【中編】探偵と特殊能力と嫁探しと金髪女子高生助手の話。
斎藤ニコ
本文
山奥の生家。
日本家屋の大部屋。
紬姿の母は、真面目な表情で切り出した。
「零人(れいと)。都に下りて、妻となる女を探してきなさい。期間は三年。高校も伝手を頼って、私立入学を手配しておきました」
俺の名前は那由多零人(なゆた・れいと)。現在、中学三年。数か月後に通信高校生になる身である――はずだった。
「……母さん。なんて言った?」
「わかりやすくいえば、零人の能力と相性の良い女を手籠めにしてきなさい、ということです。できるならば安産型にしなさい。子は多いほうが良いです」
「わかりやすくはない……」
那由多家が率いる暗躍集団はかつて、闇の世界の住人として、跳梁跋扈してきた――という。
なぜ伝聞調なのかといえば、俺が生まれた平成の時代では、すでに犯罪まがいの暗躍稼業などに需要はなく、至ってフツーな農耕一族だった。
「よく聞きなさい、零人。山には獣しかおりません。那由多一族存続のためには、次期当主である貴方が、自分手で妻となる女を探してくるしかないのです。でなければ我ら一族は当代で途絶えるでしょう。兄も出奔して久しいです。父さんも草葉の陰で泣いていますよ」
「それも仕方ないんじゃないか? 世界は平和……とはいえないけど、少なくとも暗殺とか、天誅とか、そういう時代ではないことはわかるよ。もはや俺たちは一般人だ。あんなに修行した那由多式戦闘術だって、クマとイノシシにしか使ってないわけだし」
母さんは真面目な顔で頷いた。
「優人の質問に答えましょう――女は愛嬌といいますが、男の詭弁です。結局は体です。スタイルがよく、尻がでかい女を選びなさい。私より胸がデカい女は認めませんよ」
「そんな話はしていない……」
「下宿先もすでに決めてあります」
「家を出ろと? 母さん一人じゃ心配だ」
「貴方は母に似て顔もよく、父に似て背も高い。女が惚れぬわけがないのです」
「はあ……」
本当にマイペースな母親だ。悪く言えば、無茶苦茶である。
見た目が若く、笑う姿は菩薩のようだと皆からいわれているが、怒らせると般若になる。
「私の妹でもあり、あなたの叔母でもある本堂翼(ほんどうつばさ)の探偵事務所に行きなさい。あなたは修行中の探偵として、世のため人のために暮らしつつ、様々な人間と出会い、その中から最良の妻を探すのです」
「俺に妻はいらないし、叔母さんの所で探偵をしたいとも思ってない。高校は予定通りの通信でいいし、大学も同じく。そのあとは適当に山を下りて、就職でもするさ」
場合によっては能力者枠で特殊公務員になってもいい。人生の選択はたくさんある。
だが、母は中空を指差して、宣言したのだった。
「さあ! 行くのです、零人! 那由多一族存続のために、家に女を連れ込みなさい!」
「言い方!」
「行かねば殺します」
「一族途絶えますが!?」
「行かねばアナタのPC履歴から割り出した性癖をネットに公開して、社会的に殺します」
「最悪だ……行くしかない……」
というわけで。
俺は関東の端っこに位置する山奥から、愛憎渦巻く『東京都』とやらへ向かうことになった。
那由多一族滅亡回避のために、妻となる女性を探す。まさか、それが人生史上最高の慌ただしい日々になるとは思わないまま。
――俺の新たなる人生は始まったのだった。
************
依頼人・宗像歌恋の話
************
母に脅されるようにして山を下り、私立神泉学園(しりつしんせんがくえん)へ入学してから早一か月。
俺は人生初の超高級車『リムジン』に搭乗していた。
感動したかって? いや、案外普通だった。結局、人間なんてそんなものなのかもしれない。百聞は一見にしかず。聞いていた評判より、体験したときの感情が真実だ。
つまり今回はそんな話。
大金持ちのアホ娘――宗像歌恋の話。
*
リムジン。
U字の座席。座っているのは俺を含めて三名。俺――那由多零人と女二名だ。
対面に座っている女子高校生の名は、宗像歌恋(むなかたかれん)。リムジンの所有者であり、今回の依頼者――らしい。
肩下まで真っすぐに伸びた金色の髪は枝毛一つ見えない。地毛らしく、青い目を彩る長いまつ毛も、長い眉毛も、根本から金色。
白い肌に傷はなく、四肢は細い。が、主に胸部の成長は著しい。背は一六〇程度。俺と同じ高校の制服を着ているのは、クラスは違うが同級生だからである。内面は不明だが、外見はかなり上等だ。
宗像の横にはすまし顔のメイドが座っている。黒髪ポニーテール、クラシカルなメイド服。年は大学生程度に見えるが、何か特殊能力(スキル)を用いている可能性は否めない。
歌恋は小首をかしげた。
「那由多くん、どうしたのかしら。なにか問題でも?」
「……いや、問題はない。で、依頼者は『宗像歌恋』ということでいいのか?」
「ええ、そうよ。実際には『宗像家』ということになるけれどね」
俺は本堂探偵事務所から派遣されていた。所長の『本堂翼』は母さんの妹、つまり俺の叔母だ。
現在の居候先は探偵事務所である。
家賃も生活費も無料。その代わり雇われ探偵として金を稼いでこい、というわけだ。元が暗殺稼業の一族であるから、探偵というのは向いている部類なのかもしれない。
「那由多くん。所長さんからは依頼内容を聞いている?」
宗像が小首をかしげて微笑んだ。お嬢様というからツンケンしているのかと思っていたが、存外に愛想が良い。変な気遣いは必要なさそうで助かる。
「いや、なにも。『放課後、リムジンが待ってるから乗れ』と」
「なら、わたしから説明させてもうわね。ツバメ、アレを――」
メイドは『ツバメ』というらしい。佇まいからして元軍人や元忍者あたりだろうか。
「かしこまりました、お嬢様」
メイドはホテルなんかで見るような高級バインダーを雇い主へ差し出した。
「ありがとう――では、那由多くん、こちらを見てもらえるかしら」
宗像歌恋はお嬢様然とした余裕ある笑みを俺へと視線を固定したまま、手を伸ばした。
――スカッ。
――スカッ。
手が宙を切っている。しかし視線は頑なに俺から離さず、バインダー側へ向けない。
「……お嬢様、もう少し下です」
「ここ」
「上です」
「ここ」
「下、あと少し下」
「あったわ!」
「おめでとうございます、お嬢様」
「さすが、わたし。さすが、宗像歌恋ね。視線も向けずに格好よくバインダーを取れた」
「おっしゃる通りでございます。お嬢様は偉大なる宗像歌恋、その人でございますから」
「……、……」
絶句しているのは俺です。
一発でわかるこのアホ具合。
やばい。所長が俺一人に仕事を振ってきた理由が分かった気がするぞ……。
「こちらをどうぞ、那由多くん?」
言葉を発しない俺へ差し出されるバインダー。俺は無言のまま受け取り、まともな情報を摂取しようと、すがるように開いた。
「……なるほど」
出てきた言葉は、それだけ。
バインダーの中。依頼書、と明記された一枚の高級紙には、こう書いてあった。
『宗像歌恋の特殊能力が不安定である。改善まで指導願う』
何度読んでも、それだけだった。小さく息を吐き、視線を上げる。メイドは他人事のように顔を下げ、宗像歌恋はそれでも優雅に微笑んだ。
「では、今日からよろしくお願いいたします――えっと、教官、になるのかしら? それとも先生? 教授……ではないわね。おヒゲ生えてないし」
楽ができると思っていた自分を殴ってやりたかったが、その力は残っていなかった。
*
翌朝。
俺は、探偵事務所に出勤してきた叔母さんにくってかかっていた。
「叔母さん、あの依頼はなんだよ。アホのお嬢様の子守りでもしろと?」
「コロス」
いけない。『おばさん』は禁句だった。
「しょ、所長」
「足りん」
「……眉目秀麗、完全無欠の翼さん」
叔母さんは長い黒髪を一つにまとめると、煙草を咥えて火をつけた。
「よろしい――では説明してやろう、童貞高校生」
「高校生は大体童貞だ」
いい加減にしろ。
「私のデータによると高校生で童貞を捨てられなかった奴は童貞のまま人生を終えるやつが多く、高校生の間に出会った女と結婚する確率がかなり高い。よって『高校生』という階級が童貞であることの免罪符にはならないのだよ、童貞くん(※嘘)」
「……な、なんだと?」
小学生の時も中学生の時も、叔母さん相手に使っていた言い訳が通用しないだと……?
「じゃなくて! あの依頼はなんなんだって話だ!」
「姉さんが嫁いだ那由多一族――次期当主・那由多零人の能力はなんだ? 言ってみろ」
「……え? 『思念糸』を作る、だけど」
俺は特殊能力者である。能力者は世界に何百万といるはずなので珍しくはない。
かつての那由多一族は暗殺者であり、同時に優秀な特殊能力集団でもあった。周囲の人員も戦闘に特化した能力者を集めたため、少数ながら戦乱の時代をも生き延びたという。
叔母さんは大げさに煙を吐いた。
「言葉が足りないだろ。その糸でなにするんだ。亀甲縛りして、SMプレイでもするのか」
「やろうと思えばできなくもないけど……」
ふざけていたはずの叔母さんが目を丸くした。
「え? できるの?」
「いや、冗談冗談」
「だ、だよな……叔母さん相手にそういう冗談はダメだろ……? 姉さんにどう報告すればいいかもわからないしな……」
「ご、ごめん」
危なかった。叔母さんが混乱してなければ、追及されるところだった。
不本意だが話を変えるために全力で回答及び予測を行うこととする。
「俺の能力『思念糸』は、ストリングアクションを行うことも、相手を縛ることも(亀甲縛りをすることも)可能な糸だ。加えて、条件は多々あるけど、相手の四肢の自由を奪ったり、能力を発動することもできる――つまり、それを使って、お嬢様を鍛錬しろってことだよな……」
「Exactly。話が早くて助かるぞ。そういうわけだから、お前が一番の適任者なんだよ」
「……叔母さんは壊すことしかできないしなぁ……人間関係も……」
「なんだって?」
「お仕事がんばります! では失礼――いってきます!」
「あ、おい、待て! 二階から思念糸を使って飛び降りるなと言ったろ! 山奥じゃないんだぞ! 私が大家さんに怒られるだろうが! こらぁー!」
こうして俺の使命は始まった。もちろん嫁探しのほうではない……はず。
*
俺は宗像歌恋と共に室内運動場に居た。
体育館ほどの広さがあるが人気が全くない。宗像家の持ち物らしい。つまり貸し切りだ。
日本において七大名家と呼ばれる大金持ち群がいるが、そのうちの一つが宗像家である。歌恋の家は分家にあたるらしいが、それでも絶大な力はある。
宗像歌恋が手を上げた。
「一つ、いい?」
高そうな群青色のバトルスーツを身に着けている。体にフィットしていて目のやり場に困るが、仕事なので平常心を保たねば。
「なんだ」
「呼び方は『先生』でいい?」
「できることなら、やめてくれ。他にあるだろ」
「お髭が生えてないから『教授』は無理ね……?」
「……同級生なんだし、那由多でいいぞ」
「では『那由多くん』と呼ばせてもらうわね」
「俺は『宗像』でいいか?」
「苗字で呼ばれると個性を感じられないのよね」
「じゃあ『歌恋さん』とか?」
女子の名前を呼ぶのって滅茶苦茶恥ずかしいな……。中学は近隣の村の七人しかいない学校だったし、同級生も居なかった。
「呼び捨てで構わないわ。そちらのほうが先生に習っている感じがする」
「そうか」
俺は遠くに控えているメイドを見た。殺気は感じないので呼び捨てでもいいか……。都会の距離感がいまだにわからない。
「じゃあ、歌恋。まずは自由に能力を発動してみてくれ」
「わかったわ……」
歌恋は目を閉じて集中する。特殊能力とは時として人間に宿る不可思議な力のことである。
生まれた瞬間から宿しているものもいれば、老人になってから発動するものもいる。哺乳類系の動物も特殊能力を発露したケースがあったという。
使い方を説明するのは難しいが、人が歩き、走り、跳ねるように――誰に教わることもなく力を理解しているものだ。それが特殊能力(スキル)の論理である。
「ん……っ」
歌恋の口から艶めかしい声がする。能力の種類によって感じ方は人それぞれだが、体内から外に熱量があふれてくるイメージが一般的だろう。
俺も歌恋も、能力の種類は具象化タイプ。力を使って物質を生成するのだ。
もちろん俺は『糸』。
歌恋は資料によると『巨槌』とあった。つまり巨大ハンマー。
「あっ……でて……、んっ……き、そう……」
おかしな声に聞こえなくもないが、俺は気にしない。これは依頼であり仕事であり特訓である。いちいち茶化していては進むものも進まない。
腕を組み、歌恋を観察する。
歌恋は『具象化する物体』をイメージしやすいような体勢を取っている。モノを作るタイプの能力は、自己暗示が肝要だ。
大きなハンマーを支えるような体勢――つまり腕は優勝旗を持つような形で、それを支える手や指は円を描いている。
歌恋は小さく口を動かし始めた。魔法の詠唱のように自己暗示をかける能力者は多い。人は走ることを無意識に学んでいくが、早く走れるかは別である。能力も同じだ。
「……長くて……太くて……それで……大きくて……力強くて……」
歌恋の手が上下に動く。柄がそこにあるかのように、実体を感じるかのように――丸めた指先で上へ下へと優しく擦る。
イメージを強めているのだ。長く、太く、大きい、巨槌。それを具象させるために体内の熱量を形へと変えていく。
「すごい……おおきくて……力強い……」
「……、……」
「でも、だめ……こんなの……」
「……、……」
「むりっ……出す前に……っ、こわれちゃうっ」
「待てええええい!」
「きゃっ! なんなの」
「なんだその詠唱は!」
卑猥すぎる。
「詠唱? そんなのしてないわ」
「無自覚なら自覚してくれ。戦闘系かつ前衛系の能力なんだ。具象化に時間がかかりすぎてたら、その間にヤられるぞ」
「ヤられる……? そういう話……?」
「よくわからないが、そういう話じゃない気がする」
「童貞……?」
「お前まじでヤっちまうからな!?」
心からポンコツなお嬢様だった。
それから三十分後。
「――出でよ、プリズム・ハンマー!」
歌恋の手の中に虹色に光る透明な物質が現れた。それは柄だった。先には大型犬ほどのデカさの円柱がついている。つまり、巨槌。名前はプリズム・ハンマーとしているらしい。
「おっ」
「でたわ!」
「よし、第一段階は突破だな」
能力者は能力を使えなければならない。当然だ。
ここで一つ確認したいことがあった。
「歌恋。資料には載ってなかったが……つまり発動時間を早めればいいのか。それが『能力を安定させる』という依頼内容なのか?」
歌恋は自分の身長ほどのハンマーを軽々しく支えている。能力で作られた物質は必ずしも物理法則にのっとっているわけではない。
「そうね。もちろんそれもあるのだけど――」
「ふむ」
そのとき――歌恋のハンマーが光り始めた。
「なんか光ってるぞ、歌恋」
「ええ、光ってるわね」
「光が強くなってきたぞ、歌恋」
「ええ、強くなってきたわね」
次の瞬間、ハンマーは爆散した。
*
シャワーを浴び、更衣室の椅子に座る。
着替えるのがなんだか億劫で、バスタオルを腰にまいたままだ。どうせ俺たち以外に施設にいないから平気だろう。
「本来の能力か、はたまた未熟さゆえの暴発か……」
歌恋のハンマーは爆発するらしい。本来の能力なのかは不明だが、制御できていないことは間違いがない。
「ダメージが少ないのは幸いだな」
爆発の割には体を押される程度の威力。心臓に悪いだけで、街中で暴発しても死人はでない。たぶん。
「身体の何かが影響してるんだろうが……」
メンタル的な何かだと、面倒だな。
『特殊能力』とは歩き、走り、跳ねることである。人はその可能性を能力獲得と共に知ることになる。威力の高低や能力活用の上手さなどは仕方がないが、能力の暴発は意味が変わる。
集中力と想像力が求められる能力者にとって、精神的な不安定さは致命的だ。
「金持ちの悩みなんて思いもつかん……」
さて、そろそろ着替えるか――立ち上がり、腰のタオルを落としたところで、更衣室のドアが開いた。
歌恋が立って、俺の体を直視していた。
「あら、那由多くん。裸ね?」
「うわあああああ!」
能力発動! 能力発動! 糸でタオルを拾って、腰に――く、くそ! 慌てすぎて、糸がうまくタオルに伸ばせなかった!
俺は左で必死に股間を隠しつつ、右手でタオルを拾って、腰に巻く。
歌恋は「なるほど……」と感心している。
「たしかに精神的な安定がないと能力制御も難しいのね。学ばせてくれてありがとう」
「学ばせてねえよ! し、しかもその恰好はなんだ!」
歌恋の恰好はひどかった。
具体的にはバスタオル一枚。それ以外にまとっているものはない。俺と同じ半裸状態。いや、同じじゃない。非常に突き出ている胸元のせいで、下側はほとんど隠れていない……。
「ペアルックね。わたし男子とペアルックするの初めてよ?」
こんなペアルックは嫌だ。
「待て、なぜ近づいてくるんだ。ここは男子更衣室だぞ……」
歌恋は恥じらいも見えぬ態度で、男子更衣室に足を一歩踏み入れる。
二歩、三歩。歩くごとに金色の髪が揺れ、大きな胸が水風船みたいに上に下に動いている。
俺は後ずさった。
歌恋は止まらない。
「ねえ、那由多くん」
「な、なんでしょーか」
声が裏返り、背中にロッカーが当たる。もう後ろに下がれない。
タプタプとしてる柔らかい生き物がどんどん近づいてくる。ち、違う、本体はソレじゃなかった。だが、本体と錯覚するほどに存在感がある。
伸ばせば触れられそうな位置で、俺たちを妨げるのはバスタオル一枚のみ。
「那由多くんって、お嫁さんを探しに来たのでしょう?」
「母親がそういってるだけだ。目的は高校卒業と大学進学だ」
「へえ、そうなの」
歌恋は聞いているのか聞いていないのか、適当な相槌を打ちながら、突然、バスタオルを地面に落とした……落とした!?
俺は瞬時に歌恋から視線を外した。だが、目の裏に桜の花のようなピンク色が焼き付いている。
「服を着ろ! なんで裸なんだよっ」
「ねえ、那由多くん。わたしがお嫁さんになってあげましょうか」
「……は?」
なに言ってんだ、このお嬢様は。
目を瞑って情報を断絶したいが、万が一、これがハニートラップだった場合、咄嗟の行動ができないので開かざるを得ない。どうしても視界の端が肌色。
「どう……? 悪い話じゃないと思うの」
歌恋はそう言って、体を近づけてきた。
密着していないはずだ。まだ距離はある。なのに二つの大きなふくらみが先行して、俺の肌に触れている。
人生で感じたことのない肌のぬくもり。それはつきたての餅のように柔らかく、一部が固い。
俺は般若心経を唱え、里のオッサンのふんどし姿を必死に思い浮かべた。能力者に必要なのは集中力、集中力……。
「いいとか悪いとかじゃないだろ。結婚には色々と過程も必要だし……」
「過程なら今から作ればいいじゃない」
「今からっ?」
今からここで何を――っく。妄想の上書き。毛深いおっさんのふんどし姿。赤いやつ。股間に虎と龍が描かれている。
「わたし、初めてなの」
「な、なにが」
「那由多くんは、どう?」
ぐいっと近づく歌恋の体。
むにっと潰れるナニか。
脳裏でポージングを取るふんどし姿のオッサン。
「ちょっと待ってくれ! 一度離れろっ」
俺は動きを止めていた両手をなんとか起動させ、歌恋の体を引き剥がそうと前にだした。
――むに。
「あんっ」
何だその声。あと、両手が柔らかいモノに埋まっている。手のひらの中に突起が現れ始めたところで、俺は自分の手のひらの現状を見た。
乳に埋もれていた。
詳細に伝えるならば、俺の両手は歌恋のスライムのような乳房を鷲掴みにしたあげく、押しやっていた。
「あやまったら、許されるのか……?」
「これが過程」
「ち、違う」
「じゃあ、この手はなにかしら。いつまでも触ったままというのは可笑しくない?」
「は、はずしたら、全部見えて大変だろう……!」
ふくらみの先端は、どうするんだ。
「見るより触るほうが大変な気もするけれど」
「たしかに!」
俺は勢いにまかせて手のひらを退けた。ぷるんっ、と胸が揺れる。天井を指し示すかのような桃色の突起が現れた。
小指が突起物に引っかかり、歌恋の体がビクンと跳ねた。事故だ。
「悪かった、許してくれ……!」
「なにが? 胸を触ったこと? それとも最後に胸の先を――」
「全部! 全部謝るから!」
俺が被害者だった気もするが、もう遅い。
歌恋は、倫理観や羞恥心が壊れているのか、もしくは端から知らないのか、隠すことなくニッコリと笑う。
「わたしの、気持ちよかった? 男の子ってそういうの好きなんでしょう? ツバメが教えてくれたの」
なにを教えてんだ、メイド。
「……よくわかりませんでした」
本当はめちゃくちゃ柔らかくて意味がわからないくらい凄かった。
「ならこうしましょう? 結婚の話は将来にとっておく。今はその前の段階の話をしましょう」
「前の段階……?」
俺はロッカーに背を預けたまま、ライオンに襲われるウサギのような心境で言葉を待った。
「パートナーの話よ」
「パート、ナー……?」
付き合うとか、そういうことか……? まさか、彼女になるとか言い出すのか?
「那由多くんは考えてることが顔に出やすいのね。思考がバレバレよ」
「え、あ、いや」
「セフレではないわ」
「考えてもみなかったからな!?」
なんてヤツだ、コイツは。
「探偵のパートナーといえば助手じゃない? わたしを探偵助手にしてほしいの。気が合えばその先に進みましょう。とっても刺激的だろうし、面白そうだし」
「助手……? いや、そんなものいらないんだが……」
歌恋は、腰に手を当て胸を張った。
必要以上にツンと上を向いていた胸が、水まんじゅうみたいに震えた。俺の目はねこじゃらしを追う猫みたいに揺れてしまっていた。ふんどしオッサンは消えていた。
「女の子の胸を触ったら責任が発生するのよ? 今回は結婚か助手か警察へ通報かしら。那由多君はどれがいい?」
それはただの脅しだ――そう言いたかったが、互いに裸の今の状況ではなにも言えなかった。
「助手でお願いします……」
「……! 契約成立ね。もちろんわたしの依頼は継続するから安心してね」
「……了解」
こうして俺には依頼主兼探偵助手が出来たのだった。
相手の言葉を借りるなら、結婚前の前段階という話になるわけだが――俺は歌恋が何を考えているのかいまいちわからなかった。
*
私立神泉学園――全国屈指の金持ち高校。
学部は多岐にわたり、能力者と一般人も区別せずにクラスを構成している。
どうやら学園長と母は旧知の仲らしい。だからこそ俺の入学がかなったわけだ。うちに金銭を求められても出せるはずがないので、純粋な縁故入学なのだろう。
俺は一年C組である。歌恋はA組。
先日、歌恋が俺の探偵助手になってから、学園生活は多少――いや、かなりうるさくなった。
昼食ぐらいは静かに食えると思っていたが、歌恋がC組に突撃してきた。
「那由多くんっ、事件よっ」
「……一体なんだ」
俺は焼きそばパンを諦めて、机に両手を置く歌恋を見た。前かがみでシャツがよれて、ボタンの間から何かが見えているが、気が付かない振りをした。もう胸にはかかわりたくない。
歌恋は首をひねる。
「胸が気になるの?」
「気にならない」
「今日は触っちゃだめよ」
「昨日も触ってないだろっ」
「数日前は触ったわ」
「ヤキソバパン、オイシーナー」
誰かに聞かれたらどうするんだ。幸い周囲には人が居なかった。
「で、なんだよ」
「学園内に下着泥棒が出たらしいの。わたしはそれを今調査中なのだけれど」
「おい、助手」
「なにかしら、探偵さん」
「お前、俺の名前を使って好き勝手事件に首をつっこむな。あと俺は職業上の探偵であって、漫画やドラマに出てくるみたいな推理探偵じゃないんだよ」
ただでさえ『探偵事務所に居候してる』っていうと冗談みたいな目で見られるっていうのに。
歌恋はふむふむと頷いたあと、指を立てて説明を始めた。
「容疑者は三人よ。バッグを持っている男と、スマートフォンを持っている男と、マスクをしている男。女子更衣室の近くにいた不審な男子生徒三名」
「話、聞いてるか?」
歌恋が助手になってから数日――たったの数日。それだけの短期間で歌恋はまるで子供のようにはしゃいでいた。
勝手に事務所にきて俺の部屋に写真を飾るし、猫犬探しはメイドたちを使って解決するし、学校サイトに依頼フォームをつくるしで、やりたい放題だ。
「それで、那由多くん。犯人は? 持ち物検査をしたけど、誰も持ってないのよね……パンツ」
何度も言うが、俺は推理する探偵じゃない。調査をする探偵だ。事件に対する役割がまったく違うのだ。
それでも話を聞いていたらピンとくるものがあったのも事実。
俺は頬張ろうとしていた焼きそばパンを歌恋に向けた。
「持ち物だけか、調べたのは。口の中は見たか?」
「口? それはおかしいわ。パンはパンでも食べられないパンツなのよ?」
食べられるパンツなど無い。
「空間があれば収納できるだろ? さらに外から見えなければいい。それが口だ」
「口……? あっ」
歌恋は手を打った。
「なるほど……マスクの中に隠してるのね!」
「誰も持っていないなら、誰も探していない場所を探すしかない――勘だけどな。推理なんてしたことないから当てにはしないでくれよ」
「でも、困ったわ……」
「なにがだよ。まさか無罪の人間をメイドに断罪させたわけじゃないだろうな」
「マスクの中のパンツを履くわけにもいかないわね……」
一瞬、思考が止まった。いまコイツ、なんて言った?
「……盗まれた下着は誰のだ?」
「? わたしのよ?」
「……待て。そうすると、つまり」
俺は無意識のうちに真横に立つ歌恋のスカート部を見た。ひらひら揺れている。心なしか必要以上に揺れている気もする。
整理しよう。下着泥棒が盗んだのは歌恋のパンツだ。だから今の歌恋はパンツを失っている――じゃあ、こいつは今、なにを履いてるんだ?
「今度はスカートが気になるの?」
歌恋は首をかしげながら、スカートに手をかけると――そのままめくりあげた。
「わあああ!?」
思わず歌恋の手を握りしめ、スカートを元の位置に戻させようとした。
「痴女か、お前は!?」
「那由多くんが心配してくれているようだから、心配はいらないってことを教えようとしただけよ」
「ああ……?」
めくりあげられたスカート。歌恋の下半身はスパッツでおおわれていた。
教室で女子のスカートに手を伸ばしている男一名。俺はそっと定位置に戻った。
「何も履いていないほうがよかったかしら。今度からはそうするから、安心してね」
「いや、もうなんでもいいです……」
本当に疲れるやつだ。こんな助手、早いところクビにしてやろう。そのためにはそれ以上に早いところ、能力を安定させないといけないのだ。
ちなみに犯人はやはりマスクの中にパンツを隠していた変態だった。
そして俺は、一部の生徒から『女子のスカートを教室でめくりあげていたヤツ』と噂されることとなった。
……最悪だ。
*
室内運動場、ふたたび。
ただでさえ静かな建造物は、まるで墓場のようだった。
歌恋は相変わらず俺の前で身をよじっている。メイドは遠くに控えたまま。
「んっ……でそうっ……!」
艶めかしい声と共にクリスタルのような透明で虹色に光るハンマーが具象化した。
俺はうなずく。
「出し方はともかく、出たな」
「ええ、出たわね」
「で、光ってるな」
「光ってるわ」
「爆発……するか?」
「するわね。それはわかる」
「なら投げろ! 爆発する前に!」
「投げるわっ」
俺へと投げつけられる巨槌。
「こっちに投げるなよっ!?」
くるくると回って飛んできたハンマーへ向かって、俺の能力『思念糸』を発動。細く強靭な糸が、蛇のようにハンマーの柄を捕らえたのを確認し、真上へと進路を変更させた。
空中で爆発するハンマー。殺傷能力がないことはわかっているが、心臓に悪い。
物理法則外の現象のため燃えカスは出ないのだが、天井からはキラキラと光る物質がダイヤモンドダストのように降ってきていた。
「歌恋の能力は爆発なのか? 鈍器なのか?」
キラキラではないことはわかるが。
「わたしにも、わたしのことはわからない」
「能力者がわからないと俺にもわからないな……。安定すれば自然とわかってくるとは思うが――仕方ない。荒療治といくか」
「漁師? 船に乗るの? ――あ、まさか、殺人が起こりそうな洋館のある孤島へ……?」
耳の能力がひどすぎる。
「違う。外部から無理やり能力を操作してみるってことだ」
「どうやって?」
「俺に任せてくれれば全部やる。思念糸の能力の一つなんだが――」
「糸で縛るのね……? 亀甲というやつなら受け手としての心構えもわかるわ……!」
「縛らないし、わからなくていい」
「縛らないのね……」
なぜか残念そうな歌恋に簡単に説明しておく。
「俺の能力は身を任せてくれさえすれば、相手の体に糸を通して、操ることができるんだ。威力は半減するが、能力も使わせることができる。手間はかかるから戦闘向けって感じではない」
「痛そうね」
「痛みは感じないと聞いてる。俺自身には使えないから人聞きだけど」
「わたしはどうすればいいの?」
「歌恋の体に俺の両手をしばらく置かせてくれ」
「結局、男の子は胸なのね」
「肩だよ、肩! 操るだけなら両手でいいが、能力使うときは肩が一番早いんだ。数分、手を置かしてくれるだけでいい」
「そうなの? じゃあ、お願い。脱ぐ? まくりあげる?」
「……服の上からやる。肩から力を抜いて、楽にしていてくれ」
話が進まないので半ば無理やり床に座らせて、歌恋の肩に手を置いた。俺は目を瞑り、対象者の体内に不可視の思念糸を巡らせるように集中する。
『思念糸』はストリングアクションにも使えるワイヤーのようなものだ。相手を拘束したり、物を引き寄せたり、時として切断したり。
そして、相手を操るための糸へ変化させることができる。それが二つ目の能力『絡繰糸』。
糸を対象者の体内に巡らせていくイメージだ。人間の体には『気の流れ』がある。あるいは『生命力の循環』と言い換えてもよい。そこに糸を重ねていけばよいだけで――あれ?
歌恋の体の中を精査する段階で、すでに違和感があった。なんだこの構造は。ぱっと見は人間の造りだ。しかし気の流れがおかしい。
「どうかしたの、那由多くん」
「いや、なんていうか……初めて見るタイプというか……一般的な人間にあるべきものがないというか……歌恋の能力が不安定なのはこれが原因なのか……?」
探れば探るほど、おかしな感覚を得る。心臓もある。血管もある。神経だってある。だが、目に見えない生命力の流れがぐちゃぐちゃだ。子供が描いた迷路のようで、糸を通すことができない。
わけがわからないまま思念糸で体内を探っていると、歌恋は何かを言った。
「よくわからないけれど、わたしは『一般的な人間』ではないからじゃないかしら」
「ん……なんだって?」
集中してよく聞こえなかった。俺は手を止めて、耳を澄ませる。
歌恋はこちらへ顔を向けると、あっけらかんと言い放った。
「わたし、合成人間なの。オリジナルの遺伝子は組み込まれているから、オリジナルとほとんど構造は同じだけど、普通の人間ではないわ」
「……は?」
合成、人間?
言葉にしたはずだったが、口からは呆けた声が出ただけだった。
*
自室のベッドの上。探偵事務所内の一室だ。翼さんは自宅が別にあるので俺はハウスキーパーでもある。
天井をぼんやりと眺めながら、さきほど別れた歌恋のことを考えた。
合成人間。
知識としては知っていた。人が人として遂行することが難しい難題に対する最適解は? アンサー。人の形をした別の生命体を作ればよい。それが合成人間の一番の存在理由だ。
クローン人間の場合、人と同じ成長過程を踏まねばならぬが、合成人間に成長過程は存在しない。パーツごとに作られ、組み立てられる。いわば生きる人形というわけだ。
色々と非人道的な機能もつけられるとかなんとかで、戦時中も活用されまくったらしいが、各国のトップシークレットでもあるという。
謎の存在だが、宗像家の権力と財力があれば作ることは容易かもしれない。しかし、眉唾物の話であったし、本物なんて初めて見た。
「本人が言ってるだけとはいえ……」
体内の生命力の流れがおかしいのは事実である。メイドのツバメにも聞こえていたはずだが全く動じていなかった。最初から知っているようなそぶりだ。
仮に本当に人造人間だとして、歌恋の存在理由はなんだろうか? 金持ち娘の身代わり――つまり影武者?
「だが、それを俺に伝えてどうなる? 伝える必要がない……。本当に影武者なら逆効果だ」
ヴーヴー、とスマートフォンが鳴動した。
メッセージのようだ。俺は寝ころんだまま画面を見る。
『歌恋:デートをしましょう?』
「あいつはいったい、なんなんだよ……」
わからないことだらけだったが、俺は受けることにした。依頼者に深入り厳禁とはいえ――歌恋は俺の助手でもあるのだから。
*
待ち合わせ場所は八杜(はちもり)駅前のペデストリアンデッキだった。八杜市の主要駅であり、各都市からの路線をつなぐ大型地方都市特有の中規模駅だ。
休日ということもあり人の往来は激しい。皆、一様に楽しそうだ。能力者が事件を起こすような世界であろうとも、見渡す限りには平和が広がっている。
まさかヘリから降下してこないだろうなと空ばかり見ていたら、地上から歌恋の声がした。
「おまたせ、那由多くん」
「おう……待ってはないぞ」
口ごもったのは、歌恋の圧に押されたから。いかつさ、ではない。その可憐さに。
黒いワンピースに春先の風を防ぐための白いロングカーディガン。薄手の生地のせいか、ボディラインがくっきりと出ている。ヒールにブランド物のような小さなバッグ。シンプルかつモノトーンな装いの中で、金色の髪がよく映えていた。
「んん? 那由多くん、わたしに見惚れてくれてるの?」
「いや、別に……」
「でも視線が落ち着かないみたいね。どうせなら褒めてくれてもいいのよ?」
「……似合ってると思うぞ」
「ありがと」
歌恋がいたずらっぽく笑う。いつものアホさが出ておらず、非常にやりにくい。
「一人か?」
「ええ。一応は一人という設定ね。そういう風に頼んであるから」
「そうか……まあ、そういうことにしておこう」
きっとどこかで元忍者みたいなメイドが目を光らせているに違いない。雇い主の要望をどれだけ受け入れているかは不明だが。
俺たちは歩き出した。
「これ、デートよね? デートっていうのは、ドキドキするイベントよね?」
歌恋が情けないことを言う。まるで童貞の高校生みたいな確認だ。
なにせ、そういう話は俺からしようと思っていたぐらいだ。これデートなんだよな? って。
「たぶんな……」
経験がないので答え合わせはできない。
が、俺の心臓は少しだけだが……ドキドキしていた。
*
デートって何をするんだろう? よくわからないのでネットで調べてみたが、やっぱりよくわからなかった。
『二人の時間を楽しむ』とあったが、そもそも、俺たちは時間を楽しむ関係などではない。
「一度、デートってしてみたかったの」
歌恋は歌うように言った。駅ビルの中の雑貨屋で、適当な小物を手にとっては光に当てて輝きを楽しんでいる。
やはり――アホではない歌恋はキレイだと思う。素材が良いのだろう。中身がアレなだけなのだ。しかしこいつは合成人間であって、人間ではないという。何も変わらないどころか、俺の世界の『宗像歌恋』は目の前の生命体しか存在しない。
「那由多くん。失礼なことを考えているでしょう」
跳ねるようにこちらを向く歌恋の、胸がプルンと揺れた。いちいち胸に目がいってしまうのをどうにかしたいのだが、どうにもならない……!
「……いや、特に」
「胸のことしか考えられなさそうだものね。あえて谷間を出しているの。ドキドキするかと思って」
「今初めて、歌恋を歌恋だと思えたよ」
アホでいてくれて助かった。
俺には確かめたいことがある。だからデートの誘いを受けたのだし。
「なあ、歌恋――人造人間って、本当か?」
「ええ、もちろん。嘘をつくメリットってある?」
「本当のことをいうデメリットのほうがある気がするぞ。たとえば影武者なんだとしたら、俺にそれを言うメリットはない」
俺たちはカフェに入った。目立たぬ席に陣取る。
無意識化に、聞かせられない話が始まると思っているからだろう。
「少しだけ長いお話をしましょうか」
少しなのか、長いのか、どちらなのかを判明させる前に、その話は始まった。
「わたしの名前は宗像歌恋――でもオリジナルじゃない。でもオリジナルでもある」
「遺伝子情報が同じだからか?」
「双子は同調するという実験結果があるの。遺伝子情報が同じ生命体は魂でも繋がっているのかしら? たとえば片方が恐怖を覚えると、もう片方も同じ感情を覚える。幸福でも同じ。他にも『やけどをした姉の右腕』が『妹にも発現』したことさえあるというわね」
「何が言いたいんだ?」
「理解できないなら、おっぱい揉む?」
「意味はないだろ」
「いいえ、意味はあるのよ。刺激が必要なのだから」
「……話を続けてくれ」
「宗像歌恋は、スリーピング・ビューティーなの」
「眠り姫?」
「昏睡状態といってもいいわ。オリジナルの宗像歌恋は何年もの間、目を覚まさないの。何をしても効果がない――だから、わたしが用意された」
「本物の代わりをするために?」
「いいえ。目覚めさせるには王子様のキスが必要だと思わない? わたしは思う。呪いをとくほどに刺激が強いキスが、彼女の目を覚まさせるのよ」
俺の頭の中を、様々な情報が走った。
富豪の娘、合成人間、オリジナルではないオリジナル、双子の同調、眠り姫――。
「探偵さんなら、わかるんじゃないかしら。わたしのパンツも見つけてくれたのだから」
歌恋は大人びた笑みを浮かべた。
ゾクリとする。まるで今までの歌恋は、オリジナルを真似ただけのようにも思えた。
俺は思考をまとめながら、口を開いた。でないと、細いヒントの糸をなくしてしまいそうだから。
「宗像歌恋は、意識を失っていて……起きるため、刺激が必要だと考えられた? もしくは刺激があれば目が覚めると思われた……だからコピーを作り、記憶を……感情や体験を共有できるようにした……? いや、双子が体験したことが、もう片方に伝播すると想定した……?」
我ながらSFチックな発想である。だが、与えられたパーツでの最適解だとも思う。
歌恋はにっこりと笑った。
「さすが那由多くん。真実は一つね――報酬のパンツ、見る? 刺激になることなら、わたし、
なんでもするように命じられているの」
それにしちゃ性的な行動に寄りすぎてないだろうか。
「ごまかすな、歌恋。お前、なんで俺に近づいてきた……? 能力が不安定なことと関係するのか? それとも全て、その眠ったままの……歌恋のせいか?」
視線が鋭くなってしまったようだ。殺気さえ出していたらしい。遠くからメイドの圧を感じた気がするが、姿は見えなかった。
「那由多くん、誤解しないで。最初に言った通り、この依頼はわたし個人によるものじゃない。能力が不安定なのも嘘じゃない――だけど、助手になったのは、わたしの判断よ……刺激的な日々になると思ったし、オリジナルも望んでいると思ったの」
「オリジナル……?」
「彼女の本当の声を聞いたことはないけど――でも、一つわかる。宗像歌恋は、あなたに好意を持った。だから、宗像家にも許された。あなたの傍にいることは『王子様のキス』を得る可能性があるのだから」
「好意……?」
「そう。英語にするなら『あい・らぶ・ゆぅ』。宗像歌恋は那由多くんみたいな造形が好きみたい。わたしの遺伝子がそう言っているから。那由多くんは、わたしのこと、好き?」
絶句。なんて返せばいいのかわからない。俺は遠回しに告白されたのか?
「お、お友達からで……」
彼女いない歴十六年を舐めるんじゃないぞ。
「初体験って痛いのかしら? そういう刺激だって、眠り続ける人間にとっては目覚める刺激になると思わない?」
「知るわけねえだろ……」
「だから試そうって言ったのに」
「興味がないとはいわないが、この流れでは絶対に嫌だ」
俺の話は聞こえないとばかりに、歌恋は独りごとを繰り返す。
「那由多くんはSっぽいし、糸を使うものね……縛られてもいいものか、お父様に確認をしないといけないかも……拉致監禁と勘違いしたツバメが侵入してきたら大変だし……あ、複数プレイというやつを勉強したわね……これも刺激になりうる……?」
もうやだ。早く帰りたい。
俺の初デートの記憶は、なんとも複雑だった。
別れ際、歌恋は言った。
「那由多くん、あたしのこと怖い? 人造人間だし」
「いや……」
俺は自分の気持ちを素直に伝えた。
「俺にとってはお前が宗像歌恋だ」
それ以上でもそれ以下でもないのだ。
*
ここまでの話を整理しよう。
今回の依頼主は宗像一族。
依頼対象は――宗像歌恋。
目覚めたばかりの能力が不安定ゆえ、指導願いたいとのことだった。
だが、目覚めたのは、おそらく能力だけではない。合成人間ということは、成長の過程を必要としない生命体だ。つまり歌恋は生後数年程度の存在なのだ。だから様々な点で不安定。ゆえに能力も同じだ。
合成人間である歌恋の役目は『影武者』だと思われたが、真実は違うようだった。
オリジナルの宗像歌恋は、理由は不明だが、眠ったまま目が覚めないのだ。おそらくだが医学の見地から『外部からの刺激』があれば覚醒の一助となる可能性が見いだされた。
様々な可能性が探られたのだろう。だが効果はなかった。よって計画は先に進んだ。
双子は記憶や体験を共有することがあるらしい。
俺の知っている合成人間の宗像歌恋は、遺伝子情報を含めてオリジナルと同一の存在だという。つまり一卵性双生児。双子だ。
歌恋が体験した記憶や感情は、強ければ強いほど双子相手に伝わる――可能性がある。それが起因となり、スリーピング・ビューティーは覚醒するかもしれない。
眠り姫は王子様のキスで目覚めるという。
本当に? そんなことわからないが――歌恋はそう信じている。だからこそ俺の助手となった。
*
歌恋は赤面もせずに宣言した。
「水着を着ようと思うの。それもエグいやつ。それを見られるならドキドキするから、良い刺激になると思わない? 衆人環視に出るとなお良いのかしら」
「集中しろ、歌恋……」
鍛錬中に何を言い出すんだ、こいつは。
相変わらず、歌恋の能力『プリズム・ハンマー』は爆発しまくりである。『絡繰糸』を使おうにも、体の自由は奪えるが、能力に関しては体内の気の流れがぐちゃぐちゃで成功しない。
こうなれば、歌恋自身に能力の基本を学んでもらうしかないのだが……。
歌恋は体にフィットしたボディスーツを脱ぎ始めた。
「おい、なにしてんだ」
「実は下にマイクロビキニを着ているのよね。準備万端、完璧歌恋ちゃん」
「だから、どうした」
猛烈に嫌な予感。
「わたしは、お父様から言われているのよ。とにかく刺激を受けること。それがオリジナルの神経に刺激を与えて、昏睡状態から目が覚める可能性があるからと。お父様は――もちろんオリジナルのお父様という意味だけれど……何がなんでも娘を目覚めさせたいのだから」
「オリジナルの歌恋は……病気か、なにかなのか?」
「さあ? わたしにとってそれは重要なことじゃないわ。とにかく刺激が必要ってことだけが、わたしにとっての生きる理由よ」
「だから、なぜ脱ぐ――って、ちょっと待てっ!?」
歌恋は勢いよく上着をまくり上げた。宣言通り、下にはマイクロビキニと呼ばれるような面積の少ない三角形の水着を着用していた。
ブルン、というか、ボロンというか、とにかく何かが飛び出してきた。真っ白いクッションみたいなソレについた水着――しかし、歌恋が上に手を上げた途端、ズレていた。三角形が隠すべき場所が全開のまま、お目見えとなった。
「うわあああああ!」
悪夢再び。
俺は思わず手を伸ばし、見えそうになった歌恋の胸の先端を手の平で隠した。
「あんっ」
「なにしてんだ、お前はっ」
「だって、那由多くんが胸を触るから……そういうことをするなら、もっと違う機会がいいわ」
「そういうことをさせてるのは、お前だろっ」
手がめちゃくちゃ気持ちい……じゃなくて、手が大変だ! まるで温かい餅に手を突っ込んでいるような……じゃなくて、早く何とかしないと!
「じゃあ、水着を直すから手をどかしてくれない?」
「……そうだった」
デジャブ。
なぜ俺は、目の前に大変な事態が起こると手を差し伸ばしてしまうのか……。格好よく言ってもただのセクハラだというのに……。
水着を直した歌恋は、ついでとばかりに下も脱ぐ。やはり小さすぎる三角形が露出し、真っ白な肌をほんの僅かに隠していた。
おもむろに上がる腕。下がっていく腰。バックに青い海と白い砂浜でもありそうな、グラビアポーズ。
「どうかしらっ」
「どうって……」
危ない水着の女子高生一名。
今度はお尻をこちらにむけて、四つん這いになると、首だけでこちらを向いた。
「ドキドキする?」
めっちゃする。
正直なところ、これがスマホに写っていたら無意識に保存してしまうくらいの光景だ。
だが、一つだけ訂正しなければならない。歌恋は間違っている。
「俺をドキドキさせてどうすんだよ」
オリジナルをドキドキさせる為の行動をしなければならない。俺を興奮させたところで、オリジナルへと感情は届かないのだから。
歌恋は「たしかに、そうね……」と立ち上がった。
「……うーん。あまりドキドキしていないかも。これじゃあオリジナルには感情が届かないわね。むしろ怒られそうな気もするけれど、やってしまったものは仕方ないか」
本当にこれでいいのか、宗像家。
その後もプリズム・ハンマーは爆発し続けた。
*
衝撃的な事実が判明したのだが、よく考えれば、俺には直接的に関係はないことである。
実際、所長にも報告をしたが、知っていたのか興味がないのか、「まあ、事実であれ嘘であれ、依頼は変わらないだろ』とのことだった。
たしかに、変わらない。俺は歌恋の能力を安定させるだけである。
万が一――億が一、何かが変わってしまったというなら、俺が『助手』なんてものを採用してしまったことだけ。
それによって変わる未来なんてものはあるのだろうか?
*
嫁を探せと母に言われ、探偵事務所に居候しているはものの、俺の高校生活は至って普通であった――最近までは。
昼休みになった途端、歌恋が満面の笑みでやってきた。廊下に待機していたような速度だった。
「那由多くんっ、お弁当を作ってみたの!」
「……ああ」
「一緒に食べましょう!」
「お前はいつも楽しそうでいいな……」
俺は今、教室全員から注目されてやり辛いよ。
『あれ、なんなの』みたいなコソコソ話が聞こえてくる。
歌恋は気にせず弁当箱らしき重箱を掲げた。
「パートナーとしては探偵の健康チェックは基本よね。ここで開いていいのかしら」
「視線が痛いからやめてくれ。とりあえず外に行くぞ」
「はーい」
これ以上、注目を浴びていたら俺の高校生活がどんどんずれてしまう。
俺は歌恋を伴って、中庭へと向かった。
よく晴れた日の昼休み。中庭のベンチ。周囲ではすでに昼食を終えて紙パックジュースを飲んでいるものや、カップル同士で『あーん』としているもの、一人でスマホを見ながら購買のパンを食べているものなど多種多様だ。
そんな中、俺は人生で初めて、同級生と弁当箱をつついていた。
浮いている自覚はある。なにせ皆からチラチラと見られているから。
目の前に広がっているのが、正月みたいな五重箱というのもあるだろうが、なによりも相手が超お嬢様の宗像歌恋というのが一番だろう。
なんだかんだで歌恋の見た目は最上級。黙っていれば本物のお嬢様だ。まさかソイツが半裸になったりアホなことを繰り返しているだなんて、誰に言っても信じてくれないだろう。
「おいしぃ~」
歌恋はほっぺたに手をやり、身をよじっている。
「食べるのが好きなのか? いちいち大げさだな」
俺も卵焼きを一つ――う、うまい。なんだこれ……。俺の知っている卵焼きじゃない。卵の味が濃厚すぎる。思わず口を押えそうになって、先ほどの自分の言葉を思い出し、止まった。
「宗像家のシェフの料理は最高なの。わたし、生まれてよかった」
歌恋の言葉に一つの疑問を思い出す。
「つかぬことを聞くが……歌恋はいつ、生まれたんだ?」
この世界の技術として、クローン人間はあくまで人間と同じ細胞で出来ている為、成長速度は一律だ。
半面、合成人間は任意のパーツを組み合わせた人形のようなものである為、成長はなく、死は体の破壊と共に訪れる。
歌恋は一流シェフが作ったらしいタコさんウインナーをよく噛んで飲み込んだ。
「おいしぃ~――三か月よ?」
「たしかにうまい――は?」
俺の口からタコさんウインナーが顔を出した。あわてて噛んで飲み込む。
「だから生まれてから、三か月」
「三か月……」
短いとは予想していたつもりだが、口に出して言われると衝撃的だった。
歌恋は座ったまま空を見上げた。なにかを訴えるポスターのように映えていた。
「だから、わたしにはすべてが新鮮なの。知識は植え付けられていたけど、実際に体験するのは大違いだわ。百聞は一見に如かず――ねえ、那由多くん。経験は魂に記録されるのかしら」
「スピリチュアルすぎてわからないが、見るのとやるのとが違うことはわかるぞ」
歌恋は俺の話を聞いていないみたいだった。
まるで世界でたった一人みたいに、つぶやく。
「魂に記録されるのであればいいな――そしたら、生まれ変わっても覚えてるのに」
人造人間は修理が可能だ。治療ではなく、修理。当然、パーツが変わっていけば今の歌恋は消える。
俺は何も言えない。歌恋はきっと、嫁探しなんてものをさせられている俺よりも、さらに重い何かを背負わされているのだ。
歌恋はフリーズしたPCが再起動したかのように、素知らぬ表情で弁当を食べ始めた。
「那由多くん」
「……なんだ」
「あそこのカップルみたいに『あーん』ってする? ドキドキするかもだし」
「しない」
「わかった」
「よかったよ」
「アスパラのベーコン巻でポッキーゲームを希望ということね?」
「わかってないな!?」
これ以上注目集めてどうするんだよ。ここだけの話、歌恋にはファンクラブができそうらしい。もしそうなったら命の危険さえあるぞ。
「わたし、生殖機能があるかの確認も求められているのよね。つまり子供ができるのかどうか。試そうと思っても、なかなか試せないものよね」
「俺に言うなよ……」
「わかったわ」
「わかってくれて嬉しいよ」
「童貞に話してもしかたない、ということね……?」
「わかれよ!」
本当にうるさい昼休みだ。
その日の夜。
スマートフォンが鳴動。画面には『母』の文字。無視をすると後が怖いので、即座に出た。
定期的な報告作業だ。学校の状態とか、叔母さんの見合いの話とか色々と出た。もちろん『嫁探し』の話も出たが、高校生活一か月で見つかるわけがない。面倒くさいので歌恋のことも黙っておいた。あくまで助手だしな。
全てを伝えた後、案の定、ケツを叩かれるような言葉をぶつけられた――が、最後。母さんは安心したような声音でこう言った。
「しかし、安心しました。とても楽しそうですね。おそらくガールフレンドの一人でもできたのでしょう。母にはわかります。寝るなら一発で決めなさい。避妊具は――」
「おやすみ!」
母として最低の助言を切った後、寝床で大の字になった。
「楽しそう?」
まさか。実に騒がしい日々だ。決して楽しいわけじゃないが……つまらないことは、ない。
*
放課後。俺と歌恋は駅前を通り過ぎ、少々不便な場所にある地方銀行に向かっていた。
今日は俺の給料日。居候とはいえ多少の報酬はもらえるのだ。もちろん最低賃金を大幅に下回るブラックぶりだが、家賃がさっぴかれていると考えれば文句はいえない。
隣を歩く歌恋が、恋焦がれるように切ない声を出した。
「はぁ。殺人事件とか起きないかしら。そしたらきっと、すごい刺激になると思うのよね」
「不謹慎なことを言うな」
口に出すと願いは叶うという話を聞いたことがあるからな。言霊ってやつだ。
「歌恋。鍛錬はひとりでも続けてるか? イメージを練ることと、たとえば暗示用の詠唱決めとか」
「ええ。自宅できちんと爆発してるわ。広いからダメージ0よ」
「爆発させないようにしような……それでも、まあ、進歩してるか……」
爆発までの時間に猶予が出てきたし、爆発方法も風船が破裂する程度に制御可能になってもきた。もしかすると爆発はしてしまうかもしれないが、もしかすると時間制限付きの具象化能力の可能性も否めない。
たとえば銃タイプの武器を具象化できる能力者でも既定の弾数を打ち終えると、一度能力が消えてしまうようなモノもある。それは能力者の無意識化における自己制限でもあるし、そもそもそういう能力でもあるというわけだ。歌恋もそういうタイプなのかもしれない。
小さな俺の呟きを、歌恋は聞き逃さなかった。
「え? なぜそこで下ネタを挟むの……?」
「は? なにいってんだ」
「だって、今、チン……」
進歩。
「お前は一度黙れよっ!?」
駅前を歩く多数の人が俺を見る。
「那由多くん、大声出したら注目されるわ。そういうドキドキを与えてくれているの?」
「……もういい」
はぁ。まじで疲れるぞ。時間があっという間に溶けていくので無視だ、無視。
「地方銀行ってどこにあるのかしら」
「向こうのスクランブル交差点の手前だな。所長が『振込手数料安いから』って、そっちに」
駅前を離れること十五分弱歩くと、ようやく『八杜銀行』が見えてきた。
名前の通り八杜市の地銀であり、八杜市在住だと銀行専用の特別カードが使えて手数料がほぼゼロになるらしい。
マスコットキャラは『モリモリハッチ』。ゆるキャラ化したミツバチなのだが、体はボディビルダーのようなシックスパック。説明『みんなをまもるため、きょうもきんとれ』。
誰が好むんだ、このセンス。
ショーケースにならぶモリモリハッチ。
歌恋が叫んだ。
「わあ! 那由多くん! かわいい! モリモリハッチ人形ほしい! 買いましょう!」
「……いらないからな。早く金を下ろして、パフェ食うんだろ」
「そうだったわ! でも、モリモリハッチ、かっこいい……」
「どこがだよ」
筋肉ミツバチとか、恐怖しかないわ。
「那由多くんに似てるわ」
「似てねえよ」
「そうかしら。そっくりだと思うけど……」
ぶつぶつと言いながら首をひねっている歌恋は置いてATMへ。俺の給料日は世間での給料日ということもあってか、手数料無料ATMは大盛況だった。
「パフェ、楽しみね?」
「そうだな」
なんの話かといえば、給料の話に帰結する。
助手はあくまで給料なしなのだが、歌恋が「給料日ならパフェをおごってほしいわ。助手にも飴は必要でしょう? 鞭は……そういうプレイを示しているのよね? 鞭が先でもいいけれど……ツバメに用意させて」と言い始めたので、黙らせるために食べにいくことにしたのだ。
居候で貧乏人の俺が、日本を代表する資産家の娘にパフェをおごるというのも、ずいぶん滑稽に思えるが、生後三か月にパフェを求められたら食わせてやりたくもなった。
随分と待ったがようやく列が消化されてきた。歌恋は飽きずに俺と一緒に並んでいる。
「パフェ~パフェ~モリモリ~ハッチは~那由多くん似~~♪」
作曲・歌詞/歌恋による意味不明なBGM。
「楽しけりゃいいけどさ……」
だが。
それは悪魔を呼びよせる呪文だったのかもしれない。
背後で自動ドアが開く音。
ドタドタと慌ただしい複数の足音。
突然、乾いた音がした。
『パン』とか『バン』とか、そういう感じの――これは銃声だ、と気が付いた瞬間、大声がした。
「静かにしろ! 今からこの銀行は閉鎖する! なぜなら俺たちが金を奪うからだ!」
一拍の空白のあと。
『きゃああああああああ』
客の一名が叫んだ。
「黙れっ」
パンパンッ――銃声が恐怖を押さえつけた。
「お前ら全員地べたに座れ! 手を前に出しておくんだぞ!」
「……まじかよ」
俺は舌を打ちつつ、周囲に合わせて、地面に座る。
気持ちいいほどわかりやすい銀行強盗だ。
目出し帽をかぶった四人があらかじめ決められていたかのように銀行のシャッターを閉めさせていた。手際が良いようには見えないが、思い切りは良い。
拳銃持ちと散弾銃持ちが一名ずつ。カバンを二つ持った男が一名、見張り役のような手ぶらの奴が一名。計四人。声と体つきから全員、男。
客は少なく見積もっても二十名ほど。恐怖からか皆、犯人のほうを見てもいない。
それにしても、四人か。
客の中に戦えるやつはいないだろう。俺だけだった場合、銃相手に人質全員を守りながら戦い抜くことが難しい。
俺の能力は背後からのアサルトや、仕掛けておいたトラップによる捕縛といった戦いを得意とする。対複数能力ではないし、複数を相手にするなら事前準備が必要だ。
歌恋が震える声を出す。
「那由多くん……どうしよう……」
「落ち着け、歌恋。誰かが傷つけられない限りはあえて動くな」
しかし時間の問題か?
受付の向こう側に居た女性職員が銃を突き付けられている。男に首をつかまれ、体を密着させられている。人質にして支店長を従わせる気だろうが、男の手は女の胸元をまさぐっていた。
金と性欲。最悪なタイプの犯人像。速攻で解決しなければ。
その為には一瞬のチャンスを見逃さず、モノにしなければならない。
歌恋は続けた。
「でも、こんなことって……こんなチャンスって……二度とないわ」
「そうチャンスだ……チャンス? おい、何考えて……まさか」
静止する間もなく、歌恋が手を上げた。
「そこの胸を触ってる犯人、やめなさいっ! わたしが代わりに人質になるわ! 最高のボディよ! ぴちぴちの十六才なんだから、こっちにしてみなさい!」
「あっ、バカっ」
「大丈夫。これもわたしの役目みたいなものでしょう?」
こいつ、オリジナル覚醒のための『刺激づくり』のために、わざわざ危険な方へ身を投じたのか……!
だが俺の予想はすこしだけ外れた。
歌恋は小さな声で言う。
「合成人間ならいくらでも変わりが作れるでしょう。たとえ爆発しても、元通りよ」
「……は?」
俺は耳を疑った。
こいつは今、自分の命を軽視したのか?
合成人間だから、自分は死んでもしかたないと?
無性にイラ立つ。なんだこの感情は。
女性職員に性的な被害を与えていた男が、新しい玩具に目を付けた。
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねえ! おい! そこの金髪女子高生! そこまでいうなら、てめえが人質だっ、こっちこい!」
拳銃を持った男が女子社員を突き飛ばし、銃口を歌恋へと向けた。歌恋はまるでコンビニのレジへ向かうみたいに犯人のほうへ歩いた。
全員が歌恋を見る。位置が悪い。散弾銃を持った男の意識がこちらに向いている。他はナイフ程度の装備だから思念糸でもなんとかなる。だが銃と俺の愛称は最悪だ。遠距離武器を持ったやつらの意識を反らすことができれば――その時、先ほどの歌恋の言葉を思い出す。
爆発……?
カウンターの向こうで職員にナイフを突きつけて金をバッグに入れさせている男が叫んだ。
「おいっ、ほどほどにしておけよ!? 目的は金だぞ!? はやく詰めろ!」
「うるせえな! 見ろよ、こいつ! ガキのくせに胸もでけえし、最高の女だぞ!」
目出し帽をかぶっていても下卑た笑いは隠せない。拳銃を持った男は、歌恋が近づくにつれて、太ももや胸に夢中になっている。
歌恋はゆっくりと歩きながら、手を前に差し出した。まるで手錠をかけてもらおうとする犯人みたいな動き。寄せられた腕が、大きな胸を押し上げているみたいだ。
「あん?」
拳銃男は胸を見た。だが、そこに現れた物体にぎょっとする。
「プリズム・ハンマー!」
「能力者!?」
拳銃と散弾銃が歌恋へ向く。引き金は動かない。
なにせ特殊能力は物理法則にとらわれない存在。能力によっては銃弾をはじき返され、自分が死んでしまうこともある。正体不明の能力者には能力者の力で処理するのが鉄則だ。
拳銃男が叫んだ。
「タカシマァ、出番だぞ! 能力者だ、倒せっ!」
「任せろっ――スピニング・ニードルッ・ナンバースリーッ!」
見張り役と思われた男の手が光始める。近づくことをしないということは遠距離攻撃タイプ――だが、もう遅い。
「思念糸っ!」
振りかぶった指先から糸が伸び、光る男の手を上へと引っ張り上げる。
「なにっ!?」
タンタンタンッ――光る釘のようなものが三本、天井に刺さる。
「ぐあっ! 動けない!」
俺はそのまま反対の手を振りかぶり、能力者の男を縛り上げた。修行の成果というより、このへんの咄嗟の行動はクマやイノシシ退治で培った。
「動けないっ!」
「能力者!? まだいやがったのか!?」
拳銃と散弾銃がこちらに向く。一瞬、焦る。
しかし――俺には助手がいた。それも、盛大に光り始めたハンマーを手にした助手が。
「お、おい! こっちの、なんか光ってるぞ!?」
「なんだよ、お前ら!?」
拳銃と散弾銃は俺と歌恋の間をいったりきたり。しかし歌恋は動けない。
あまりにも銃口との距離が近すぎて、暴発が怖い。
俺は叫ぶ。
「顔をあげてるやつは伏せろっ!」
「なにぃっ!?」
ドガーン! 歌恋のハンマーは無事に爆発した。
それも特大の威力。能力者本人が吹き飛ばされるほどに。
「きゃっ」
爆風によって歌恋が地面に倒れる。
当然、近くにいた拳銃男たちも吹っ飛ばされる。俺は天井の照明に糸を投げ、思い切り巻き取った。体は引っ張られ、ワイヤーアクションのように犯人の元へ飛んでいくことができる。
急襲する俺を見て、男たちは目を見開いた。
「観念しろ!」
俺は空中にいながら、鞭を振るように両手を動かし、拳銃と散弾銃を犯人の手から奪い取った。
「あっ!?」
犯人が立ち上がるが、こちらの思惑通り。丸太に糸を射出するように、俺の思念糸が人間二人をすまきにする。
床に転がる男三人。
残り一名。
俺は振り返る――と、バッグを持っている男に銀行職員が群がっていた。
機を得たとばかりに、職員が犯人を後ろから羽交い絞めにし、そこに警備員などがしがみついていた。どうやら爆発に驚いた男が隙を見せたようだ。
シャッターもあがる。職員がボタンを押したのだろう。
安心とみるや、入り口付近の客が外へ逃げる。それを見て外の客も這うように外へ向かっていった。
俺は爆風でスカートが捲れたまま床に転がっているお嬢様に手を伸ばし、起こしあげた。
「大丈夫か、歌恋」
「ええ、大丈夫。それにしても、さすが那由多くん。助手と以心伝心ね」
「あのなあ。もう少しわかりやすく伝えろよ」
「あら。でも、伝わったのだから、いいじゃない? 事件解決、ハッピーエンドね」
さらに文句の一つでも言おうとしたところ――犯人を取り押さえているはずの男性の一人が叫んだ。
「ば、爆弾だああああああああ! バッグ! バッグのなかにあるぞおおおお!」
「タイマー動いてないか!? なんだこれ!?」
押さえつけられている男だろう。嘲笑するような、くぐもった声。
「ははっ! お前らみんな爆発しちまえ! もう全部、失敗だ! みんな壊れちまえ! みんなで天国へ行くぞおおおおおおおお」
不穏な宣言。
破滅主義者、最後のあがきはタイマー付きの爆弾。
「那由多くん、どいて!」
歌恋は俺を押しのけて、カウンターを飛び越え、向こう側へきえた。
ふたたび顔を出して飛び出してきたときには犯人のバッグを抱えていた。
「歌恋!? どうすんだよ!?」
「外で抱えこんでみる! 映画で見たみたいに、人体を壁にすれば平気だと思うの!」
たとえばそれは手りゅう弾のうえに腹ばいになる映像みたいに。
入口へ駆けていく歌恋を追いかける。
ふざけるなよ!? あまりにも命を軽んじた作戦の数々に、俺の頭は沸騰する。
「バカ野郎! 待て! ビルのうえから投げるとか、他の方法があるだろ! なんでそうも思い切りがいいんだ、お前は!」
「待つ時間ないのよ! タイマーがもう数十秒しかないみたいっ。警察に預けても、無意味っ」
「じゃあ、なおさら待て!」
外にはいつのまにかパトカーが複数台止まっており、道路も封鎖されていた。野次馬が多数いるものの遠く離れている。エアポケットのような空間が道路の真ん中にできていた。
日本の警察、まじ優秀。でも、できることなら実行前に犯人を捕まえてほしかった。
歌恋は周囲に誰もいない場所に走り込むとバッグを抱えて地面に寝ころんだ。
「みんな! 逃げなさいっ! 爆弾よっ!」
『え?』『嘘だろ』『なになに』
周囲の人間は信じずスマホを掲げる。警察は『きみ! 平気か!』と逆に近づいてきた。
歌恋が俺を見た。
「那由多くんも離れて!」
あと何秒だ!? わからない、全力でいくしかない!
「離れるのはお前だ、歌恋! 思念糸っ!」
「え、なに!? ――きゃあっ、いたいっ」
「すまん! 責任問題はあとにしろっ」
俺は思念糸を歌恋の体に巻き付け、引きずり、バッグからひっぺがした。確実に傷ができただろうが許してくれ。
「次はバッグだっ! ――風車(かざぐるま)ッ!」
俺は能力者として修業を繰り返してきた。
思念糸の応用技も何個も持っている。
風車――この技はなんどだって繰り返し練習した基本技の一つ。糸の先に対象を括り付けて遠くまで投げるだけ。
焦るな零人。間違えたら誰かが死ぬかもしれない。
イメージ、イメージ、イメージ!
大きく糸を伸ばし、縮ませ、通常の物理法則では考えられない回転速度を一瞬で作り出す。投擲用の武器の様に、バッグが先についた思念糸がぐるぐると回り続ける。
「――うおおおおおおおっ!」
間に合うのか!?
解放! バッグを空高く放り投げた。
無我夢中――間に合わなければ死ぬだけ。
物理法則を超えた力で投げられたバッグは、空高く舞い上がり――ドッガーン。まるで花火の様に爆発した。
想像以上にやばい爆弾だった。歌恋のハンマーが玩具に見えるほどに。
皆が空を見ている。警察官ですら、連絡を忘れて、空を眺めていた。
空中から燃えカスが落ちてくる。
歌恋は空を見上げながら言った。
「まるで雪みたい。見たことはないけど」
美少女の膝から血が出ている。それだけで罪悪感があった。それが口を滑らせたのだろう。
「歌恋。俺の助手でいたいなら、自己犠牲の行動は慎んでくれ」
「え? どういうこと?」
「合成人間とか、人間じゃないとか、そういうのを理由にするのはやめてくれってことだ――」
だって。
「――お前は俺の助手なんだ。世界で一人だけのな」
こうして事件は解決したが……少しの間をおいて、現場はパニックとなった。
*
蛇の足みたいな話。
地方銀行での強盗事件はスピード解決した。もちろん俺たちのおかげだったが、関係しているのが宗像一族だったせいか、他にも理由があったのか、事件は警察の手柄となった。
歌恋は事件のあと、やけに気分が良さそうだった。
昼食時も鼻歌を歌いながら俺の口におかずを詰め込んでくる。呼吸ができなくなるほどに押し込んでくる。
で、言う。
「那由多くんにプロポーズされちゃった」
「してねーよ……」
「だって、責任問題の話をしてたものっ。現地はとったわ――はい、ダーリン、あーん?」
「……あーん」
えらい勘違いだ。ファンクラブがとうとう出来たらしいので、俺の命も危険度マックスである。
『きゃあ、かわいいっ、子供の顔が早くみたいわっ』等と一人で盛り上がっている歌恋を無視して、先日の話を思い出していた。
銀行強盗後のパニックの中――メイドのツバメとやらがしれっと現れて、歌恋を回収していった。
俺は、その背中に声を掛けたのだ。
「なんで助けにこなかったんですか。主人の危機だっていうのに」
「遅れました。お嬢様から距離をおいて見守るように言われていたものですから。このたびはお嬢様の命を救っていただき、誠にありがとうございます。当主にも申し伝えますので」
「まさかとは思うけど」
「なにか?」
「歌恋に特別な刺激が与えられればラッキーなんて考えちゃいなかったですよね? それこそ死ぬくらいの衝撃は、人を目覚めさせる最高の刺激かもしれない」
「さすが那由多さま。面白い冗談を……では、失礼いたします」
メイドの目は笑っていなかった。
回想終了。
俺は口の中いっぱいのミートボールを飲み込んだ。見た目は普通なのに味が神がかっている。
歌恋は昼ご飯を終えると、お茶を飲みながら空を見た。
「あぁ。刺激が足りないわ。事件でも起きないかしら……」
「ふざけんな……もうこりごりだぞ、あんなことは」
「でも、わたしがピンチになったら、助けにきてくれるのよね? 責任問題だし」
「責任問題の前に、助手がそうそうピンチになるんじゃない」
いや、でも世間の探偵ものは助手がピンチになって話が進むもんだっけか?
歌恋は微笑んだ。
「でも世界で一人の助手だから、助けにきてくれるのよね」
まるで話を聞いていない。
これでは昼休みが終わってもうるさいので、俺は諦めて頷いた。
「ま、気が向いたらな」
嫁探しのついでにでも助けてやるよ――と。
************
to be continued ……?
************
【中編】探偵と特殊能力と嫁探しと金髪女子高生助手の話。 斎藤ニコ @kugakyuu
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