やさしさには害がある

狂酔 文架

第1話

「お金、貸してくれない? 今月ちょっと厳しくてさー」

 

 掃除が終わり、誰もいなくなった教室の中で、僕の前に立った一人の”トモダチ”がそう言って僕の耳に言葉を響かせる。


 ズボンからはみ出したシャツ、耳に空いたピアスの穴、あきらかに素行の悪そうな青年は、また僕にそう言ってきた。


 これで何度目だろうか、いつからか数えるのはやめた。どうせ僕がとる行動は同じだから。


「少ないけど2000円で大丈夫かな? 僕も今月はちょっとほしいものがあって……」


 目を泳がせながら僕はそう言う。少しだけ声を震わせながら、申し訳なさそうに言葉を吐く。


 少し機嫌が悪くなった”トモダチ”の顔を視界に入れないようにしながら、財布に残った五千円札を見えないように隠して、千円札をそっと二枚手渡す。


「っチ、仕方ねぇか、あんがとよ。またよろしく頼むぜ」


 また一人になった教室の中に静寂が包まれる。

 ドアを乱暴に閉めて教室を出て行ったさきのトモダチを横目に、僕は財布の中身を数える。


 財布の中で息をしているのは、少しの小銭となんとか残した五千円札。


「一万円……か」


 財布の中身を見てため息をつきながら、今月死んだ金を数える。

 今月は一万円……先月に比べれば守り切った方なのだろうか、でも僕の自由がすり減った時点で、そんなものは変わらない。


 いつからこんな風になってしまったのだろうか、ただ優しくありたいだけだったのに、ただ優しく生きようとしただけなのに、いつからそのやさしさに殺されそうになっている。


 やさしいのだけがとりえだった、運動も、勉強も、芸術も、平均以下だった僕が、唯一誇れる素養がやさしさだった。

 みんな持ってるだなんて言ってしまえば、それで終わりだけど、そうならないようにもっともっと優しくなろうとした。


 万人に、誰にでも、へだたりなく優しくしよう。ただひたすらに優しくして、ただひたすらに優しくなろう。その成れ果てが今の僕だ。

 誰に優しくするべきかわからなくなって、誰にでも優しくするようになった、求められれば与え、奪われても何も言えず、そのすべてをやさしさだと言い聞かせる。


 これは多分、やさしさの罠なのだ。やさしい人間への罠なのだ。


 世界が仕掛けたか、悪人が仕掛けたか、誰かが仕掛けたやさしさの罠。

 区別のつかないやさしさに、飲み込まれた僕にだからわかる。これは、やさしさの罠だ。正直者が馬鹿をみるという、しっかしとしたやさしさの罠だ。


 逃げ出せるなら今すぐ喜んで逃げ出すだろう、でも、今更逃げ出すなんてことができないのは、自分が一番よくわかっている。ここで逃げ出せば、痛い目に合うのは僕自身だ、とりかえしのつかないやさしさを、僕はずいぶんと行使しすぎた。


「はぁ……」


 ため息がこぼれた。

 誰もいない教室の中では、少しのため息も大きく聞こえる。

 財布から目を逸らした、多分このまま見ていても何も変わらない、なら少しだけ逃げたかった。


 でも、逃げた先にあるのは僕への罰だった。


 窓越しにある駐輪場、放課後になって結構経ったからだろうか、人気のない駐輪場で、目に映った僕への罰。それは、一つの悪事だった。


 降りしきる雨と共に目に入ったのは、さっき僕にお金を要求してきた”トモダチ”、そしてもう一人、身体を震わせ、今にも腰を落としそうなりながら財布を取り出す青年だった。


 その光景を目に入れれば、何が起こっているかなんて誰にでもわかる、いわゆる”カツアゲ”というやつなのだろう。

 僕が金を貸した”トモダチ”が知らない青年を脅している、僕には関係のないことだ。そうおもいたい、おもいたくてしょうがない、でも、僕の脳裏にはよぎってしまう、僕への罰が。

 

 僕が払わなかったから……なのだろうか、その考えが脳裏によぎった瞬間、僕は財布に視線を戻した。


 ”トモダチ”が、行ったら、これをあの子に渡そう。

 財布の中身を除いて、僕はそう決める。


 あれは僕のせいだ、僕が自分を優先してしまったから……彼はああやって脅されてしまっているのだ。

 あれは、僕のせいだ、僕のせいなんだ、僕がおとなしくいつも通りの金額を払っていれば……彼はお金を払わなくて済んだんだ。


 僕のせいなら、僕が彼にも払わないと、”トモダチ”に渡してしまった分……怖がったかもしれない……それじゃあその分も払おう、五千円……心もとないかもしれないけどこれで……


 —ガタッ

 僕が手を震わせながら財布の中身を凝視していると、教室の扉が開く音がした。


「気持ち悪い」


 扉が開いた瞬間、音につられて目をやると、扉を開けた少女が開口一番そう言った。

 ゴミを見るような眼で、でもどこか僕をかわいそうにみるような眼で、彼女はそう言った。


「はじめまして……ですよね? 由良さん」


 由良 美乃梨、学年で一番の美少女で、学年一の高嶺の花。男にも負けない運動神経と、その強気な性格から男子には少し避けられているのが現状だ。

 そんな彼女が、僕の方を見て『気持ち悪い』と言った、しかも初めましてでそんなことを言われてしまった。


「このクラスにおかしいくらい優しいやつがいるって聞いたから帰りに見てみようと思ったのに、気持ち悪くてみてらんないじゃない」


 僕の質問は無視して言葉を一人で紡ぐ彼女は、ずかずかと教室の中に入ってくると、財布を指さして言葉をつなげる。


「それ、どうするつもりなの?

 もしかして、それをあの子に払えばいいと思った?」


 次に指が向いたのは震えながら僕の”トモダチ”にカツアゲをされていた少年だった。


 見透かされていた。僕の考えを、僕のやさしさを、見透かされてしまっていたのだ、出会ったばかりのこの少女に。

 僕は目の前の彼女の質問に震えたままうなづくと、彼女はため息をつきながら言葉を吐く。


「はぁー……なんで助けよう、止めようってならないわけ?」


 もっともな質問だった、正論というやつだ。

 少女は何をしたいのだろうか、いきなり現れて、僕のやさしさを否定してこようとしている。この花は一体、何が目的なのだろうか。


「止められないから……」


 僕は震えた声でそう言った、下を見ながら怯えるように、そう言葉を吐いた。


「違うでしょ。」


 僕が言葉を吐いた瞬間、まるで僕がそう言うのをわかっていたかのように、小zyは強気な言葉でまた僕を否定した。


「怖いんでしょ、彼が」


 言葉が胸に突き刺さった。ずっと考えないようにしていた、僕は優しんだと、そう思い込んで押し込んでいた事実を、あっさりと彼女は言い放った。僕の罪を、彼女はあっさりと言い放った。


「やさしい……ね、ただ弱いだけじゃないの。アンタも」


 呆れた口調とどこか昔をふり変えるような眼で、彼女はそう吐いた。僕の事実を、あっさりと彼女は口にした。


 否定する気も起きなかった。その通りだった、僕はやさしさに逃げていただけだった。僕が弱いという事実から、やさしさを使って逃げていただけだった。


「でも、たしかにアンタはやさしいんでしょうね。そんなものを彼に渡そうとしてるくらいなんだから。

 でもね、アンタのそのやさしさには罪がある」


 開きっぱなしの扉から入ってきた風と共に、僕のやさしたを認めながらも、罪があると、そう彼女は言った。

 


「罪……?」


「そうよ、アンタのやさしさには罪があるの、今もああやってカツアゲをしてる彼の悪意を認めてしまったていう罪がね」


 すっと僕の耳に入ってきたその言葉に、僕は一瞬で納得してしまった。

 僕のやさしさの罪、その事実に、僕はすんなりと納得させられた。


「それが罪なら……僕はどうすればいいんだよ」


 少しだけ拳を握りながら僕はそう言った、僕の少しのプライドと、少しの抵抗心がそう僕に言葉を吐かせた。


「止めればいいのよ」


 簡単に彼女は言う、僕にはできないことを、やさしさに逃げた僕にできなかったことを、簡単に彼女は言葉にした。


「できるわけないでしょ。だからこれはあなたへの罰。彼の悪意を認めたあなたのやさしさへの罰。」


「じゃあ……どうすればいいんですか……」


 強く拳を握りしめて、僕はそう言葉を吐いた。まだふるえている声の端が、目元に伝わって少し涙がこぼれそうになる。

 否定された僕の抵抗、でもそれも簡単につぶされる。


「気にしなければいいのよ。最初からあんなやつ気にしなければいいの、そうすればあとは誰かがなんとかしてくれるわよ、今だってね」


 今……その言葉に反応してもう一度彼らのほうを見ると、そこには先生に怒られる”トモダチ”がいた。

 財布を出した青年はどこかへと消え、みじめに怒られる”トモダチ

”がいた。


「やさしくなろうって考えるのはいいけど、それにとらわれて殺されないことね。あんた、最近死にそうな顔してたわよ。」


「見てたんですか……?」


 彼女の言葉にはっとして、そう問いなおすと、少し後悔した顔をしながら、彼女は言葉を返してきた。


「私も同じだったから……気になってただけ。そうね、アンタがまだやさしくありたいなら、アンタの同類がいたら止めてやりなさい。アンタも私も、まだこの毒の虜だから」


 そう吐き捨てるように言うと、彼女は教室を後にしようとした。

 廊下から入り込んでくる風に当てられながら出ようとする彼女に僕は言った。


「やさしいんだね」


 僕が顔を見上げてそういうと、彼女は僕を見返してうれしそうに言った。


「そうよ、私は優しいのよ」


 彼女はそう言って、教室を後にした。


  

 

 結局、財布の中身は、変わらないままだった。”トモダチ”に渡した金が帰ってくることはないだろう。でも、僕が渡すことももうないだろう、僕が何かしなくても、誰かがきっと、彼の悪意を阻むだろうから。


 やさしさには罪がある、それに対する罰もある。そうなるのはやさしさに隠された罠のせいだと思うと、やさしさなんて害しかないくそったれだ。


 でも、やさしさの見返りを受け入れてしまうと、まだ僕もこの毒からは、逃れられそうにない。


 雨の止んだ空の下で、帰り道の自販機で買ったジュースを飲みながら、僕は一人そう思った。

 


 

 

 

 

 

 


 

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