12、生まれてきた理由

「そうなんだ」

 勇者はなんとかスライムを落ち着かせ、ほとほと疲れ果てた顔でプールサイドへ上がってきた。

「いつも俺とこうして遊んでるからな。人間を見ると一緒に遊ぼうって誘うんだ」

 勇者はいとおしそうにプールの中を見つめた。

「でもそれでたくさんの人がおぼれそうになったんでしょ?」

 私は彼から少し離れたところに座って問いただした。ついきつい口調になってしまったが、勇者は気づいていないようだ。

「あのころはこいつ、こーんなちっちゃくてな」

 と、両手で包み込む仕草をした。どうも話がかみ合っていない気がする。

「かわいかったんだぜ。ま、でっかくなっても性格は相変わらず人なつっこくてかわいいけどな」

 勇者はとろけるような笑顔を浮かべているが、私はどうもすっきりしない。

「そんなかわいいペットにクラスメイトの足を引っ張るよう命令するなんて」

「命じたわけじゃないさ」

 本当は気が弱い性格なのか、勇者は鼻じろんだ。

「俺がこっちで体験したつらいことをポチに聞いてもらったんだよ。そしたらポチ、自分から仕返ししに行こうって言ってくれたんだぜ」

「言ってくれたって――」

 スライムはしゃべらないでしょ、と都合の良い勇者に指摘しようとしたら、私と彼の間にあぐらをかいたナツキが口をはさんだ。

「ポチに聞いてもらったってあんた、話し相手がモンスターなのか? 異世界転移したのにヒロインたちにモテモテな展開はなかったのかよ。やっぱり魔法が下手だから?」

「うるさいぞ」

 勇者はナツキをにらんだ。

「魔法を使えなくたって勇者にはなれる。俺が女神から与えられたスキルはテイムっていってな、どんなモンスターも手なずけられる能力なんだ」

 自信に満ちた瞳で語っているが、しょせん女神から与えられた力なのだ。私はあいづちも打たずに聞いていたが、勇者は話を続けた。

「魔王配下のモンスターを全員味方につけて、異世界を平和にしたんだからいいんだよ」

 なるほど、与えられた能力とはいえ、上手に使って人の役に立ったのか。

「テイムかぁ」

 ナツキはまるで自分が望んでいないスキルを与えられたみたいに難しい顔をした。

「モンスターたちが自分のかわりに戦ってくれるとしても、ウチはやっぱり魔法に憧れるなあ」

「だろ?」

 意外にも勇者が素直に認めた。

「だから俺は毎晩こっちに来て練習してるんだよ」

 おじさん、実は努力家だったようだ。

「俺はあっちじゃあ世界を救った英雄だから、今さら初級魔法の練習をしている姿なんて見せられないんだ」

 彼はさえないヘアスタイルの黒髪をかき上げた。プールに落ちたとはいえ、中にいるのはスライムだから全くぬれていない。

 ナツキはニッと笑って親指を立てた。

「バンバン魔法を使えるようになってかわいい女の子たちにモテるといいな!」

「いや、そういうのはもういいんだ」

 勇者はあいまいな苦笑を浮かべ、数えるほどしか星の見えない都会の空を見上げた。

「そりゃ世界を救った勇者ともなれば女の子たちにもチヤホヤされるけどさ、ペットのモンスターたちと過ごす方が癒されるんだよ。考えてみれば俺、日本で暮らしてたころも一番の友達は柴犬のポチだった」

 彼は眉尻を下げて泣き出しそうな顔で笑った。

「ポチは俺が小四の冬に亡くなったんだけどな」

 柴犬の名前をスライムにつけたのか。

 私もクラスの男子とプールに行くより猫ちゃんとたわむれている方が幸せを感じるから、勇者の言葉にも納得できる。うんうんと首をたてに振りながら、

「なっちゃんの言う通り恋愛に興味のない人もいるんだね」

 私が発言したのと同時に、

「男は試してないのか?」

 ナツキが尋ねた。

 勇者はおおげさにのけぞって、

「いやお前らなんの話だよ。俺は単純に人間より犬やモンスターと過ごす方が好きだって言っただけなんだが?」

 面倒くさそうな顔をした。

 私とナツキは二人で教科書にはこう書いてあっただの、道徳の時間にはこんな話をされただのと説明した。

「お前ら生意気だけどやっぱり小学生だな」

 勇者は鼻で笑った。

「学校で習ったことが全部正しいと信じてるとはな。ちっとは自分の頭で考えろよ」

 偉そうな態度に唇をかむ私とは反対にナツキは、

「あはは、そりゃそうだよな」

 気楽な笑い声をあげている。私はおもしろくなくてうつむいた。

「私は毎日、いい中学校に受かるために教科書の内容を暗記してるのに」

「はいはい、よく勉強してお利口さんだな」

 勇者は肩をすくめた。

「受験やテストのために覚えるのは構わねえが、生きる力は自分で体験して、考えて身に着けるしかねえんだよ」

「自分で体験して考える?」

 オウム返しに尋ねる私に、勇者は自分の胸をたたいた。

「ここに訊くんだよ。お前はどう感じるんだ? モヤモヤするならそれはお前にとっての真実じゃないだろう?」

「じゃあ私にとっての真実は何?」

「俺が知るかよ。お前が自分で見つけていくしかないだろ」

 突き放されてしまった。

「数学――」

 と言いかけて勇者は片手で頭を押さえた。

「お前らはまだ算数だっけ? 算数と違って人生の答えはひとつじゃない。一人一人が自分の答えを見つけていくのが生きていくってことだろ?」

 そんなものか。たとえ教科書に書いてあったことでも自分の心に訊いてみていいんだ。受け入れたくないと思ったら、私にとっての真実ほんとうはどこか別のところにあって、それを見つけるために色んな体験をすればいいってことなのか。

「ちょっと心が軽くなったよ。ありがとう、おじさん」

「おじさんじゃねえっての。ま、俺も異世界を旅しているうちに気付いたんだけどな」

 彼は遠い昔を思い出すように、また夜空を見上げた。

「トラックにひかれて空の上に上がったとき、ようやくポチに会えると思ったのに、現われたのは女神だった。女神のやつ、古めかしい巻物を紐解ひもときながら言ったんだ」

 ――少年よ、あなたはまだここへ来るべきではありません。なぜなら生まれる前に体験しようと楽しみにしていたこと、知りたいと望んだことをまだ何もできていないからです。かわいそうに、タイミングを間違えて肉体から抜けてきてしまったのですね。

「それで俺は異世界に落っことされたんだ」

 死後の世界か、それとも生まれる前に存在する場所なのか、私は空の上に広がるまだ見ぬ世界に思いをはせた。

 だがナツキはスタンプラリーの台紙をうちわのように使ってあおぎながら、

「課題をこなさないと空の上に帰れないってか? 人生にも宿題があるのかよ」

 うんざりしている。

「宿題とはちげぇよ。他人に押し付けられるんじゃない、自分で決めてきたんだ。RPGをプレイする前に色々楽しみにしてる感じに近いと思うぞ」

「おお、なるほど!」

 ナツキがぽんと手を打った。おそらくゲームの話だろう。私にはいまいちピンとこない。

 テーマパークへ行く前にどのアトラクションに乗ろうか決めておくようなものかな?

 もしかしたら勇者は生まれる前に、女の子からモテる人生よりペットたちと癒しの日々を送りたいと望んだのかも知れない。

 私も同じタイプだったりして? 一生恋なんてせずに猫ちゃんだけを愛して生きていく――いやいや、やっぱりそれは寂しいよ!

 知らない自分の姿を見られたら、何か手がかりがつかめるだろうか?

「そうだった、四つめの七不思議の謎――」

 言いかけてスタンプラリーの台紙に視線を落とした私は、目を丸くした。

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