snowdrop

怒っているとは限らない

 蛤のお吸い物を口に運びながら、楊馥華よう ふっかさん、通称「ふっちゃん」のことが頭をよぎる。彼女とは高校時代、隣の席になったことがある。初対面の彼女は、穏やかな表情を浮かべる素敵なお嬢様だった。

 席替えは高校生活のイベントの一つ。くじ引きで数か月間の運命が決まる。最前列の廊下側の席は、私にとってはラッキーだった。自己紹介を兼ねて挨拶すると、彼女は落ち着いた目で私を見つめ、柔らかく微笑んだ。「しーちゃんって呼ぶから。うちのことは、ふっちゃんと呼んでいいよ」と彼女からの提案で、初日から名前で呼び合う仲になった。

 しかし、クラスメイトからは「楊さんって変わってるよね」という声が聞こえてきた。彼女に声をかけたら、「はあ~」と言われたり、本を落としたときに「はぁ」と声を出したりされたという。冷ややかな笑い声のまざる彼女たちの話は、私の喉元に固いしこりを浮かばせた。

 授業中のふっちゃんは、いつもの柔和な表情から一変。真剣な顔でノートにペンを走らせる。隣にいるのが怖くなるほどの集中力。勉強ができる人はちがうんだ、と圧倒されてしまう。

 そんな彼女の隣で授業を受けていたある日、消しゴムを忘れたことに気付いた。恐る恐る彼女に借りようと声をかけると、「はあ」と小さなつぶやきが聞こえた。彼女が怒っているのかと思い、背中が丸くなったが、すぐに消しゴムを貸してくれた。

 休み時間、気まずさを引きずりながら、「昨日、宿題をしていたとき、しまい忘れたみたい。貸してくれてありがとう。今度、埋め合わせするね」お礼を伝えると、「OK」と親指を立てて返事。彼女はいつもの穏やかな表情で笑っていた。

 卒業後、ふっちゃんと食事をしながら当時の話をすると、「はぁ」と鼻にかかったような声をだして、教えてくれた。

「怒ってるわけじゃないよ。教科書にもあまり載ってないけど、台湾人がめっちゃ使う言葉に『はぁ』がある。日本人の使う言い方と少し違って、びっくりしたときや聞き取れなかったときの相槌、返事するときによく使うの」

「えっ? ふっちゃんって台湾から来てたの?」

「話してなかった? ちなみに『蛤』を当て字で使うんだけど、この漢字の中国語の発音は『ガー』。『はぁ』と発音するのは、台湾人だけかもしれない」

「はぁ、そうなんだ」

 ため息に似た相槌をこぼした後、私は再び蛤のお吸い物を口にした。ほっこりして懐かしさを感じさせる味がした。



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snowdrop @kasumin

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