清濁の渦

ぽぷこん

第1話

「あなたは殺したい人がいる、そうでしょう?」

少女が私に問いかける。

暗闇の中、少女の姿だけがぼうっと青白く照らされている。

「…いる」

自分の声ではないように思えた。

今までの苦しみを吐き出すような、低く重い声。

「そう…」

不自然なほどに少女の口角があがっていく。

口は笑っているはずなのに、その黒く大きな瞳は形を変えない。

それどころか瞳の奥がより深い黒に染まっていくように感じた。

「じゃあ、殺さないようにしないとね」

妖しげで全てを見透かしたような少女の視線は私ではない何かを捉えていた...。



半年前、両親を失った。

原因は、酒を飲んで居眠り運転をした男に轢かれたことだった。

その男は現場から走り去り、後日捕まったはいいものの

裁判では執行猶予3年という軽すぎる判決だった。

両親の遺影を抱えながら傍聴していた私に向かって、男はニヤリと笑みを浮かべた。

人生を壊されただけじゃなく、弄ばれているような感覚。

遺影を持つ手が怒りで震えた。

心臓は痛いほど強く脈打ち、目の奥が熱かった。

後から知ったことだが、轢いた男は有名な議員の息子らしかった。


残されたのは私と、9つほど年の離れた弟だけ。

事件の後、私たち2人は叔父夫婦の家に引き取られた。

しかしそれでも私たちの地獄は終わらなかった。

叔父夫婦が私たちを引き取った理由は慰謝料目当てだった。

家に住むなら生活費を入れろと言われ、行くあてのない私はお金を渡してしまった。

しばらくして両親の遺産も底をつき、私の口座からもお金がなくなった。

すると今度は、私たちをどこの親戚に回すのか相談しているようだった。


私は高校に通いながらアルバイトを始めた。

もう誰の力も借りない。私が弟を守らなければいけない。

ヒビ割れて壊れかけている心を繋ぎとめてくれたは弟"想悟"の存在だった。

もうじき8歳になるが、発育は遅く未だに幼稚園生と間違えらることもしょっちゅうだ。

私が学校やバイトから帰ると笑顔で駆け寄ってくる。

無垢すぎる優しい笑顔を私の頬に擦り付け、たっぷりの愛情を注いでくれる。

どんなにつらいことがあっても、この笑顔を守るためなら私は生きていける。

…そう思った。


ある日、学校から帰っても想悟が迎えに来なかった。

事件があってからというもの楽しいことなどなに一つなく、そんなことをする気分にもなれなかった。しかし昨日バイト代が入ったということもあって、この日は久しぶりに想悟の好きなところに遊びに連れて行く予定だった。

私たちは自分の欲しいものすら買えず、想悟もそれを分かっているのか自分から物をねだることはなかったが、不意に目に入るおもちゃの広告などに目は釘付けだった。

姉として、たまにプレゼントでも買ってやりたい。

「想悟〜、お姉ちゃん帰ってきたよ」

返事がない。靴の脱いで階段を登る。

リビングにはいつも叔父夫婦がいるため、その扉を開くことは滅多にない。

私たちのお金を奪いとってからは仕事もしていないようだった。

2階には2つの部屋がある。

階段を登って右側が私たちの部屋、左があいつらの部屋だ。

「想悟いる?」

ドアを開けて中に入る。部屋の広さは10畳ほど。高校生の私と小さな弟が過ごす分には十分な広さだ。物は少なく、部屋の中央に丸いテーブルと窓際に布団が敷いてあるだけであった。

どうやら部屋にもいないようだった。

「となるとリビングか…いつもはあんなとこいないのに」

あの2人の空間へ行くことは気が重かったが、決して大きくはないこの家で想悟がいる場所は限られていた。

あの夫婦の機嫌を損ねないように足音を立てずに階段を下る。

そしてリビングのドアを開けた瞬間、私は目を疑った。

リビングの中央、背の低い丸テーブルの足元で想悟がうずくまっている。何より先に目に入ったのは、パンパンに腫れた顔。瞼が切れて流血もしている。

「想悟!?」

すぐさま駆け寄り、痩せた体を抱きかかえる。

「おねぇ、ちゃん...」

腫れた目をうっすら開いて弱々しい笑みを浮かべる。

何があったのか、それは瞬時に理解できた。

テーブルの先にあるソファに座っている二人。

叔母夫婦は何事もないようにテレビを眺めていた。

「何でこんなことしたの!?」

怒りを含んだ声色で問う。

「んー?あぁ、ちょっとな」

こちらを見向きもせず、どうでもいいと言わんばかりに男が酒をあおる。

続けて隣に座った女が言う。

「その子がいけないのよ。私たちのお金を盗もうとしたんだから」

「盗む?」

「ええ、だからちょっとお仕置きしただけよ。

 悪いことをすればちゃんと罰を受けるって教育するのも保護者の務めでしょう?」

「だからってここまですることないじゃない!

それにお金だってあんたたちが私たちから奪ったくせに!!」

これまですんでのところで抑えられていた感情が一気に押し寄せる。

私はテーブルにあった灰皿を掴み、大きく振りかぶる。

…しかし、その手が振り下ろされることはなかった。

想悟が私の袖を掴んでいた。

「お姉ちゃん...ごめんね」

私は弱々しく呟いた想悟を見て我に帰った。

「すぐ病院に連れてくからね!」

「放っとけ!死にはしねーよ」

この2人の言葉など、もはや耳に入らない。

私は衰弱した想悟を抱きかかえ、家を飛び出した。


・・・・・・・


想悟はベッドで眠っている。まだ傷は痛々しく、時折苦しそうな表情を浮かべる。

医者によると命に別状はないようだった。しかし顔に受けた傷が酷く、こうなった経緯を説明することになった。医者は保健所に連絡しておくと言っていたが、もし想悟が引き取られた場合に私はどうなってしまうのだろう。同じように施設に引き取られるのか、それとも私だけはこのままあの家にいて離れ離れになってしまうのか。想悟と離れることは悲しく不安でもあるが、彼のことを想ったらこれ以上あの家に住まわせることはできない。

私の目から涙が溢れた。

なんで自分たちがこんな仕打ちに合わなければならないのか。

私と想悟が何をしたというのか。

悲しさで満ちた心とは反対に、涙が落ちた手は怒りに震えていた。

私たちをこんな状況に追いやった叔父夫婦、そして両親を殺したあの男を許さない。

無力な自分自身に腹が立つ。握った拳は血が滲み、嘆きと憎悪が混ざり合って胸は焼けつくように熱い。

それは次第に喉へ頭へと回っていき、呼吸が苦しくなる。

必死に気持ちを抑えようとするも、動悸は早くなる一方だ。

過呼吸のような症状。今までどれほどのストレスに苛まれながらも、はっきりと体に症状が出たことほなかった。

意識が朦朧とし、視界がチカチカと暗転を繰り返す。

「なに、これ…」

ガチャン、と椅子が倒れた音を最後に私の意識は途切れた。


気がつくと、真っ暗闇の中にいた。

風景も物もなく、ただ"黒"だけが広がっている。

しかし不思議と恐怖を感じることはなく、むしろ居心地の良ささえ感じた。

ふわり、と目の前に火が灯る。灯ったというより、突然目の前に蝋燭が出現した感じだ。

小さな炎が少しだけ辺りを照らす。

照らしたといってもそこには骨を連想させる白く形が歪んだ蝋燭しかなく、私は少しだけ背筋を伸ばした。


「そんなに怖がらないで」


突然、背後から声がかけられる。

振り返るが、そこには誰もいない。

「誰...?」

そう呟き、再び正面を向き直ろうとする。この真っ暗闇の環境においてどこを正面とするかはわからないが、蝋燭を目印とした。

そう振り返った瞬間、

「っ?!」

私は引き攣ったような悲鳴をあげた。

私の目の前、幼い少女が炎に照らされている。

黒く長い髪に黒い瞳、西洋ドレスのような黒い衣装。見た目は10歳ほどだろうか。想悟とあまり年の差を感じないが、ひどく大人びてみえる。

「ひどく疲れているようね」

少女の黒い双眸が私を捉える。小さな顔に不釣り合いなほど大きい瞳からはまったく光を感じられなかった。そして甘く溶けるような落ち着いた声。

彼女は一体なんなのだろうか。

「恐れ?怒り?それとも絶望かな。

 どちらにせよ、その震えは私に対してではないね」

いつの間にか、私は震える右腕を無意識に抑えていた。

得体の知れない少女。普段なら悲鳴をあげて死に物狂いで走り去るだろう。

しかし不思議と恐怖は感じない。この光景が夢とも思えなかった。ただ当たり前のように目の前の非現実的な現象を受け入れていた。

それともこの奇妙な光景を前に逃げ出す気力すらないか。少女の言ったように、私の精神と肉体は絶望に浸っているのかもしれない。

「何を聞きたいの?」

苛立ちを含んだ声。

少女はわずかに口角をあげ

「あなたは殺したい人がいる、そうでしょう?」

瞬間、頭の中が熱くなる。両親を殺した男の顔、私たちの居場所を奪った叔父夫婦、そして傷つき赤く腫れたソウゴの顔。

身体中の血液が沸騰したかのように熱い。

殺す。いや、殺すだけでは腹の虫が治らないほどに憎い。しかし復讐できる力など私にはなく、それがさらに怒りを増長させていた。

目の前の少女は私を見つめたままピクリとも動かないが、その表情はゆるく笑みを浮かべているように見えた。

「…いる」

言ったところでどうすることもできない。

握った拳が震え、頭が熱い。

「そう…」

不自然なほどに少女の口角があがっていく。

「じゃあ、そいつらは殺さないようにしないとね」

一見無邪気にも見える少女の笑顔。

「どういうこと?」

「ワタシは殺さない。殺せばそれで終わりだからね」

たしかにそうだ。殺せば終わり。それで一時的に気が晴れたとして、それで私は満足するだろうか。

「私のなにもかも奪った奴ら…

 あんな奴ら、永遠に苦しめばいい!

 これ以上私の大切なものを奪わせたくない!」

「そう、その通りよ!

 あなたがそう望む以上、ワタシが手を貸すわ。

 この"クロエ・リリス・フェルン"がね」

少女の瞳の奥で、なにかが蠢いた気がした。

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清濁の渦 ぽぷこん @nanatsumi0330

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