07、本物の花子さんの謎
「やだー、ウンコのスタンプ!」
二番目の白い丸の中には茶色いウンコの絵が浮かんでいた。私の声が聞こえたのか、となりの男子トイレからゲラゲラと笑う太郎さんの声が響いてくる。
「本当にいくつになってもバカなんだから」
ため息をつく花子さんからは、ほのかに香水のような匂いが漂う。
ナツキは太郎さんの笑い声が聞こえてくる壁の方を見上げながら、
「『いくつになっても』って、七不思議のオバケたちは歳とらないだろ?」
「外見は小学生のままだけど、何十年も存在していたら気持ちは大人になっていいはずじゃない?」
小さな花子さんはにっこりとほほ笑むと、背伸びをしてナツキの鼻の前に自分の手首を差し出した。
「いい匂いでしょ? なんだか分かる?」
「香水?」
「そうじゃなくて香りの種類を当ててほしいの。あなたは分かる?」
花子さんは私の鼻先にも手首を近づけた。
「なんだろう、お花の香り?」
適当に予想しながら、私はもしやと気が付いた。
「まさか太郎さんが現れなかったら、花子さんの謎は香水の匂いを当てることだった!?」
「そうよ。せっかく準備してきたのに太郎に出番を奪われて、悔しいったらないわ」
私はウンコのスタンプが押された台紙を見ながら、太郎さんが出てきてくれたことに感謝した。香水の匂い当てゲームなんて私とナツキに分かるわけない。
「花子さん、私たち真面目な小学生は香水なんてつけませんよ」
「つまんない子ね」
花子さんは肩をすくめた。
「私は何十年も小学校のトイレに住んでるから知ってるけど、ルールなんて時代とともにどんどん変化してゆくものよ。真面目くさってないで人生、楽しみなさい。せっかく生きてるんだから」
まさかオバケに生きることを楽しめと説教されるとは。
驚く私の横でナツキが笑い出した。
「何十年もトイレに住んでるんだ! 花子さんの本当の謎は年齢だな!」
「ちょっと失礼よ、あなた!」
花子さんが怒るのも無理はない。外見だけなら低学年のかわいい女の子なんだから。
「ごめんごめん」
舌を出すナツキに、花子さんは大人びた様子でため息をついた。
「まあ、おあいこね。太郎が気持ちの悪い恰好であなたたちを驚かせたし」
「気持ち悪くなんかありませんよ」
ナツキがはっきりと言い返した。
「え? 男のくせにスカートはいて、おさげ髪のかつらをかぶっていたのよ?」
戸惑う花子さんに、ナツキは笑顔で答えた。
「太郎くんの恰好に何も問題なんてありません。太郎くんがいけなかったのは、ルールを破って勝手に女子トイレに入ったことくらいです」
「そうなの?」
今度は私が質問した。
「ユイナ、ウチら道徳の授業で習ったじゃん。服装や髪型について、男らしいとか女らしいとか求める社会は窮屈だって」
「なっちゃんが学校の授業、聞いてる!」
意外すぎる! 体育の授業以外、なっちゃんは寝てるかボーっとしてるかなのに!
「ウチだって大事な話は聞き逃さないのさ。性別のちがいや性的マイノリティをめぐる差別をなくして行こうって先生が話してたの、ユイナは聞いてなかったのか?」
そんな授業、あったっけ? 私は気まずくなってうつむいた。
「だって私はもともと性的マイノリティの人たちを差別なんかしてないもん」
「ハハハ、ひとごとみたいに言うじゃん」
おかしそうに笑い声を上げるナツキを見上げて、私はちょっと目に力をこめた。
「そりゃそうだよ。身の回りにそういう人がいるわけでもないし、私には関係ない話だもん」
「そうか?」
ナツキは驚いたように眉を上げた。
「ユイナはいつも恋愛なんて興味ないって言ってるじゃん」
「そうだけど、だからなに?」
眉をひそめる私に、ナツキはゆっくりと説明を始めた。普段は私が算数を教えているのに、立場が逆になったみたいだ。
「ユイナが本当に恋愛しない人なのかどうかウチには分からないけど、性的マイノリティの中にはだれにも恋愛感情を持たない人もいるって、先生が話してたよ」
ナツキが私の記憶にない授業を覚えている!? あっけに取られた私はつい、ナツキの顔をしげしげと見つめてしまった。おかしいな、やっぱりなっちゃんは私の知らないところで変わってしまったのかな?
「ま、ユイナは道徳なんて役に立たないと思って、こっそり塾の宿題やってたから聞いてないんだろうけど」
うっ、バレてた……
だって私の通う受験コースは、ナツキたちの補習コースと違って宿題が多いんだもん。それに私は道徳の授業、苦手なんだよね。四年生のときの教科書に「だれでも思春期になると異性が気になりだす」と書いてあって、なぜか息苦しくなったのを今でも忘れられない。
「へぇ」
花子さんは感心したようにうなずいた。
「なんだか時代が変わったみたい。令和の小学生は、昭和生まれの私が知らないことをたくさん知っているのね」
「あ、そっか」
ナツキが軽い調子でぽろりと言った。
「トイレの花子さんって昭和時代の都市伝説だもんな」
「昭和に『時代』をつけないで!」
妙なことを言う花子さんに、つい私も素朴な疑問を口にした。
「明治時代、大正時代って言うじゃないですか。そのあとが昭和時代だよね?」
「並べないでー!」
花子さんはなぜか絶叫した。そのうしろからかすかに、ボールが跳ねる音が響いてくる。
「こんな時間にだれか体育館にいるのかな?」
ボールが好きなのか、ナツキが子犬のように目を輝かせた。
「次の人が待ってるみたいね」
冷静さをよそおう花子さんの言葉で私は思い出した。
「三番目の七不思議、だれもいないはずの体育館で夜、ボールのはずむ音が響く――」
「よし、三番目の謎を解くぞ!」
駆けだしたナツキのあとを追って、私も体育館へいそぐ。花子さんがうしろで、
「気を付けてね。あいつは私たちとはまったく違う存在だから」
静かに忠告するのが聞こえた。
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