第6話 そっちなんかい!

 帰り道に立ち寄ったスーパーマーケット。あれだけ健康に気を使った食事を考えていたのに、結局買ったのは割引札の付いた海苔弁当だった。


(いやいや、勝手に健康志向に話進めただけでしょ!)


 辺りは大分暗がりを見せては来たが、まだ日は沈み切ってはいない。日の出ている時間とは違い、その光が無くなってくるだけで肌に感じる寒さが堪える。吹き抜けてくる風は冷たく、その歩みを阻害するかのように容赦なく襲い掛かってくる……まるで帰宅する睦美を拒むかのように。


 両手で体を抱きしめるように寒さに耐えながら歩く睦美の目の前には、4階建ての黒い外壁に覆われたマンションが見えてきた。エントランス横の壁にはブラウンの木目調のコートラインが目を引き、各部屋のベランダにも同じブラウンの木目調の素材が使用されていてスタイリッシュなデザイナーズマンションのような作りをしている……ここが睦美の部屋があるマンションだ。

 正面にある小さな公園では、まだ子供たちが楽しそうな声を上げながらはしゃいでいる。その姿を横目に見ながら、エントランスにあるオートロック式の入り口を開けて中に入っていった。


「ただいまぁ」


 誰に聞かれるわけでもないが当然のように口にするその一言は安堵に満ちていた。ようやく人目を気にしなくていい空間に戻ってきたのだ、当然と言えばそうだろう。何をするにも人目が気になる現実は変わっていないのだから……。


「さてと……。聞こえてるんでしょ? さっきのは私悪くないからね!」


 睦美はリビングにあるソファーへ腰を下ろすと誰かに話しかけていた。


「誰かに話しかけていた……じゃない! 君だよ、君に言ったの!」


『はぁ……、分かってるっすよ。流石にそれぐらいは……』


「溜息! こっちがつきたいよ、勝手に健康志向にしたくせに」


『いいじゃないっすか、それぐらい。話しを繋ぐ為だったんすから……。それに、1週間前は健康志向でやってたじゃないっすか!』


「あれは……読んでた本の影響で……。兎に角、今は違うの! それから、普通に考えるでしょ——晩御飯!」


『そのことに関しては、自分が悪かったっす……スミマセン』


「うん、分かってるならいいの」


 睦美は完全勝利と言わんばかりに勝ち誇った顔で満足気だ。


「よし! 問題も解決したし、ご飯食べよー」


 睦美は買ってきた海苔弁当を電子レンジに入れ温めなおす。帰り道の外気の寒さで冷え切ってしまったままで食べようと思う程、無精者ではないのだ。決して、午前中に作られ売れ残った為に貼られた半額の割引札のせいではない。


「ちょっ! もっと他の言い方あるでしょ!」

(また仕返しなのか⁉)


『でも、半額っすから……。それ言いたいじゃないっすか』


「言わなくていい!」


『読者さん、きっと知りたいっすよ? 割引率』


「謎の読者出してこないで! それに知りたくもないでしょ!」


 睦美は少し顔を赤らめながら、温め終わった海苔弁当を食べ始めた。

 その赤みを帯びた顔は、怒りのせいなのか、恥ずかしさのせいなのか、本人以外知る由も無かった……。


(そんなの両方に決まってるでしょ!)


 食べ終えた海苔弁当の容器をそのままに思案に暮れていた睦美は、手に持ったスマホの画面をつけたり消したりしている。彼女が考え事をするときにしてしまう癖のようなもので、その行動自体には特別意味は無いのだが、どうしてもやめることが出来なかった。


 「どうやって聞いたらいいんだろう……」


 当然の悩みである。久しぶりにコンタクトを取る相手に、いきなりあゆみの事を聞くのは失礼にも程がある。やはり順を追って話す必要があるだろう。しかし、そんなことを聞いたら訝しげに思われないだろうかと不安でたまらない。


「それが分かってるなら知恵貸してよ」


 その助けを求める声は、虚しくも部屋の中に響き渡るだけに留まった。


「こういうときの君って、絶対助けてくれないよね?」


『いやいや、睦美さん? 普通は無いっすからね、自分の声』


「そうかもしれないけど、話せてるんだから居るのと一緒でしょ?」


『そうだとしてもダメっすよ! 自分で考えて進まないと……』


「——ケチ」


 睦美は観念したかのように一人で思案に耽っていた。正解など存在しないのかもしれない。また嫌な思いをする事になるかもしれない。考えれば考えるほど、不のスパイラルに嵌まっていく……出口の見えない負の連鎖が襲い来る。逃げ出したい……今すぐにでも考えるのをやめて、いつも通り読書でもしながら時間が過ぎていくのを忘れたい。


(お願いだから追い込まないでよ……)

「……聞くわ。もうそのまま流れで聞くわ、考えても答え出ないし」


 そう呟くと手に持ったスマホで槇本にメッセージを打ち始めた。



 3月27日(水)


[七瀬]ご無沙汰してます 午後8時06分 既読

[七瀬]誕生日祝いのメッセージありがとうございました! 午後8時06分 既読


[槇本]ご無沙汰だね、改めて誕生日おめでとう♪ 午後8時08分

[槇本]返信ないから忘れられたかと思ったよw 午後8時08分


[七瀬]そんなこと絶対ないですよ! 午後8時09分 既読


[槇本]元気してた? 午後8時10分


[七瀬]はい、それとなくですけどねw 午後8時10分 既読

[七瀬]エルさんも元気にしてましたか? 午後8時11分 既読


[槇本]そうだねぇ、色々とあったけどねw 午後8時13分

[槇本]職場の人とはうまくやれてる? 午後8時13分


[七瀬]はい、その節はお世話になりました! 午後8時14分 既読


[槇本]そっか、それは良かった♪ 午後8時15分


[七瀬]エルさん、一つ聞いてもいいですか? 午後8時17分 既読

[七瀬]ちょっと昔の事を思い出したので…… 午後8時17分 既読


[槇本]何? 午後8時17分


[七瀬]あゆみさんは元気にしてますか? 午後8時18分 既読


[槇本]ごめん、あゆみはもう居ないんだ…… 午後8時25分

[槇本]先月、別れることになったよ 午後8時25分

 

[七瀬]ごめんなさい、知らなかったので 午後8時26分 既読


[槇本]あぁ、気にしないで 午後8時26分

[槇本]そうだ! せっかくだから今度ご飯でもどう? 午後8時27分


[七瀬]はい、よろこんでご一緒します! 午後8時28分 既読


[槇本]それじゃ、また連絡するね 午後8時28分


[七瀬]お待ちしてますw 午後8時28分 既読


 ラインでのやり取りを終えた睦美は天井を見上げていた。その表情はどこか不安げで困惑の色を隠せていなかった。結局のところ、あゆみの現状を何も知ることが出来なかったのだ、仕方のない事だろう……。


「——どうしよう! ご飯の誘い受けちゃったよ!」


『そっちなんかい! ……思わずツッコんでもたわ!』


「おぉ! 久しぶりだねぇ、その関西弁」


『心配して損した気分っすわ……』


「そりゃ、分からなかったのは残念だけど……仕方ないじゃない」


 結果としてあゆみの現状を知ることが出来なかったが、それでも睦美にとっては大きな一歩だった。あれだけ触れたくなかった過去の一頁に触れることが出来たのだから……そう、止まっていた時間を動かすことが出来たのだから。


 上機嫌の睦美は手に持っていたスマホを充電器に刺すと、その足でバスルームへと消えていった。その足取りは軽く、通り過ぎた後に残る鼻歌は40歳とは思えないほど若々しく艶やかで、恋に年齢が関係ないことを教えてくれていた……。


「——勝手に恋する乙女みたいに言わないで!」

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