まっさらな2ページ

 今日の太陽は朝から張り切りすぎである。


 僕をギラギラさす熱射線のおかげで体はフラフラ。


 風は吹けども熱風で、家から一歩出ただけで汗だくになってしまった。


 しかし、信じられないことに、こんなに日が照っているのに昼からは豪雨となるらしい。


 朝のお天気コーナーで、気象予報士のお兄さんが「出かける際は、傘を持っておくとよいでしょう」と、どこか他人事のように喋っていたのをよく覚えている。


 まったく、夏の天気とやらは本当に気分屋である。実家で飼っている、猫のムータ郎よりもはるかに。


 しかし、僕にはこの暑さの中、外に出なければならない理由が一つある。


「……すみません、パソコンを取りに来ました」


 とあるカフェの一席に置かせてもらった、僕のノートパソコン。


「ああ、変わらずあの席においてあるよ」


 店員さんに呼んでもらい、奥から出てきた店長に案内された席は、相変わらず隅の隅にあり、どこか暗い印象がうかがえる。


 この様子だと、やはり実験の結果は芳しくないだろう。


 ふう、と口の隙間から小さく息がもれた。


「ありがとうございました、無理なお願いを聞いてもらっちゃって。……その、それで……読んでくださった方は?」


 わかりきったことを口にした。


 そういう実感はしっかりと胸にあった。


「一人だけだね。みーんな怪しがってひと目見ただけですぐ目をそらしていたよ」


「そう、ですよね。すみません、ほんと変なことに協力していただいて」


 乾いた笑いを音にしながら、うすらと目に膜が張る。


 ――ああ、くそ。わかってただろう、目に見えていただろう。


 自分でもわかるほどがっくり落ちた肩を、慌てて持ち直す。


「うんや、構わんよ。……まあ、若いうちから挫折を経験するのはいいことさ。まだまだ人生これからなんだから、これで堕ちたりするんじゃないよ」


「はは、しませんよ」


 誰がするか、そんなこと。


 相手に悪気がないのはわかっているが、暑さと自分の不甲斐なさのせいで、些細なひとことに苛立ちが募る。


 僕はギュッと胸の深くで押し殺した言葉を、服の上からさらに握り潰した。


 これ以上何かを言ってしまう前にさっさとここを立ち去ろう。


 無理を言って僕の頼みを聞いてくれた店長に何度か頭を下げたあと、それだけで帰るのもなぁ、とついでになんちゃらフラペチーノを頼んで店を出た。


 外は相変わらず暑さが厳しい。


「はあああ……。一人、一人かぁ……」


 日傘を差しながら道行く人々を視界に入れると同時に、長い長いため息を付きながらひざをおる。



 僕が書いたたった一話の原稿。


 完成間近、突然その出来が不安になり、あのカフェの店長に無理を言ってパソコンを置かせてもらった。


 僕のことを何も知らない赤の他人。


 そんな人達に読んでもらい、感想を書いてもらえればきっと自信がつくと思ったのだ。


 普段はしていない、席までの案内までしてもらって……。


 けれど、読んでくれた人はたったの一人。


 おそらく、あの席に訪れた多くの人は、置いてあったパソコンに最初は少しばかり驚き、そして気味悪く思い、その後すぐに興味の方向がスマホに移ったのだろう。


 あの落ち着いたカフェだ。


 きっとみんな読書好きで、興味を持って見てくれると踏んでいたのだけれど……甘かったようだ。


 そう、ちょうどさっきカフェで買ったこのなんたらフラペチーノのように。

 

「……そういえば、どんな人が読んでくれたんだろう。隅っこの席だったとしても、人前で他人のものに勝手に触るの、かなり勇気が必要だったろうなぁ」


 一人ぶつぶつと呟きながら立ち上がり、熱のこもった顔に手で風を送りながら日陰へ移動しようとする。


 その瞬間、パソコンから落ちたなにか――ピンク色の紙が空を舞った。


 文房具屋でよく見るタイプの、長方形の付箋だった。


 こんなの挟んでたっけ。


 小首をかしげながら、蛍光色のそれに手を伸ばす。


「あっ」


 拾い上げた付箋には、おそらく先ほど店長が言っていたたった一人の読者であろう者の感想が、びっしりと書かれていた。


 それはもう、こちらが少し引いてしまうほどびっしりと。


 でも、なんで付箋に?


「たしか、感想書いてもらう紙置いて……──なかったのか」


 自分のカバンの中から出てきたノートを見て、己のうっかり度合いにため息が出る。


 なるほど、だから一人しか読んでくれなかったのか。


 自分で自分の首を締めていたことに気づき、今日で一番深いため息をつく。

 

 つまり僕は「よかったら感想を書いてください」と書いた紙を置いて置くのを忘れていたと。


 どうりでみんな怪しんで読まないわけだ。


 だって、あれじゃまるでただ置き忘れられたパソコンじゃないか。


 何やってるんだ、僕は本当に。


「はあ……。えーと、何が書いてあるんだ?」


 気を取り直して、僕は付箋に向き直る。


 丁寧な字であった。


 書道経験者なのか否かはわからないか、形が整っていて、とめ・はらいもしっかりされている。


 僕の好きな字だった。


 小さな付箋にみっちり書かれた黒い字を、僕は暑さも忘れて夢中で追っていく。


 そして、最後の一文字まで読み終わった僕はふっと息をつく。


「同業者じゃん、絶対これ」


 読んでくれた人の感想は話の内容についてではなく、僕の表現力や語彙力、構成などをべた褒めするといった内容だった。


 できれば、話の感想が欲しかったところではあるけれど。


 嬉しさの反面、同じく小説を書くことを生業としている人に読まれた恥ずかしさが湧き、頬をポリポリとかく。


 しかし、褒められて嫌な気持ちになるやつはいない。


 多少の羞恥はあれど、やはり嬉しさのほうが勝つ。


 まあ、まさかあの席に座る人がたくさんいるであろう中で同業者に当たるとは思わなかったけど。


 僕は苦笑いを浮かべながら、なんとなく付箋を裏返す。


「! ……これは」


 夏のねっとりとした熱風が、半袖から露出した腕にまとわりつく。


 その感覚が気持ち悪くて、日陰に移動しようとした足を自宅の方向へ変える。


 暑いのに、不思議と心はふわふわと軽く浮いていた。



 ――まあ、いいか。



 裏に並べられていた、感想とは違うお礼の言葉。


 読む限り、どうやら僕の文を読んだ同業者は救われたらしい。


 こんな変哲のない、しかもたったの一話で。救いの言葉など一つも書かれていない、ただの物語で。


 ──足の回転がだんだん早くなる。


 小説家を目指そうとしていた高校生の頃、誰かの心を励ますような小説が書きたかった。


 自分がそうであったように、今度は自分の手で。


 それが思わぬうちに達成されていたことが嬉しくて僕はこの真夏の空の下を走り出した。


 ああ、今すぐに帰って続きを書きたい。


 早く続きの小説が書きたい。


 うずく体を前へ前へと進めながら、反対から歩いてきた女の子とすれ違う。


 心なしか、その子も今の僕と同じ表情を浮かべているような気がした。

 


 僕らの頭上に広がる澄んだ青は、どこまでもどこまでも続いている。


 明日は今日よりも晴れるのだろうか。


 それとも、午後からの雨が明日までもつれこむのだろうか。


 果てない空は答えない。


 ただ、うっすらとした飛行機雲が横に線を引いているだけであった。




 



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白紙へ浮かぶ 明松 夏 @kon_00

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