14、「なっちゃんには好きな人がいるんだよね?」
だが暗い廊下に人影はなく、非常灯が頼りない光を投げかけるだけ。青白い明かりはよわよわしく、廊下の突き当たりは底なしの闇に飲み込まれている。
ひそひそと話し続ける声は理科準備室からもれてくるのだろうか?
「まだ僕らのところへは到着しないだろう?」
「だろうな。音楽室でながながともてなしてくれるだろうから」
時間が止まったかのように身動きできない私の肩に、ふいにだれかが手を置いた。
「ユイナ?」
「うわぁ!」
思わず飛び上がる。
「お、驚かせないでよ、なっちゃん!」
「ユイナこそボーっとしてどうしたんだよ? 下駄箱、こっちだろ?」
ナツキは理科室と反対側を指さした。私はうなずきながら、
「理科準備室のほうから話し声が聞こえるの」
ふるえる声で打ち明けるとナツキも耳をすました。
「僕らも負けてはいられないね!」
という声が、私の耳には確かに聞こえてくるのに、ナツキは顔色ひとつ変えない。
「なっちゃんには聞こえないの?」
「聞こえるよ。よかったじゃん。ちゃんと理科準備室にオバケが待ってるみたいで」
「えっ?」
何がよいのか!?
「だってユイナ、ウチらの目的は七不思議めぐりだろ? オバケが留守にしてたら困るじゃん」
カラッとした笑い声を上げて、ナツキは廊下の角を曲がってゆく。
「待ってよ!」
私は慌てて追いかけ、彼女の腕にしがみついた。
「電気つけるぞー」
ナツキはまた当たり前のように廊下の電気スイッチを押した。かすかな音が聞こえて天井に並んだ電気がいっせいに灯る。
何がひそんでいるか分からない闇が払われたのに、今度は人間が怖くなってきた。
「ねえ、なっちゃん。こんな明るくしたら学校のそばを通る人にバレない?」
中庭に面した特別教室棟のはじっこにあった図工室と違って、下駄箱の電気をつけたら昇降口から正門へ明かりがもれるかも知れない。
「でもユイナ、暗いと怖がるじゃん。図工室の前で固まってたし」
「あれは話し声が聞こえたからだもん」
私は恥ずかしくなってナツキの腕から離れると、自分の下駄箱からうわばきを取り出した。
ナツキもかかとのつぶれたうわばきに足を突っ込みながら、
「ユイナが怖くないなら消すぞ? でも音楽室、四階だよな」
私を心配そうに振り返りながら電気のスイッチに指をそえる。
「スマホのライトがあるから大丈夫」
私がスマホを操作したのを確認してから、ナツキは電気を消した。スマホから放たれる鋭い光線の中に、階段の輪郭が浮かび上がった。
「手ぇつないで行こうな」
ナツキはしっかりと、スマホを持っていない方の手をにぎってくれた。ナツキはいつも本当に優しいのだ。そういえばまだお礼を言っていなかった。
「なっちゃん、私のためにプールに飛び込んでくれてありがとうね」
「ハハ、いいってことよ」
ナツキは快活に笑い、反対側の手を伸ばして私の頭をなでた。
「ウチにとっちゃあユイナが一番大切だからな」
「私もなっちゃんが一番大事」
反射的に答えたら、
「本当か?」
改まった声で訊き返されてしまった。なんで本当かどうかなんて尋ねるんだろう? 階段をのぼる足が急に重くなる。
私はプールサイドでの自分の行動を振り返り、おずおずと尋ねた。
「なっちゃんは私を助けてくれたのに、私はプールに飛び込まなかったから?」
「はぁ? 何言ってるんだよ」
ナツキは薄暗い階段の上で、まじまじと私を見た。
「せっかく助けたのにまた戻ってこられちゃかなわないよ」
やっぱりそうだよね……。でもなんか引っかかる。本当かどうか確認するなんて、妙だと思うんだ。
私だって絶対ナツキが一番大事だよね? 自分の心に尋ねてみる。
もしナツキがいなくなったら――
プールサイドでナツキを失うんじゃないかと思った瞬間の恐怖がよみがえってきて、私は思わず立ち止まってしまった。
「大丈夫か?」
ナツキが抱き寄せるように私を支えてくれる。
「平気」
答えて足を動かし始めた私の頭に不安な考えが、氷水のように注ぎ込まれた。
こんなに優しいなっちゃんだけど、踊り場の鏡の前で告白したい相手がいるかも知れないんだ。
「ユイナ、またなんか怒ってる?」
無言になった私を、ナツキがのぞきこむ。怒っているわけじゃないけれど、確かに私は不機嫌になっていた。でもこんなの、命をかけてプールから救い出そうとしてくれた友達に取る態度じゃない。
互いを大切に思いあう親友同士なら隠し事なんてしたくない。思い切って尋ねてみてもいいはずだ。
二階から三階へと階段を登りながら、私は頭の中で質問文をこねくり回していた。音楽室へ到着する前に訊かなくちゃ。
「ねえ、なっちゃん」
私の声は自分で予想したよりうわずっていた。恋バナは大の苦手だったけど、本当の友達なら面と向かって尋ねよう。
「なっちゃんは、好きな人がいるんだよね?」
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