第4章 つくりもの

 能見静香が出版社まで来て僕のことを待ったり、行動がエスカレートしたのは篠崎自身のせいだった。

 3作目を発表して、インタビューで彼はこんなことを聞かれた。

「今回は2作目からかなり期間が空いて、その間も他の作品がなかったと思いますが、その理由など教えていただけますか?」

「単純に私生活が忙しくて。あと僕はだいたい自分の身の回りで起きたこととかをモデルに書くんですけど、書きたいと思えることが起きなかったのもあります」

「なるほど。では、あの件は……、ストーカーは関係ないと?」

「はい」

 全てのやり取りは一言一句、何の誤りもなく、小さな雑誌に載った。

 少し前まで、そのストーカー、能美静香のせいで作品が出ていなかったとすっかり思い込んでいた僕は驚いた。これも後から分かった事だが、篠崎は能美静香と交際関係にないどころか言葉すらほとんど交わしたことがなかったらしい。

 驚いたのは彼女自身も同じだった。ストーカーの割に理性のあった彼女は、3作目を読みたいがために行動を控えていたらしかった。

 この事実を、僕は彼女自身から聞いたのだが、篠崎も知らずにインタビューに答えてしまったのだからもう遅かった。

 能見静香のストーカー行為は手に付けられないほどエスカレートした。

 そして、その頃の篠崎は同じように酷い精神状態だった。

 もともと悪酔いする癖があって、本人もそれを分かっているはずなのに、酒を飲まない日はないほどだった。

 絆創膏では抑えられなくなって、彼はずっと長袖を着ていた。


 2020年1月。篠崎を作家が集まる新年会に誘った。

 その時初めて、僕は篠崎の恋人に会った。篠崎が恋人をそういった場に連れてくるのは初めてだったのだ。

 篠崎を狂わせたのは、僕かもしれなかった。

 新年会には名だたる作家だけでなく僕のような編集者やら有名なライターやらもいた。

 その時佐伯とかいうライターを見つけられなかったことに、僕は疑問を抱くべきだった。

 時間通り会場に現れた彼は直ぐに囲まれた。僕が話しかける隙すらなかった。恋愛事情を知らない者たちが恋人を「夫人」と持て囃し、作家たちはどうしても創作談義がしたく、編集者たちは何とかして引き抜こうとしていた。

 篠崎が笑いながら全部の話を曖昧に返していたから、僕は安心するのと同時に政治家みたいだなと思った。

 それから主催の大物作家が挨拶をして、新年会は比較的厳かに、多少の賑わいを持って始まった。

「篠崎くん」

「ああ辻田さん。すみません、呼んでもらったのに挨拶できなくて」

「いやいや、あっという間に囲まれちゃってましたから」

 1年と少しほど前から少食気味だった彼の皿には、バランスの良い食事がしっかりと盛られていた。

「あ、これ、恋人です」

「初めまして、篠崎先生とお付き合いさせていただいています。近本桜です」

 篠崎の隣にいた女性が深々と頭を下げた。篠崎より少し年上だろうか、控えめなドレスに細く綺麗な体のラインが出ていた。

「先生の担当編集させてもらってます、辻田歩武です」

「やめろよ2人とも、先生なんて言ったことないだろ」

 そう言って笑う篠崎は皮肉にも書けていた頃より幸せそうだったかもしれなかった。

 名刺を渡そうかと思ったが、向こうは持っていないだろうし、なんだかそういう雰囲気でもなく、篠崎も僕のことを友人として紹介してくれていたから結局渡すことは無かった。

 彼と出会って2年と半年くらい経つが、僕にすら恋人の話はしても紹介しなかった彼が、こうしてはんおおやけの場に恋人を連れてくるのは普通に考えれば解しがたいことだった。

 それほど、初めて本気の人なのだろうと思えた。篠崎の年齢は31歳。篠崎より1つ上の僕は、いまの篠崎と同じ年のときに結婚した。

 篠崎も、彼らしくはないが、1人の人間らしく婚期に焦ってでもいるのかと思った。


 それからまた当然のように作家やら編集者やらが集まってきて、一瞬にして篠崎は中心になった。

 彼らは決まって口にした。「3作目はまだか」と。

 僕はもちろん急かすつもりはなかった。創作には休息が必要だ。それに、彼が筆を執らなくなってからまだ半年しか経っていない。

 世間に目をやったって、篠崎の作品に飢え始めてきたのはまだ少数だ。

 だが商売屋は短気だ。少しでも時期を逃せば取り返しはつかなくなる。世間が、飢えて乞い始めるのが先か、飽きるのが先かなんて分からない。

 結局30分も経たないうちに彼は「ちょっと失礼します」と言ってどこかへ行ってしまった。近本はかばうように烏たちを相手していた。

 数分だけ探し回って見つからず、最終的には喫煙所で彼を見つけた。数年彼を相手するうちに、予想外の行動にも慣れてきた。

「煙草なんて吸わなかったでしょう」

「桜が吸ってたんで」

「……変わりましたね」

「辻田さんが変わらなすぎなんですよ」

 彼はしゃがみこんで煙草を吹かしていた。

 煙草を差し出してくる。僕は無言で拒否をした。吸おうかと思ったこともあったが、今の妻、当時は恋人だったがかなり強めに止められたのだ。

 少しの沈黙が流れる。

「……ずっと聞いてなかったですけど、篠崎くんは、書かないんですか。それとも、書けないんですか。僕はいつまででも待ちます。でも世間は、何もなしでは待ってくれませんよ」

 この発言を、僕は死ぬまで後悔することになる。

 別に、彼が商売として惜しかったわけじゃない。篠崎の作品を読みたい気持ちはあったし、辞めないでほしいとも思っていた。

 でも創作は、そうやって無理にするものでもないと分かっていた。

 それなのに、僕はなぜあんなことを言ってしまったのだろうかと、今でも時々思い出す。

 彼はしばらく何も言わなかった。言葉を探しているようだった。そしてゆっくりと、口を開いた。

 何かを決心するように。自分に言い聞かせるようでもあった。どこか遠くを見ているようだった。その方向には会場があって、スモーク越しに誰かがこちらへ歩いてきているのが何となく分かった。

「……ちゃんと、書きますよ。どうやったら書けるかくらい、分かってます。タイトルは決まってるんです」

 篠崎の目はまるで諦めを抱いているようでもあった。

「でも辻田さん。僕はまだ罪悪感なんて抱いちゃいない。でも、確信してるわけでもない。これが愉快かと聞かれたらそうでもない。僕は『不愉快少年』だから」


 3作目の話が出る直前、近本桜は姿を消した。発売されてから、能美静香が殺された。篠崎は何を思ったんだろうか、突然感情が生まれでもしたんだろうか、僕の前で自殺未遂をした。

 そして2か月が経って、4作目の話が出た直後に、彼は自首をした。僕は何も知らなかった。

 裁判所が判断した以上、篠崎が佐伯光太、近本桜、能美静香を含む複数人を殺害したのは事実であるし、君たちが疑う余地もないことはよく分かっていると思う。

 だがそこに、例えば僕のような担当編集が本当にいたのか、そもそも殺害された者たちは本当に篠崎と交際関係にあったのか、中本は殺されていないのか、は全く事実として付随する訳では無い。

 ただ単に僕が知っていることをまるで真実かのように繋げ、補い、時には物語として脚色し、諸君が楽しめるように書いただけである。

 この物語はフィクションである。

 現実と相違ないかもしれないし、全く違うストーリーがあるかもしれない。だが全ては、この世界で起こりうる悲劇であることだけを、君たちは忘れてはならない。

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