エピローグ

 結局私は、こんなところで筆を執っている。むき出しのトイレ、武骨な戸棚、無機質な机、隅に追いやられた布団、3畳ほどの狭く重苦しい空間で私はただ右手を動かす。

 書くことに意味なんてない。

 ただそれくらいしかやることはないし、書けば何かが変わるかと期待した。

 そんなわけはないと分かっていても、心のどこかで期待して書くことを辞められなかった。書くのをやめたら、私が私でなくなるような気がしたから。

 たくさんのことをした。1つのことを極めることもした。

 それでも、何が正解かなんてわからなかった。

 正解なんてないのかもしれない。暗闇の中、頼れるものなんてなくて、その道が正しいかもわからず、そもそも足元に道があるのかすらも分からず。

 ただ歩き続けた。

 だが私はまだ死んでいない。生きている限り、何が起こるかなんて分からない。

 まだ闇は晴れない。そして私の人生が終わるまで、きっとこの闇が晴れることはないだろう。

 人は孤独だ。

 私みたいな分かりやすい孤独は無くても、きっとこの現実を生きる全員は孤独なのだ。

 孤独が良いことか悪いことかなんて分からない。人に認められることが正解かどうかも分からない。

 ただ私は、1人でいるのが怖かった。

 誰かと生きたかった。

 そのはずが、なぜだろうか。こうしてたった一人で筆を握ることになっている。

 陰鬱な部屋で。ただ1人。

 身近な者の名を語り、自分の人生を客観視した。

 この自慰行為が誰かに届いて、それから、私の知らない誰かを感動させられたら、私の知らない誰かの足元を照らす明かりになれたら、私の知らない誰かの、道になれたら、私の人生に少しでも意味がつくだろうか。

 私は害虫になった。

 1匹の毒虫になった。

 固い背中に、幾重にも盛り上がった腹と何本もの短い足を持った、虫になった。

 ただいつものように夜を過ごし、目が覚めたらそうなっていた。

 私の罪は何なのだろう。

 誰も教えてくれなかった。

 ただ1つ明白だったのは、私がいなくなれば、世界が平和になるということだけだった。

 父親に家を追い出された。追放され、3畳の息も止まるほどの部屋に隔離された。

 これから私は死ぬまでここに居続ける。そうして、家族が、安寧へと向かっていくのだ。

 それでいい。

 とある場所に、虫になった男がいて、その男がどういう生涯を歩んだのか、それがほんの少しでも、一握りの人間でもいい、誰かに届けば。

 その誰かが、私を弔わなくても、ただ知ってくれれば。それでいいのだ。

 群れることのない1匹の害虫は、君のすぐそばにいる。

 君の隣で、世界に嘆いている。

 小さな小さな声で。

 決して許してはいけない。

 そうすれば世界は。

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つくりもの 天野和希 @KazuAma05

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