとは静かな空間が広がっていた。

 その中で改めて大河を見てみると、なんだか寂しいように思えた。気丈に振る舞っていただけだったのかもしれない。

「コーヒーおかわり持ってくる」

 有無を聞かず、要は大河のマグカップを取った。

 要からコーヒーを受け取った大河は、高校生のとき、と再び口を開いた。

「京介が教えてくれたんだけどさ、『バウムクーヘンエンド』っていうのがあるんだと」

「バウムクーヘンエンド?」

 オウム返しするしかできない要を見て、京介が説明してくれる。

「ちゃんとした現象とかじゃないんだけど、すごく仲良しの相手の結婚式に出て、引き出物にバウムクーヘンもらって、家でひとりでバウムクーヘン食べるっていうストーリーの終わり方のことだよ」

「なにそれ悲しすぎる」

 ひとりでもいい要でも、その虚しさは理解できる。あくまでも要は恋愛的文脈で誰かと一緒にいることがよく分からないだけで、誰かと一緒に過ごすあたたかさや、誰かと親しくなることの安心感は知っている。

「俺、引き出物がバウムクーヘンだって分かったとき、その話を思い出したんだよ」

 大河の声のトーンが落ちる。けれど、本当に大河が沈みきることはないと分かっていた。

「でも、俺はそうなってねぇなって思った」

 次に大河が何を言うか、分かった要は大河に肩を組みに行って口を開く。

「お前は俺たちのチームメイトだからな」

 冗談めかして言ったが、それはまごうことなき本心だった。それは大河にも伝わったようで、嬉しそうに笑っている。

「そうだぜリーダー」

「やっぱり俺がリーダーなの!?」

「そりゃ、発起人だもん」

「京介まで……!」

 見ると京介の表情も柔らかい。ふたりとも楽しそうで、満たされる心地がする。

 こういう関係性が楽だった。ずっと同じ方向を見ているわけではなく、それぞれがそれぞれで生きているけど、肩を組んでこの世界を生き抜いていこうとしている。

 もしかしたら、それだってパートナーなのかもしれない。パートナーはふたりっきりとは限らないからだ。けれど、要の中ではパートナーほど相手と共に生きていくつもりはない。やっぱり、チームメイトのような距離感がちょうどよかった。

「次は何するか決めようぜ、リーダー」

 バン、と大河に背中を叩かれる。京介も寄ってきて、なぜかそのまま話し続ける。

「いいよ要のままで……。あ、俺かき氷したい」

「要、俺の実家にかき氷機あるわ。持ってこようか?」

「よしじゃあかき氷だ!」

 思わずガッツポーズが出る。かき氷は本当にしたかったから嬉しい。

「じゃあ俺はシロップ買ってくるよ。あと今度は遅れないようにする!」

 まだ気にしてたのかよ、と要は大河と目を合わせて笑った。伝わったのか、京介も笑っていた。

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