03、夜の学校は別の顔
踏切の警報機がカンカンとけたたましく叫び、電車の轟音が目の前を走り抜けた。
「え?」
思わず訊き返した私に、
「いまユイナの家族、海外旅行中なんだろ? 夜の学校で七不思議めぐりするチャンスだぜ?」
ナツキがいたずらを思いついた悪ガキのように笑った。
「海外旅行じゃなくて、お兄ちゃんがカナダ留学を始めるから、お母さんとお父さんもホームステイ先にあいさつしに行ったの」
私は少しムッとして訂正した。
高校生のお兄ちゃんの交換留学は夏休み明けの九月から。うちの両親は留学先の様子を確認するためについて行った。でも一週間もカナダに滞在する必要はない。ナツキの言った通り海外旅行を満喫するつもりなのだろう。
だがお母さんから「ユイちゃんはいまが一番大切な時期だもんね。塾の夏期講習、休めないからお留守番ね。おばあちゃんに見に来てもらうよう頼んでおくわ」と言い渡された私は、家族が楽しく旅行中だなんて認めたくないのだ。
「ウチの母さんも今日、夜勤だしさ、ちょうどいいじゃん」
ふくれっ面する私に気付かないのか、ナツキは機嫌の良さそうな声で続けた。
老人ホームで働くナツキのお母さんにはしょっちゅう夜勤があるらしい。ナツキのお父さんはずいぶん前に離婚して家にいないし、お姉さんは会社の寮に住んでいるから、お母さんが夜勤の夜ナツキはいつも一人で過ごしているのだ。
「でもなっちゃん、考えてみたら夜中の学校って忍び込んでいいのかな」
線路わきに咲くヒマワリが、熱風にゆらりゆらりと揺れながら、大きなひとつ目で私を見下ろしていた。
急に弱気になった私の手を引いて、ナツキは踏切を渡った。
「なに言ってるんだよユイナ。これまでずっと七不思議を調べてたのに今さらビビるのか? まさか昼休みに七不思議めぐりするつもりじゃなかっただろ?」
確かに七不思議めぐりは夜に行かなければ意味がない。だけど私は七不思議を全て知るという目標ばかりを見ていて、ゴールの先を考えていなかったのだ。
「どうしよう。見つかったら怒られるよね」
真っ赤に染まった空から目をそらして、私は足元を見つめた。ナツキは日に焼けた鼻の先を金色の太陽に向けながら、
「そうだな、怒られるだけだろうな」
冷静な声を出した。
「『ごめんなさい、もうしません』って言えばいいのさ。実際もうしないんだし」
確かに二度目の七不思議めぐりをするつもりはない。
「ユイナ、知らない自分に会ってみたいんだろ?」
問われて私は無言のままうなずいた。うちの両親は厳しいし、今まで夜に家を空けることなんてなかった。二度とこんなチャンスは訪れないだろう。
だが私は夜中の学校に忍び込んでまでして、知らない自分とやらに会いたいのだろうか?
自分の心にもう一度尋ねてみると、確かめないと不安なのだと気が付いた。
お母さんは私の将来を信じてくれるけど、期待にちゃんと
「今夜、行こう!」
顔を上げた私の目に、夕空に浮かぶ一番星が飛び込んできた。金星かも知れない。
「よしっ」
ナツキはなぜか嬉しそうにこぶしを握った。
「夕食たべ終わったらユイナん
「あ、待って。おばあちゃんが夕食作りに来てくれて一緒に食べるから、おばあちゃんが帰ったら連絡するよ」
集合住宅のあいだを風が吹き抜けてきて、私のボブカットの髪をゆらした。汗をかいた首筋が、スッと冷えて気持ち良い。午後の風はいつの間にか夕暮れの匂いに変わっていた。
私とナツキは秘密の約束を交わし、公園の前で別れた。
学校の正門脇にぽつんと立つ街灯が、夜空に浮かび上がる校舎のシルエットに黄色い染みを落としていた。
校門脇の花壇には「防犯カメラ作動中」と印刷された黄色い立て札が刺さっている。私は思わず足を止め、先を歩くナツキのタンクトップをつかんだ。
「なっちゃん、撮られてる」
耳打ちして立て札を指差した。
生暖かい夏の夜風が肌にまとわりつく。花壇から響く虫の声に
「どこから入ろう?」
確か裏門にも同じ看板が立っていたはずだ。いままで気にしたことのなかった防犯カメラが急に怖くなってきた。
だがナツキが私の手を引いて、
「この間サッカーボールがぶつかって穴があいたままのフェンスがあるんだよ」
裏門の方へ向かって歩き出した。校庭を囲む木の間から見上げると、並んだ窓ガラスは真っ黒で、何も映さないままじっと静まり返っている。その向こうからだれかが私たちを監視しているような気がする。
「ここだよ」
裏門の少し手前でナツキが足元を指差し、腰をかがめた。下草を踏んでフェンスをくぐろうとした彼女が、
「おわっ」
と声を上げた。
「なに!?」
私の心臓がドクンと音を立てた。
「蜘蛛の巣が顔にひっついた」
ナツキは両手を大げさに動かして見えない糸を振り払うと、校内に足を踏み入れた。あとに続く私の胸は飛び出しそうなほど激しく打ち続けている。
「最初の七不思議はなんだっけ?」
「正門のほうに二宮金次郎の像が立ってるでしょ、あれが動くんだって」
答えながら校庭を見回すと、遊具が影絵のように浮かび上がり、目を離した途端ぐにゃりと歪んだような錯覚にとらわれる。
ナツキのスポーツサンダルが校庭の砂を踏むジャリジャリという音が、やけに大きく耳に響く。
「じゃ、正門に行くか」
ナツキに力強く手を握られた私は、落ち着きなく視線を動かしながら一歩を踏み出した。
「昼間の学校はにぎやかで全然怖くないのに、夜になると別の場所みたいだね」
「本当に七不思議が起こるのか楽しみだな!」
ナツキは興奮しているようだ。一緒に来てもらって本当によかった。
「あの桜の木の下に――」
二宮金次郎のブロンズ像が立っているはずの場所を指さした私は、息を呑んだ。
「像がない!?」
私たちの目の前には直方体の台座だけが残されていた。
「動いてどこかに行っちゃったってこと?」
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