16、音楽室のオバケがピアノを弾いていた理由は?

「まあ、驚かせちゃってごめんなさい」

 白いワンピースを着たお姉さんが片手で口元をおさえた。

 私とナツキは抱き合ったまま彼女を見上げた。

「あの―― いまピアノのところにいましたよね……?」

 私がかすれた声で尋ねると、お姉さんはうなずいた。

「練習していたらお客さんがいらっしゃったから、どなたかしらと思って。つい瞬間移動してしまったわ」

 お姉さんは恥ずかしそうに両手で顔を隠した。

「考えただけでその場所にワープしてしまうの。いまだに慣れなくて」

 怖い相手じゃないと分かってナツキはスタンプラリー台紙のしわを伸ばしながら、

「便利っスね!」

 人なつっこくあいづちを打つ。

「あら、あなたたち七不思議めぐりをしているのね」

 お姉さんが台紙に気付いて少し腰をかがめた。

「ここまでたどり着いたってことは、あと少しでゴールね!」

 お姉さんは自分のことみたいに嬉しそうな笑顔でこぶしをにぎった。うっすら透けている点をのぞけば素敵なお姉さんだ。うなずいた私に目をとめ、

「えーっと、あなたはピアノの上手な今井結菜ちゃんね」

 いきなり名前を言い当てた。

「そっちの子はいつも今井さんと一緒にいる島本夏希ちゃん。あってるかしら?」

 少し子供っぽい仕草で首をかたむけると、長い黒髪がさらりとワンピースの背中をすべった。

「なんで私たちの名前を知ってるんですか!?」

 私が目を丸くして尋ねると、

「どうしてだと思う?」

 おっとりとした口調で訊き返されてしまった。

「もしかしてこれが謎解きか!?」

 廊下にあぐらをかいたままだったナツキが思わず立ち上がるが、

「どうしようかしら? ちょっと簡単すぎるわね」

 お姉さんは思案顔のまま首を右に左にとひねっている。

 私も立ち上がってナツキの横に並んだ。ライトがついたままのスマホを手に持っていた私は、光の中ではお姉さんのワンピースが消えてしまうことに気が付いた。

「もしかして昼間は姿が見えないだけで、実はいつも音楽室にいるんですか?」

「そっか! 授業を受けてるウチらのこと見てるんだな!」

 ナツキがポンと手をたたく。

「そうなの」

 お姉さんはゆっくりとうなずいた。

「明るいと私の体は日に透けてしまって見えないのよ。透明なのにピアノを弾いたらみんなを驚かせてしまうでしょ? だから夜に練習しているの。腕がなまらないようにね」

 腕がなまらないように? お姉さんはオバケなのに発表会やコンサートの予定でもあるのだろうか? 幽霊のお客さんが聴きに来るピアノリサイタルを想像していたら、ナツキが無邪気に質問を始めた。

「いま弾いてた曲、伴奏なんだよな? ユイナが言ってたんだ」

「そうよ。今井さんは音楽に詳しいのね」

 お姉さんは私に優しいほほ笑みを向けてくれる。

「ユイナはすごいんだぜ!」

 ナツキは胸を張りながら、私の頭をわしゃわしゃとなでた。

 おそらくぐしゃぐしゃにされたであろうボブカットの髪を手ぐしで直しながら、私はお姉さんを見上げた。

「ピアニストってソロの曲とか、オーケストラと演奏するピアノ交響曲とか練習するものだと思ってたんですけど、なんで伴奏を練習しているんですか?」

「じゃあその理由を当ててもらいましょうか」

 お姉さんはにっこりと笑うと、ドアを素通りした。あとを追おうとドアを開けようとするが、鍵がかかったままだ。ドア上部の窓からのぞくと、すでにピアノの前までワープしていたお姉さんが、

「あら、ごめんなさい!」

 と慌ててドアの前に現れ、鍵を開けてくれた。

 ナツキはかかとを踏んだうわばきを鳴らしてかけ込むと、一番前の机に座って足をぶらぶらとさせながら、

「分かったよ! お姉さんはウチらが歌うために伴奏してくれるんだ!」

 いつの間にかグランドピアノのいすに座っているお姉さんに向かって、元気に答えた。

 ナツキを追いかけて音楽室に入った私は、手近ないすを引き出して腰を下ろし、

「なっちゃん、さっきお姉さんが弾いてたのは私たちが合唱で歌うような曲じゃなかったよ。もっと本物のクラシックだった」

「本物のクラシックかぁ」

 ナツキは私の言葉を繰り返すと、またなにか思いついたらしく目を輝かせて壁に並ぶ作曲家たちの肖像画を振り返った。

「あそこのオッサンたちが絵から出てきてな歌う!」

「あの人たちは基本的に伴奏側のような気がする……」

 私は小声でつぶやく。図書室でベートーヴェンやロッシーニの伝記を借りて読んだとき、少年時代に美しいボーイソプラノで歌っていた逸話が出てきたけれど、オッサンになった肖像画の姿では歌うよりピアノを弾いているイメージだよね。

「ユイナは何か思いつかないのか?」

 ナツキのアイディアを矢継ぎ早に否定していたせいか、質問を投げられてしまった。

「うーん……」

 ナツキばかりに答えさせるわけにはいかない。私は首をひねって想像力を総動員した。

「天国に行ったら神様のために歌う天使たちの聖歌隊があって、そこで伴奏をするとか?」

「まあ、素敵なアイディアね!」

 お姉さんは顔の前でポンと手を合わせて華やいだ声を出した。

「雲の上に荘厳な聖堂が建っていて、中には大きなパイプオルガンが備えられているのね。私が演奏すると天使さんたちのボーイソプラノが響くなんて、想像するだけで楽しいわ」

 ほめてくれたけど正解ではないらしい。

 私とナツキは無言になってあれこれと考え出した。

 学校前の通りを車が走る音だけが聞こえてくる。

「降参する?」

「まだ待って!」

 私はとっさに答えた。

 ナツキはポリポリと頭をかきながら、

「なんかヒントもらえないのか?」

 と、お姉さんの表情をうかがうように尋ねた。

「そうねえ」

 お姉さんはゆったりと優雅な仕草で首をかしげる。

「そうそう、私がオバケになったのは三十年くらい前よ。ヒントになるかしら?」

 私たちは頭を抱えた。オバケになったというのは亡くなったという意味だろう。でも三十年くらい前にお姉さんがあの世の人になった話と、いま伴奏を練習している理由がまったくつながらない。

 ようやく五番目まで来たけれど、ここで降参するしかないのだろうか?

 いや、まだあきらめたくない。

 いままで私たちはどうやって謎を解いてきたんだっけ―― 本を読むふりをして漫画を隠していた二宮金次郎。花子さんのふりして女装していた太郎さん。実は異世界転移していた体育館の勇者。プールの水に擬態していた巨大スライム。

 考えてみたらすべてナツキが謎を解いていた!

 ここは三歳から音楽教室に通っている私が、がんばらなくちゃ!

 ひざの上でこぶしを握りしめ顔を上げると、グランドピアノの譜面台に楽譜が載っていることに気が付いた。

 そうだ、楽譜を見ればなんの楽器の伴奏か分かるかも知れない。いまはどんなに小さくても手がかりが欲しい。

 私はグランドピアノを指さして、

「楽譜を見てもいいですか?」

 と尋ねた。

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